靖国神社の本質と戦前回帰志向者たちの意図
靖国神社の本質と戦前回帰志向者たちの意図
LITERAが、靖国神社の宮司が平成天皇の参拝を要請した背景を含め、靖国神社の設立の経緯と現在の安倍首相を中心とする戦前回帰志向者たちがなぜ天皇の靖国参拝を熱望しているのか、その意図を明らかにする記事を出しました.。その真意はおぞましいというしかないものです。
(関係記事)
(18年10月12日)靖国神社宮司が天皇批判!「天皇は靖国を潰そうとしている」…
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LITERA 2019.08.15
終戦から74年 ― 。安倍政権下の日本では、先の戦争への反省の声は年を追うごとに少なくなり、むしろ、先の戦争を肯定するような声ばかりが大きくなっている。そして終戦記念日のきょう、安倍首相の側近である萩生田光一・幹事長代行や稲田朋美・総裁特別補佐、小泉進次郎議員をはじめとする多くの国会議員が“軍国主義の象徴”である靖国神社を参拝した。
「掌典職は宮内庁長官や侍従職への取り次ぎ自体を拒否したと報道されていますが、実際は、宮内庁上層部に報告されていると考えて間違いない。その結果、宮内庁としてこの要請を拒否したということです」(宮内庁担当記者)
そのことは、日本経済新聞が2006年7月20日付朝刊で報じた、元宮内庁長官・富田朝彦氏が遺したメモ、通称「富田メモ」にはっきりと残されている。富田メモの、合祀を強行した松平永芳宮司(第6代)に対して、昭和天皇が抱いていた怒りの言葉が記されていたのだ。
〈私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉
この富田メモは宮内庁が作成した『昭和天皇実録』にも明記されており、公的にオーソライズされた発言だ。そして、この昭和天皇の意思を継いで、明仁天皇も一貫して靖国参拝を拒否してきた。宮内庁が靖国の参拝要求に応じないのは当然だろう。
しかし、問題は靖国神社の行動だ。事実上“天皇の神社”としてつくられ、天皇主義者の巣窟である靖国が、天皇の意思に背いたまま、天皇に対して一方的に参拝を要求するとは……。連中が回帰しようとしている戦前の時代なら、それこそが“不敬”行為ではないか。いったいどういう神経をしているのか。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?」
「皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。 どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」
結局、小堀宮司は、この神職とは思えない口汚い天皇批判発言を「週刊ポスト」(小学館)にスクープされ、宮司辞職に追い込まれたが、しかし、当時の靖国神社はこの小堀宮司を先頭に、様々なチャンネルを使って、天皇の靖国参拝を働きかけていた。
たとえば、靖国神社に「英霊」が祀られているなどと言うが、この「英霊」というのは、戦前の大日本帝国の都合から選ばれた戦没者だけであり、たとえば数十万人にも及ぶ空襲や原爆の死者などの戦没者は一切祀られていない
靖国を正当化する右派政治家たちは「世界平和を祈念する宗教施設でもある」などという建前を口にするが、実際には、靖国神社を参拝するということは、先の大戦に対する反省や、多くの国民を犠牲にした贖罪を伴った行為とは真逆なのである。
遡れば、もっと根本的な矛盾も浮かび上がる。そもそも靖国の起源は、戊辰戦争などでの戦没者を弔うために建立された「東京招魂社」だが、このときに合祀されたのは「官軍」側の戦死者だけであり、明治新政府らと対峙し「賊軍」とされた者たちは一切祀られていないのだ。
小堀前宮司の前任者である徳川康久元宮司は、2018年2月末、5年以上もの任期を残し異例の退任をした。表向きは「一身上の都合」だが、“賊軍合祀”に前向きな発言をしたことが原因というのが衆目の一致するところだ。徳川前宮司は徳川家の末裔で、いわば「賊軍」側の人間として合祀を実現しようと動いていた。ところが、靖国神社の元禰宜で、神道政治連盟の事務局長などを歴任した宮澤佳廣氏らが徳川氏のこの動きを名指しで批判、結果、靖国の宮司を追われたのである。
葛西氏といえば、安倍首相の最大の後ろ盾と言われる財界の実力者で、ゴリゴリの改憲右派として知られている。
つまり、小堀氏は安倍政権を支える戦前回帰右派の総意として、宮司に就任し、動いていたのではないか。先の戦争を完全に肯定し、靖国神社をたんなる慰霊施設でなく“国家のために命を捧げる国民”を生み出す装置として再構築したいという勢力の意を受けて、天皇の靖国参拝を実現しようと奔走したのではないか。
安倍首相は、2014年には、A級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送ったこともある。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。
「週刊新潮」(新潮社)の連載で〈そもそも富田メモはどれだけ信頼出来るのか〉(2006年8月3日号)とその資料価値を疑い、さらにその翌週には、3枚目のメモの冒頭に「63・4・28」「☆Pressの会見」とあることを指摘、〈4月28日、昭和天皇は会見されていない〉〈富田氏が書きとめた言葉の主が、万が一、昭和天皇ではない別人だったとすれば、日経の報道は世紀の誤報になる。日経の社運にも関わる深刻なことだ〉(2006年8月10日号)と騒ぎ立てたのだ。
しかし、実際には「63・4・28」というのは富田氏が昭和天皇と会った日付であって、「Pressの会見」はそのときに昭和天皇が4月25日の会見について語ったという意味だ。ようするに、櫻井氏は資料の基本的な読解すらかなぐり捨てて、富田メモを「世紀の誤報」扱いしていたわけである。
櫻井氏だけではない。百地章氏、高橋史朗氏、大原康男氏、江崎道朗氏ら日本会議周辺は、自分たちの天皇利用を棚上げして「富田メモは天皇の政治利用だ!」と大合唱。埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏は〈これ自体は、大袈裟に騒ぎたてるべき問題では全くありません〉〈ただ単純に、富田某なる元宮内庁長官の不用意、不見識を示す出来事であって、それ以上でもそれ以下でもない〉(「Voice」2006 年9月号/PHP研究所)、東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏は〈無視して早く世の忘却に委ねる方がよい〉(「正論」2006年10月号/産経新聞社)などとのたまった。
また、麗澤大学教授の八木秀次氏も、富田メモについて〈この種のものは墓場までもっていくものであり、世に出るものではなかったのではあるまいか〉とくさしながら、〈首相は戦没者に対する感謝・顕彰・追悼・慰霊を行うべく参拝すべきであり、今上天皇にもご親拝をお願いしたい〉(「Voice」2006年9月号)などと逆に天皇に靖国参拝を「要請」する傲慢さを見せつけた。
ようするに、普段、天皇主義者の面をして復古的なタカ派言論を口にしているこうした連中は、実のところ、天皇の意思などどうでもよく、ひたすら自分たちの志向する戦前回帰実現のために、天皇を利用したいだけなのである。そして、その邪魔になるとなれば、天皇の発言ですら平気で亡き者にしてしまう。
これは、当の靖国神社も同様だ。靖国には小堀宮司が辞任したいまも、国家神道復活の極右思想に染まった神職たちが多数生息している。実際、小堀宮司の天皇批判が大きな問題になったとき、「靖国神社職員有志の主張」と名乗るウェブサイトがこんな宣言をした。