「司法は社会の良心」であるべき・・

「何も食べられないような苦しい状況で、少量の食べ物を盗むのは犯罪ではない」という判決が、イタリアの最高裁判所で下された。

ホームレスのロマン・オストリアコヴさん(36歳)は、2011年にイタリア・ジェノヴァにあるスーパーマーケットで、パンの支払いをしようとしながら、約500円相当のソーセージとチーズをジャケットの下に隠していた。気付いた客が警備員に知らせ、逮捕された。そして2013年、有罪判決が下され、懲役6カ月の実刑判決が言い渡された。
しかしながら2016年5月、イタリアの最高裁判所はこの有罪判決を覆す決定をした。「飢えをしのぐために少量の食物を盗むことは、犯罪には当たらない」という理由からだ。
「盗みが起こった時、被告は今すぐにでも何かを食べなければ生きていけないような状態にあった。必要にせまられた行為であることは明白だ」という最高裁判所のコメントをCNNが伝えている。
消費者団体「Codacons」のカルロ・リエンツィ会長は「経済危機により、スーパーマーケットでは、万引きせざるを得ない人々が、特に高齢者の中で急増している」と、ガーディアン紙に説明している。
最高裁判所は、とても大切な原則を示しました。飢えをしのぐための少量の盗みは、犯罪に相当しない。生きるためには食べる必要があるのです」と同氏はコメントした。
イタリアの新聞「コリエーレ・デラ・セラ」によると、イタリアでは、貧困に苦しむ人の数が毎日推定615人ずつ増加しているそうだ。
同紙は論説欄で、「法律は、現実に沿ったものでなければいけない」という考えを示した。
この事件は、フランスの小説家ユゴーの作品「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンに例えられてきた。
イタリア国内では「多くの人たちが貧困の危機にさらされる中で、人道的な判決だ」最高裁判所の決定を讃える声もある。
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「司法は社会の良心」であるべきで、それは、日本国憲法にも記載されています。

日本の司法について調べてみると・・・
第七十六条
1,すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2,特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3,すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される
(裁判官はそれぞれ独立して職務を果たすことが期待されており、その権限の行使にあたっては、行政権力および裁判所内部の上級者からの指示には拘束されないものと憲法上は定められている)

*しかし、日本の裁判所においては、最高裁判所事務総局という司法行政の中枢機関が
全ての裁判官の人事権を独占しており最高裁判所事務総局は行政の方針に批判的な判決を書いた裁判官を過疎地の小さな裁判所へ左遷するなど、人事面や給与面において裁判官たちに様々な拘束や圧力をかけている。

日本の裁判官たちが実際に「良心に従い独立してその職権を行う」ことは極めて困難であり、ほとんどの裁判官は最高裁判所事務総局による左遷を恐れて、最高裁判所の意向に沿った権力者側に都合の良い判決だけを書き続けなければならず、日本国憲法第76条第3項は最高裁判所事務総局によって完全に死文化されているとする批判も多い(カレル・ヴァン・ウォルフレン著:『日本/権力構造の謎』(早川書房
 イタリアのような貧しい人への人道的な判決も、日本では困難でしょう。
原発事故後も、全く企業寄りの判決が多いのもこのような理由からです。
三権分立の仕組みが機能せず、司法がこのようでは、訴えても正しい判決は得られないし、民主的な国とは到底言えません。

ここもメスを入れないといけないところですね。

アメブロでは何度直しても、エラー記事になりました。>