桜の宮高校高2自殺事件に思うこと

亡くなった生徒が通っていた桜ノ宮高校は、体育の得意な子ばかりでなく、どちらかというと文武両道のまじめな生徒が通う学校だ。

受験シーズンに入ったが、亡くなった生徒も、二年前は桜宮高校に入学するために、勉強もバスケットも頑張っていたんだろうなぁ…と思うと胸が傷む。
 
彼のこれまでの努力も、これからの人生も、一人の教師の暴力(あえて暴力と言わせてもらう!)によって潰されてしまったことが痛ましい・・・・。ご両親も桜ノ宮高校の受験を勧めた中学校の先生方も…どんなに悔しく悲しい思いをされていることだろう。

通夜の席で、少年の母親が、死んだ息子の腫れ上がった顔を見せて「これは指導ですか?体罰ですか?」と、顧問に尋ねると、「体罰です。すみません。」と認めたそうだが、一人の生徒の命を踏みにじっておいて、「すみません。」で済む問題ではない。
私が母親なら、この教師も、暴力を黙認していた学校も絶対に許せない。
まして、その行為が主将を見せしめにして、部員を発憤させるため?に必要だったのだというから、驚き呆れるばかりだ。
 
反省を促し、成長を願い・・・、双方の信頼の基に、その方法でしか伝えることができないのであれば致し方ないが、この顧問の行為・・・口びるが切れ、頬が紫に腫れ上がるほどの平手打ち・・
生徒は、母親に「今日は40発くらい殴られた・・」と話ているのだ
この、どこに教育者としての愛があるのだろうか?
この顧問は、学校側の調査に対しても、「2回殴っただけ・・」
と、自分の暴力を矮小化して答えている。
ところが・・・
 
バスケット部員50人の体罰に関するアンケート調査では、48人が、他の生徒が体罰を受けているのを目撃したと答え、21人が自分も体罰を受けたことがあるーと答えていた。・・・ 顧問教諭の体罰は、生徒が自殺する前日と四日前の二回のみ、とした発表との大きな食い違いが浮き彫りになった。
すなわち、体罰はひっきりなしで、もはや常態化していたのである。
体罰は、ビンタ、叩く、蹴るといった内容だったようだ。
 
 
そんなに信念のある指導なら、正々堂々と数もごまかさないで答えるべきである。
自分の暴力を知られたくない気持ちがあるのは何より、後ろめたいということであり、
これは体罰に名を借りた暴力と呼ぶべきだろう。
 
このような暴力行為に…実績をあげているからと黙認していた学校も共犯である。
一番大事にしなければいけないのは、勝つことではなく、生徒の心であり命だろうに…。
子ども達が一時期、習っていた柔道の先生は、「稽古の後は心身共に健康で帰ってもらいたい。」
と、いつも生徒の身体や心の管理に気を配っていたものだったが・・。
まじめに頑張ってきた生徒に対して、勝つためには・・、あるいは、気合いをいれるためには暴力が必要だというのだろうか?
逆に、このような暴力で勝ち進むことができるというのだろうか?
 
桑田選手も落合監督も否と言っています。↓
 
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/37829839.html
檜原 さんの記事より

体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ

朝日新聞デジタル 1月11日(金)20時51分配信
二人は自分の経験から体罰などで強くなるはずはないと断言しています。
 
日本のスポーツ界にはびこる悪弊、しごきは実は陰惨ないじめや暴力の温床のように思える。
何年か前にも相撲界で若い相撲取りが稽古という名目のしごきや暴力で亡くなっている。
どちらも根は同じ、強くなるためには、多少の暴力は許されるという考え方。
この考え方には全く賛成できません。
どこで暴力との線引きができるのでしょう?
暴力をふるうのに手加減や区別が出来るとは思えないのですが・・。
 
学校側がきっちり暴力をふるう教師を管理出来なければ、弱い立場にある生徒を守ることはできない。
今、早急にしなければならないことは学校側の調査であり、この顧問のような体罰の名を借りた暴力教師をなくすことだと思う。
 
ところが、過去に体罰容認の橋下市長は、どういうわけか、自分の体罰発言を指摘されたくないからだろうか・・
この問題の解決を、体育科の入学中止と部活動の休止に持って行った。
 
これでは、入学の準備と受験に向けて頑張ってきた生徒を泣かせ、クラブ活動を頑張ってきた子ども達を泣かせるだけではないのか。
15の春を泣かせ続ける橋下市長の強権姿勢が体罰の実態調査と対策をできなくしてしまった
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/54f25ca813c147e536ca84e5f1230d19
原因をすり替えて、問題の本質から目を背けさせるのは止めてもらいたい。
生徒の尊い命が無駄にならないよう、教師の暴行を許さない体制作りを望みたいものである。