ヴォーリズの発表が無事終わりました!

みなさま、お久しぶりです。 
約二か月お休みさせていただきました。
無事発表を終えてホッとしています
第一部、ヴォーリズの生涯
 
第二部 ヴォーリズの建築
 
 
聴いてくださった25人のうち、ヴォーリズを知っていらした方はたった5人。まだまだヴォーリズさんは知られていないのですね。
ヴォーリズって誰?と言われる方のために・・・・
いくつかヴォーリズの建物をご紹介。
 
大丸心斎橋店の建物は、ヴォーリズ小学生時代に住んでいたアリゾナのグランドキャニオンをモチーフにして作られたのだそうです。
大丸のシンボルといえば、ピーコック。これも、アリゾナ州にあるフェニックスという都市から・・。フェニックスは不死鳥ですが、日本ではそのイメージないので、孔雀にしたのだとか・・。美しいピーコックの装飾
 
 
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店内の天井: 華やかなアールデコのデザインがいっぱい
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エレベーターの扉は、大聖堂のステンドグラスを思わせられます
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見どころがいっぱいの名建築大丸心斎橋店
ところが、信じられないことに解体計画の予定が・・。
大丸に反対意見を書いて送りましょう!
 
学生になぜこの大学を選びましたか?とアンケートで尋ねると、キャンパスにあこがれて・・・という回答が一番多いそうです。
正門から入ると中央の緑の芝生が開け、一直線に甲山を背景とした時計台が見えてくる・・という視覚効果も狙った美しいキャンバスです。
 
「美が学園になった」と言われる神戸女学院  
  
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さて・・・映画のようなドラマチックなヴォーリズさんの生涯です。
 
海外伝道を目指して来日し、高校の英語の先生となったヴォーリズさんですが、愛される人柄ゆえに生徒からの信頼も厚く、放課後のバイブル(聖書)クラスには生徒が100人近くも参加。YMCAも高校初のクラブ活動扱いになり、ヴォーリズの貯金で立派なYMCA会館も建ちます。そうなると仏教色の強い町の反発は必至、教師を解雇されてしまいます。
ふつうは、そこで、アメリカに帰ってしまうところですが・・・彼のすごいところは収入の道が閉ざされても、近江八幡にとどまり、キリスト教の伝道に身を捧げようと決心するところです。
 
その時の、教え子吉田悦蔵君とヴォーリズ先生の会話が泣けてきます。
 
ヴォーリズは、「私は、もう教師ではありません。私が八幡を去れば、京都の同志社や東京のYMCAは私を喜んで迎えてくれます。しかし、私は日本の琵琶湖畔に神の国の福音のために命を捨てたい。今、収入の道はありませんが、敢えて、信仰の冒険をやります。そして、我が身を湖畔の土に埋めましょう・・・。
吉田さん。学生の食料は一ヶ月寄宿舎で何ほどですか?」
吉田は驚いて返事した。
「四圓五十銭です」
「吉田さん、米と塩ばかりなら、一ヶ月一人の食料は何ほどですか?
「飯と漬け物でしたら、まあ三圓五十銭くらいでしょう。」
「天の父様。私に毎月三圓五十銭ずつ与えてください。あなたがそれを保証してくださるなら、私は八幡に留まり、琵琶湖畔の伝道に一生を捧げます。」
ヴォーリズが祈る姿に、吉田は心を揺すぶられた。たった1人でアメリカから渡ってきて、ひどい仕打ちに遭っても、この地での伝道に自分を捧げようとしている。
ヴォーリズさん、私は上の学校に行くのを止めます。母からの学費をそのまま送ってもらって、2人の生活費にあてましょう」
ヴォーリズの目から涙がこぼれ、2人はまた跪いて、神に感謝の祈りを捧げた。
会館での生活は苦しかったが,悦蔵の母からの送金と篤志家からのいくばくかの送金と併せて2人でしばらくは暮らした。
1908年、1月、吉田悦蔵は、自分は自分で仕事をしながら伝道をしようと、いったん近江八幡を離れ,神戸の母親の下で三井物産に入り仕事を始めた。ヴォーリズはその間、昔趣味で勉強していた設計の仕事を始め、2年後、悦蔵が戻って来たときには事業は軌道に乗りだしていた。
実は、ヴォーリズはアマチュア建築家でした。
海外伝道を決意したために、建築家になりたいという自分の夢をあきらめたのです。
彼は、解雇されましたが、その後、自分で設計建築や薬品(メンソレータム)、医療事業(病院)、教育事業と幅広い分野で活躍し、立派な仕事を遺しました。
もし、解雇されなかったら、・・・教育者として名を残すような先生になったか・・?あるいは、同志社大学などに引き抜かれたかもしれません。
でも、解雇されたからこそ、それ以上に豊かな仕事をなしとげ、多くの名建築を世に遺すことができたのです。
 
表を作ってみると・・・・解職後のヴォーリズの手がけた事業に驚き!
これは、自分の夢をあきらめてまで伝道に尽くそうとしたヴォーリズの心を汲んだ神様の一大転換計画であったように思われてなりません。
 
ヴォーリズが目に見える形で建築物を遺してくれてよかったと思います。なぜなら、彼の建築物を通して、そこから、私たちはヴォーリズの「人を愛する心」を知ることになるからです
(彼の建物がどんなに使う人のことを思って作られているかは、次の項で紹介させてくださいね。)
 
ヴォーリズファンが増えると世の中はきっと優しくなります。(^0^)
 
ヘイトスピーチなどは、ヴォーリズが最も嫌うところです。
彼の考えでは、「たとえ表面上、人種や国籍、習慣の違いがあっても、人間性そのものは共通である。誰に限らず、人間は一個の人格を備えた個人であって、みな(地球上の)同じ家族であり、兄弟」だからです。

 
発表は・・・・
「分かってもらえるように語る」には、量と流れの調整が必要。
あまりたくさんを注ぎ込もうとすると、えてして人の頭はオーバーフローを起こすものです。
量が多いのなら、注ぎ込みやすい形を話者の方で組み立てておくことが必要になります。
 と、良いアドバイスをいただいていたのに、詰め込みすぎで、時間いっぱいになってしまいました。 大反省です。
それでも、終わりに会員の方からこんな献歌をいただきました。
 
献歌


古き良きアメリカ人(びと)のそのままに
 近江を生くる 八幡の郷(さと)

ヴォーリズの想い計象る(かたどる)数々の
  建物群の残りて在りし

新しき日本啓きし新島や内村、新渡戸
   想い出しつつ
(この歌に惹かれます・・。ヴォーリズも含めて、こういう人たちの努力が底流ながら平和な日本を作ってきたと思うのです)

大冊の美しき(はしき)レジュメに込めらるる
    熱き思いのヴォーリズ讃歌



話しきれなかったヴォーリズについては、再来年以降に発表枠をいただきました。

ヴォーリズは続くよ・・いつまでも・・・になりつつあります