金曜トークサロン「お遍路さん講座・歩きお遍路の達人山下会長を迎えて」

<お遍路さんのイメージが変わった>
私の「お遍路」さんのイメージは暗く、原風景は映画「砂の器」だった。
ハンセン病ゆえに故郷を追われた父と連れ立って歩く幼い少年。
二人がお遍路姿で放浪巡礼する姿・・・。

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そんなイメージしかなかった私の前に現れた山下さん。
やはり白装束に菅笠,金剛杖のお遍路姿ではあったが、元気発剌。
日に焼けて黒光りした顔にとびきりの笑顔!
お遍路さんの暗いイメージはいっぺんにふき飛んだ。
ご覧下さい、この笑顔。

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写真はネットから・・。(ブラタモリにも出演されました。)

お年はもう75歳を超えているけれど、お人柄を感じさせる笑顔は慈愛とパワーに溢れている。ご尊顔を拝するだけで元気になれます。

お遍路とは・・弘法大師の足跡をたどる88か所のお寺への巡礼の旅のこと。
徒歩で1200キロ。(うち土の道は100キロだけ,舗装道は足に堪える。)
マメが大敵で慣れた人は川で冷やす。
トンネルは危険、山道、崖道も多く、いつ死んでもおかしくない旅。
途中で行き倒れになったお遍路さんは無縁仏に・・
ゆえに、「白装束はそのまま亡くなる時の衣装で、杖は墓標になる」とのこと・・。

  ・・アワアワ・・

とはいえ、今はお遍路は、ブームなのだそうだ。
外人もお遍路に参加。夫婦で。孫と、ペットも一緒に・・などなど。
今は、昔の暗いお遍路とは違って、みんなで行くとちょっと楽しそうでもある。

いろんな目的で・・「自分探し」「悩みごと」「健康増進」「朱印集め」・・
いろんなスタイルがある
*歩きお遍路(1200キロ)・・45日ほど。途中の食費、宿泊費など費用は高め。 
             体力も必要だが、達成感がある。友人ができる。
*観光バスツァー…12日程度。日程や宿泊施設が決まっていて手軽にチャレンジできる
*車遍路・・10日ほど、札所からはずれた観光もできるが、細い道は入れない。
*数日間だけの区切り打ちもある。

<山下さんは歩くお遍路の達人>
歩き遍路は13回(通し打ち6回、逆うち3回,*逆うちとは88番目から回る逆回りのこと,)
山下氏いわく・・
「スタートは鳴門、10日で室戸岬20日足摺岬、30日目で松山・・
でもどこから始めてもオッケー。荷物は10キロ。宿につくまで、夜も歩く・・・。
最後の寺でお礼のお経を唱える。
八十八すべての霊場を回り終えることを結願(けちがん)と言い、
結願すると、お四国病にかかる。もう一度行かないと治らない。
もう一度行くことをお四国病院に入院するという・・(笑)」
(どこまで本気か冗談か?わかりませんが・・汗)
途中の観光、グルメ、癒しスポットも楽しみのうちだとか・・。

お遍路マメ知識
<同行二人とは>
お遍路さんの合言葉として「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉がある。
本来のお遍路は厳しい修行だったため、途中で亡くなってしまう事もあった。
そこで、「同行二人」という言葉は,いつもお大師様と一緒という気持ちで、お遍路さんの心の支えとなった。キリスト教にも、「神はいつもあなたと共にいる」・・という考えがある。

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山下さんのプロフィール
1944年8月生まれ 広島県出身
広島県立呉商業高校から住友銀行入行
55歳で定年退職、57歳で、初めての歩き遍路(36日間)
60歳で夢であった大学入学を果たす。
現在の主な活動は・・
四国八十八か所霊場会・公認先達(歩き遍路さんのガイド)
公認先達歩き遍路の会会長、昔の遍路道の修復作業中
高知兼あしずり遍路道保存会 遍路道復元
その他、ボランティアで、あちこちの遍路道の復元作業にかかわっていらっしゃいます。素晴らしいですね!

最後に、山下さんが惹かれる「お接待」という文化について・・

<お接待>とは・・ 

お接待とは、飲み物や食べ物などを無償で提供してくれることを言い、四国に根付く文化です。1200キロを歩くお遍路さんが大変だということは、四国に住む人たちはよく知っています。お遍路さんを応援する気持ちがお接待。また、「同行二人」の考えから、弘法大師へのもてなしにもなり、お接待は、一切見返りを求めないギブ・アンド・ギブの精神です


山下さん曰く・・
「お接待がお遍路を支え、またお接待する人も、お遍路さんが困るのでやめられない。
このような助け合いの精神、貧しくても「お接待」をするのは人の優しさ。
小学生の励ましもほっこりするし、嬉しい。先達として、このような文化を世に引き継ぐのが自分の使命。四国全体の小学校にお接待の文化を広めたい」と。

初めの「砂の器」に戻ると、実際はハンセン病のような病気の人たちのお遍路は、受け入れてくれるところは少なく、(小説とは違うが)おそらく受け入れて世話をしたのは、四国ぐらいではなかったのか?とあった。
お接待とは、四国の人達の優しさが生んだ文化なのだろう。
お遍路と言えば、四国八十八か所を指すようになったのは、弘法大師の修業が始まりではあるけれど、四国の人達の温かいお接待に支えられ、長く生き続けた文化なのだと思った。

お遍路さんのイメージ、だいぶ変わりましたが・・・
さすがに、まだ1200キロを歩きとおせる自信はありません。