東京&東北旅行(3)作並温泉近くの「賢治とモリスの館」

旅の最後は、作並温泉に宿泊し「賢治とモリスの館」に。
HPはこちら(賢治とモリスに関する情報も満載)

交通の便がないのでタクシーで行く予定でしたが、
 ホテルの方が親切で、「モリスの館」に電話をしてくださり、また「モリスの館」の娘さんもご厚意でホテルまで車で迎えに来てくださいました。
東北の皆さんの親切が身に沁みます。

簡単にイギリスのモリスの家に行けない私、この館の美しい
モリスデザインに囲まれて、贅沢な気分を満喫できました。
山の中にある「賢治とモリスの館」
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イギリスのモリスの家を真似て作られたそうです。
どこを写しても絵になります。
入り口を横からみたところ
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 庭園の一部
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中に入ると………玄関からモリスのデザインに迎えられます。
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 家のデザインは、窓が大きく取ってあり、外の景色まで計算して取り込まれるところなど、ヴォーリズ設計の駒井邸のサンルームが思い出されました。
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ヴォーリズも、モリスのアーツ&クラフト運動(注)の影響を受けています
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ガラス扉、ヴォーリズもこんなデザインが好き
注:アーツ・アンド・クラフツ運動(Arts and Crafts Movement)イギリスの詩人、思想家、デザイナーであるウィリアム・モリス1834年-1896年)が主導したデザイン運動である。美術工芸運動ともいう。1880年代から始まった。ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として大量生産による安価な、しかし粗悪な商品があふれていた。モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張した。モリス商会を設立し、装飾された書籍(ケルムスコット・プレス)やインテリア製品(壁紙や家具、ステンドグラス)などを製作した。
モリスデザインと思われるソファーやクッション
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お揃いの柄のパーテーションもありました。

どこを見ても美しいデザインの宝物ばかり・・。
写真が全て掲載できないのが残念です!

暖炉の周りはモリスデザインのタイルで…
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その他、素敵なステンドグラスの置き物
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壁掛け
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照明も美しい
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この館の管理人である大内秀明教授と奥様とがモリスに魅せられ、
         ヨーロッパ旅行の度にモリスデザインのものや西洋アンティーク等を
   集められたそうです。

モリスと賢治と大内秀明先生の接点は……?
大内先生は、東北大学名誉教授でマルクス経済学の研究者。ご著書もたくさん。
宮沢賢治といえば、「世界がぜんたい幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」という言葉が思い出されます。
大内先生は賢治のこの言葉の書かれている「綱要」全体が、モリスの
アーツ&クラフツ運動に依拠した芸術論であり、モリスこそマルクス主義の正当な後継者だと・・ノートに書かれています。

モリスについては、全くデザインしか知りませんでした!(^_^;)

ヴォーリズがモリスのデザインだけでなく、思想も含めて学んでいたとすれば、
ヴォーリズ近江兄弟社で実現したいと考えていたユートピアも、その影響を受けていたのだろうと思われます。新しい発見です。

大内先生の書庫の一部
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宮沢賢治の本もたくさんありました。
面白いと思った本、『ベジタリアン宮沢賢治
「雨二モ負ケズ」は・・
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ・・でしたね!

モリスも賢治も私は不勉強で、あまり知識がありません。
もう少し勉強して、今度は先生に説明もお願いできれば・・と思っています。
今回は先生がお忙しく、先約もあり、モリスや宮沢賢治について説明を頂けなかったのが残念でした。(*参考)

こちらは入館料も無料で、その上ホテルから駅まで送り迎えまでしていただき、
本当に頭が下がります。
お礼としてはお茶やランチの用意があるので利用されると良いと思います。
豪華なランチも魅力だったのですが、時間がなく今回はお茶だけ。
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ご親切に送り迎えしてくださった娘さん(渡辺えまさん)によると
桜の頃、薔薇の頃はとても美しいそうです。
こちらもまた行きたいところになりました。


(*参考)
賢治とモリス
大内先生のノートより
・・・・賢治がモリスのアーツ&クラフツ運動を学び、労農派のシンパとして花巻「羅須地人協会」の活動を立ち上げた事実は明らかです。賢治の病気もあり、集会活動としての「羅須地人協会」は、2年半ほどの短期間で一時休止に追い込まれた。しかし、肥料設計や花壇設計の活動は続けられたし、とくに「最上協働村塾」の活動は持続した。
教え子たちもまた、花巻「羅須地人協会」の集会の再開を期待したにもかかわらず、賢治は「雨ニモマケズ」の詩を残して他界した。しかし花巻「羅須地人協会」は、賢治の作品とともに「永久の未完成、これ完成」さながらに、今も賢治精神として生きているのです。モリスから賢治への点と点は、幸徳、堺、山川の線となり、日本の「土着社会主義」としての労農派の運動として継承されたと言えるでしょう。