医師が薬で生死を決めていいのか?夫の命日に。

昨日5月15日は夫の命日でした。

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薔薇を育ててからは、この日を覚えてくれているかのように薔薇が咲きます。

今年は早咲きでしたが、最後の薔薇が残っていてくれました。

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命日は文字どおり、夫の死にぎわを思いだし、悔しい思いが蘇ってくる。

夫は癌の再発と転移で、抗ガン剤治療を勧められたが、
「患者よガンと闘うな」の近藤誠先生にお手紙を書いて相談した結果、
病院での治療は拒否。
自宅で食事療法を続け、1年以上も元気でいられたのだった。

でも、免疫療法で癌が治ったという方からの紹介で
東京の誠志会病院に。
ここでは、毎日、ワゴンいっぱいの薬の点滴があった、
免疫療法の点滴と言われ、血液検査は血液の状況が変わるので必要なものを点滴して補わないといけないと。
癌患者の足元を見た金儲けだったのではなかったのか?

たった一週間で30万以上の医療費の請求。
免疫療法の結果を見るまで…と、一ヶ月以上も入院させられ、薬漬けにされた。
こんな所にいたら殺される…と思い、強引に奈良に帰りたい…と言うと、
「それなら、看取ってくださいと書いておきます」と捨て台詞を言う女医さん。

本当にそう書かれたのかもしれない。
せっかく奈良の病院=奈良県立病院(今は奈良県立病院機構 奈良県総合医療センターに帰ってきたのに、連休明けに、当時の泌尿器科部長三馬(さんま)先生に
いきなり点滴を変えられて、夫の様子がおかしくなった。
医師に中止を求めたが
医師も看護師も 「三馬部長先生の命令なので中止できません」と、
聞き入れてくれなかった。

三馬先生を探してお願いしても、「薬の効き具合を見て決めます」と、早足に逃げるように去っていく。
せめて副作用を調べようと「薬の名前を教えてください」と聞いても、「部長先生に聞いてください」の一点張りで誰も教えてくれない。
途方に暮れるうちに、薬が回って、夫の目は虚ろになり、正気を失っていった。

夫が廃人のようになってしまった3日後、主治医山口ドクターから、
「ご主人の容態が変わった原因がわかりました。肝臓と腎臓が悪かったので毒素が処理できずに脳に回ってしまい脳炎になってしまったのです。もう元に戻ることは不可能です。残念ですが、毒素の処置ができない以上、何日も生きられません。
ご親族を呼んでください…。」と言われたのだ。

悲しみより怒りの方が先だった。

「先生、点滴をやめてくださいとお願いしましたよね。
夫も意識が薄れていくので、止めてほしいとお願いしたのになぜ止めなかったんです?しかも薬の名前も教えないってどういうことです?」

「今までの痛み止めですよ。レペタンです。
それに、もう時期的に末期ですから、あの薬のせいではなく、肝臓も腎臓もすでに悪かったのです。」

これが平然とつかれたウソだったことが、その後のカルテ開示で分かった。

投薬されたのはモルヒネだった、しかもいきなり大量に……。
モルヒネの副作用として腎臓肝臓への毒性もわかっている。

モルヒネ使うときは教えてください」、それも言ってあった。

薬の名前を隠し、しかも頼んでも中止せず、脳炎になるまで強引に流し続けた医師たち。
夫は殺されたんだと思っている

腎臓や肝臓が悪いことくらいカルテで、知っていたはずだ。
入院ベッドは2週間目からは、値段が安くなると言う。
治る見込みのない癌患者に長くいられるのは困るのだ

死因は「肝腎不全」
そして、勝手に大量に投薬されたモルヒネによって
夫は脳炎になって自分がわからなくなり、
廃人のようになって死んでいったのだった。

自分がついていながら…
あまりにも無残な死だった。

夫が亡くなって、3週間後、横浜の血管内治療の奥野ドクターから
「次の予約はいつにしますか」と問い合わせが来た。

亡くなったことを告げるとたいそう驚かれていた。
なぜなら、夫の癌は肺や肝臓にも転移していたが、
癌自体はさほど大きくなっていなかったというのだ。
奥野Drは放射線科の専門医(癌のある血管の塞いで癌を消滅させる治療を行っている)レントゲン写真の見方は超一流。
もっと長生きできたものを、なぜ?と。

癌患者の末期は何をされるかわからない。
奈良にホスピスがあれば…こんな死に方はしなかった。
夫の死後、遺族会からホスピス作りに協力させていただき、
奈良にもホスピスが出来た。

しかし、自分の気持ちが収まらない私は、
弁護士に相談していきなりカルテ開示をしてもらった。

レペタンという名前が嘘で、モルヒネを使ったことはその時点でわかった。
また、「最も効果のある抗ガン剤を使う」と言われた一回目の治療も、
私たちには内緒のくじ引き治験であった。

病院とは恐ろしいところである。
このように勝手に、薬を投与して患者の寿命すら縮めることができるのだ。
しかし、日本では癌患者の末期では裁判にならないのだそうだ。
特に夫の事例では、痛みがあったため、ずっと痛み止めを使っていたこと、それゆえ、最後に痛みを緩和させるために、モルヒネを使ったと言われれば、
それ以上私たちは何も言えない。
弁護士にそう言われて訴えることはあきらめたのだが、

三馬部長先生、
あなたは医師のモラルをどのように考えていらっしゃるのでしょう?
これは薬による殺人になりませんか??


唯一の救いは、看護日誌に
「このようなことをしていいのか?」という疑問が書かれていたことだった。

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夫の無念さを思って、
夫の幼馴染や会社の同僚、上司に原稿をお願いして
追悼文集を作った。

不思議と気持ちが落ち着いた。

夫を思って書いてくださった方々の文章に、
慰められ、励まされた。  

悔しい思いや悲しみがあっても、そこに立ち止まっていてはいけない・・。
自分の悲しみに閉じこもるのではなく、恵まれていること、多くの人が支えてきてくれたことにも目を向けよう・・。

追悼集は、そんなことに気づかせてくれた