2015年の記事お借りしました。今はもっとひどい。

2015年の記事ですが、今も変わらないかもっとひどい状況になっていると思います

連日のように残虐犯罪が起きている。
若者が目を剥くような酷い凶行を起こしている。
社会に憎悪を煽る病的な右翼が蔓延り始めた結果が残虐犯罪を生み出しているのだ。
政府が凶暴な極右カルト勢力に乗っ取られ、社会が病的な憎悪に染め上げられたこの十数年で人間の意識が変えられた。
軍需経済によって生き延びようとする戦前からの勢力が、戦前と同じ狂的な右翼を飼育して来た結果である。
自民党極右政府が続き、あの大戦の侵略強盗殺人犯罪が糊塗されただけでなく、美化までされ始めたのである。
本屋に行くと韓国・朝鮮や中国を罵倒し国家間憎悪を煽る軍事利権のためのアタマのオカシイような本が並んでいる。
昔この手の本は、簡単に煽られる理解力のない者しか買わなかった。
今は日本軍需経済が国家間憎悪、民族間憎悪を煽る戦略をあらゆる方向に徹底し始めた結果、国民分断と憎悪の植え付けが戦前を完全に模倣して行われている。
軍需経済を拡大していくために憎悪を煽るという戦前から受け継がれて来たファシズム戦略である。
連日のように残虐犯罪が起きるのが当たり前の社会になっているのだ。

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侵略殺人の靖国英霊兵士を称えたり、南京虐殺事件や従軍慰安婦の拉致犯罪まで否定する異様な歴史観を持つ政党が議席を得ている。
朝鮮人を殺せ」などというデモが白昼公然と目抜き通りを練り歩くのである。
平和教育に誇りを掛けた教師たちの日教組や人間の権利を守って来た多くの労働組合や学問の自由を掲げた大学自治などが次々に攻撃され骨抜きにされてしまった。
戦前の「御国のために見知らぬ他国の市民を嬲り殺しにする。」侵略強盗殺人正当化の狂った社会が現出してしまったのである。
恐ろしい事態である。
若者たちが精神の整合性を破壊される軍事ファシズム社会が拡大し残虐犯罪が拡大して行く。

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南京大虐殺事件は既にあらゆる面から証明されている
別に中国に教えてもらわなくても日本軍サイドに掃いて捨てるほど資料がある。
第十六師団長・中島今朝吾中将も中国人捕虜を数人引っ張り出してきて日本刀の切れ味を試す為に試し斬りした、と日記に書いている。罪悪感などまったくなかったのです。日本は多い時で百万の大軍で中国を侵略し、満州事変から終戦まで14年間、中国各地で殺人、放火、略奪、強姦を繰り広げた。

南京攻略軍総司令官・松井石根大将の言東京裁判で死刑になる直前のコメント
南京事件はお恥ずかしい限りです。私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、このあとで皆が笑った。ある師団長の如きは『当たり前ですよ』とさえ言った」

陸軍省人事局長・阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ
軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず」「「婦人方面(注:強姦の事)、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり

第11軍司令官・岡村寧次中将(のち大将)の回顧録
「派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くはこれを殺すの悪弊あり。南京攻略時において約四、五万に上がる大殺戮、市民にたいする掠奪強姦多数ありしことは事実なるがごとし」

中村陸軍省軍務局長の談話
「戦場から残虐行為の写真を家郷に送付する者少なからず、没収すでに数百枚」

第十六師団 歩兵第30旅団長・佐々木到一少将の日記
「俘虜続々投降し来たり数千に達す。激昂せる兵は上官の制止を聞かばこそ、片はしより殺戮する」

皇道派の巨頭・真崎甚三郎大将の日記
「十一時江藤君来訪、北支及上海方面の視察談を聞く、主なる責任者の談を交へて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと言わざるべからず。之によれば一言にして言わば軍紀・風紀頽廃し、、、強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」

日中戦争で軍司令官、師団長として戦った澄田中将の回想録
「日本軍は事変の出だしから隠れもないあの南京虐殺事件は論外としても、残念ながら略奪、放火、殺人、強姦など、あらゆる悪行のし放題と言ってよい」

山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」

都城第23連隊兵士の日記
「今日もまた罪もないニーヤ(中国人をバカにした言葉)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのだが、まるで犬や猫を殺すくらいのものだ」

第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵の従軍日記
「我が柳川兵団は①民家を発見したら全部焼却する事。②老若男女を問わずシナ人を見たら殺せ、という命令を受けた」

日本陸軍第十軍嘱託カメラマン河野公輝の話(南京進撃途上で)
「銃剣で刺すなんて生易しいものではなく、棍棒でぶっ殺す。男も女も区別はなかった。バクッと叩くと血がぶあーっと噴き出してね。蘇州の女というのがまたきれいでね。兵隊は手当たり次第に強姦して、やったあとは殺していたな」「川沿いに女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から崑山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた」

昭和天皇の弟・三笠宮陸軍士官学校出身)の自伝
「一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ南京の総司令部に赴任しました。そして一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。ここではごくわずかしか例をあげられませんが、それはまさに氷山の一角に過ぎないものとお考えください、、、」

昔のイスラム国である日本帝国による日常茶飯事の斬首。
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日本軍はアジア各地で虐殺や人肉食、イスラム国など足元にも及ばない数限りない斬首の犯罪を犯している。自分の目で一度現地に行って調べて聞いて廻ったらどうなんだ?
日本軍は日本国内でも日本人婦女子をしょっちゅう拉致強姦していた。
今頃になって、朝鮮半島慰安婦用に女性を拉致強姦しなかったなどとよく言えたものである。

「賄賂は公行した。虐殺と掠奪と暴行は枚挙にいとまがなかった、」と日本軍の最高幹部・関東軍参謀が戦後直ぐ証言している。
「ある兵工廠の経理官は、地方のボスと結托し、軍需品の横流しを行い、巨額の金を私した。
熊本では外出した兵が女学生を強姦した事件があった。
しかもこれらはわずかにその二、三の例に過ぎぬ。
 海軍もまた、概ねこれと同工異曲であった。
否、陸軍よりもさらに腐敗していた。
呉の工廠では数年にわたって工廠長以下が出入り商人と結托し、多額の収賄を行った事件があった。
ある地方では、海軍の兵が婦女子を強姦した。
父兄が抗議すると、隊長は昂然として言った。「戦に負けて青目玉の子供を産むよりよいだろう」と。」
日本内地においても、大東亜戦争の中期以後における軍隊の暴状は、あたかも外地に似たものがあった
暴行もあった。収賄もあった。掠奪もあった。」
関東軍参謀・田中隆吉尋問調書』大月書店