ヴォーリズの発表が無事終わりました!
みなさま、お久しぶりです。
約二か月お休みさせていただきました。
無事発表を終えてホッとしています。
第一部、ヴォーリズの生涯
第二部 ヴォーリズの建築
ヴォーリズって誰?と言われる方のために・・・・
いくつかヴォーリズの建物をご紹介。
大丸のシンボルといえば、ピーコック。これも、アリゾナ州にあるフェニックスという都市から・・。フェニックスは不死鳥ですが、日本ではそのイメージないので、孔雀にしたのだとか・・。美しいピーコックの装飾
学生になぜこの大学を選びましたか?とアンケートで尋ねると、キャンパスにあこがれて・・・という回答が一番多いそうです。
正門から入ると中央の緑の芝生が開け、一直線に甲山を背景とした時計台が見えてくる・・という視覚効果も狙った美しいキャンバスです。
「美が学園になった」と言われる神戸女学院
さて・・・映画のようなドラマチックなヴォーリズさんの生涯です。
海外伝道を目指して来日し、高校の英語の先生となったヴォーリズさんですが、愛される人柄ゆえに生徒からの信頼も厚く、放課後のバイブル(聖書)クラスには生徒が100人近くも参加。YMCAも高校初のクラブ活動扱いになり、ヴォーリズの貯金で立派なYMCA会館も建ちます。そうなると仏教色の強い町の反発は必至、教師を解雇されてしまいます。
その時の、教え子吉田悦蔵君とヴォーリズ先生の会話が泣けてきます。
ヴォーリズは、「私は、もう教師ではありません。私が八幡を去れば、京都の同志社や東京のYMCAは私を喜んで迎えてくれます。しかし、私は日本の琵琶湖畔に神の国の福音のために命を捨てたい。今、収入の道はありませんが、敢えて、信仰の冒険をやります。そして、我が身を湖畔の土に埋めましょう・・・。
吉田さん。学生の食料は一ヶ月寄宿舎で何ほどですか?」
吉田は驚いて返事した。
「四圓五十銭です」
「吉田さん、米と塩ばかりなら、一ヶ月一人の食料は何ほどですか?」
「飯と漬け物でしたら、まあ三圓五十銭くらいでしょう。」
「天の父様。私に毎月三圓五十銭ずつ与えてください。あなたがそれを保証してくださるなら、私は八幡に留まり、琵琶湖畔の伝道に一生を捧げます。」
海外伝道を決意したために、建築家になりたいという自分の夢をあきらめたのです。
彼は、解雇されましたが、その後、自分で設計建築や薬品(メンソレータム)、医療事業(病院)、教育事業と幅広い分野で活躍し、立派な仕事を遺しました。
もし、解雇されなかったら、・・・教育者として名を残すような先生になったか・・?あるいは、同志社大学などに引き抜かれたかもしれません。
でも、解雇されたからこそ、それ以上に豊かな仕事をなしとげ、多くの名建築を世に遺すことができたのです。
表を作ってみると・・・・解職後のヴォーリズの手がけた事業に驚き!
これは、自分の夢をあきらめてまで伝道に尽くそうとしたヴォーリズの心を汲んだ神様の一大転換計画であったように思われてなりません。
(彼の建物がどんなに使う人のことを思って作られているかは、次の項で紹介させてくださいね。)
ヴォーリズファンが増えると世の中はきっと優しくなります。(^0^)
彼の考えでは、「たとえ表面上、人種や国籍、習慣の違いがあっても、人間性そのものは共通である。誰に限らず、人間は一個の人格を備えた個人であって、みな(地球上の)同じ家族であり、兄弟」だからです。
発表は・・・・
「分かってもらえるように語る」には、量と流れの調整が必要。
あまりたくさんを注ぎ込もうとすると、えてして人の頭はオーバーフローを起こすものです。
量が多いのなら、注ぎ込みやすい形を話者の方で組み立てておくことが必要になります。
と、良いアドバイスをいただいていたのに、詰め込みすぎで、時間いっぱいになってしまいました。 大反省です。
それでも、終わりに会員の方からこんな献歌をいただきました。
献歌