かけがえのない「軍事同盟」って、なんちゅう日本語やねん…
かけがえのない「軍事同盟」って、なんちゅう日本語やねん…
う~ん、安倍ちん政権になってから、安倍ちんを筆頭に
政府首脳から発せられる日本語が「日本語でなくなってきてる」と感じてるんやけど
またまた出ました、「変な日本語」…
政府首脳から発せられる日本語が「日本語でなくなってきてる」と感じてるんやけど
またまた出ました、「変な日本語」…
米両院会議で安倍首相が演説へ 来月29日 (朝日:2015年3月27日)
米下院のベイナー議長(共和党)は26日、安倍晋三首相が4月29日に米議会上下両院合同会議で演説すると正式に発表した。日本の首相が米議会で演説するのは1961年に下院で池田勇人首相が行って以来54年ぶりで、両院の議員を前にした合同会議で演説するのは歴代首相で初めて。
ベイナー議長は声明で、日本を「最も関係の深い同盟国の一つだ」とし、首相の演説について「日米が経済や安全保障の分野の最優先課題でどう協力関係を拡大していくのか、米国民が考えを聞く機会になる」との考えを示した。
両院合同会議は主に国賓として招かれた外国の指導者らが演説する権威ある場で、イスラエル首相が最多で過去8回、韓国の大統領も6回実施している。日本の首相が合同会議で演説したことはこれまでなかった。~
◇
菅義偉官房長官は27日午前の記者会見で、「このかけがえのない日米同盟を発展させ、一層、国際社会の平和と繁栄に貢献していくメッセージと、戦後70年の我が国の歩みを世界に発信する絶好の機会だ」と語った。
いや…、その…、日本の首相として
はじめて安倍ちんが米議会上下両院合同会議で演説することに決まったから
首相を支える官房長官として高揚してはる気持ちもわからんではないねんけどね、管はん、
それにしても「かけがえのない日米同盟」って言うのは、日本語として「反則」やおまへんか…
(もし、ぼくが国語の先生やったとして、こんな文章を書く生徒がおったら、添削するで…)
そやかて、「かけがえのない」に続く言葉って、「人」とか「家族」とか「親友」とか
要するに「かけがえのない」(=この上なく大切な)対象ってのは、「人」やんか
(つまり、「かけがえのない」という言葉は、人(個人)がその主観的価値観に基づいて
自分の最も大切な「人」に対して使う言葉やん)
それやのに、日米安保条約という「軍事同盟」を「かけがえのない」って言うのは
そら、いくらなんでも、高揚しすぎ(≒アメリカにべんちゃらし過ぎ)やろ…
ぼくな、日本の歴代首相のなかで最も右翼で(→なので極右と言うてもええ)
人類共通の敵と言うても過言でない「歴史の書き換え派」の安倍ちんをして
日本で初の米議会上下両院合同会議演説をさせる…という、
アメリカ議会の意図がまったくわからんねんけど、
今まで最多の米議会上下両院合同会議演説をした政治リーダーがイスラエル首相やった…
なんてコトを聞くと、そんな場所で演説することに
いったいなんの(政治的)栄誉(価値)があんねん…と、素朴に思うで
それにぼくは、安倍ちん政権がこの演説を手に入れるためにアメリカに差し出す内容が
めっちゃ気になるねんけど、それはやっぱり、
(アメリカが望む形での)「TPP合意」+「安保法制」+「辺野古新基地建設」…
ってことになってるような気がして、ぼくはますます、米議会上下両院合同会議演説なんてものが
クソみたいなもんに思えてくるで…
※
それにしても、日本の与党や政府の口から「日米同盟」という言葉が出てこない日がないと思うくらい
あの人たちは、ことあるごとに「日米同盟」を念仏のように唱えてはるんやけど
改めて考えてみると、一国の外交政策の根本に「(アメリカとの)軍事同盟」を据えて、
とにかく、何事であってもそれを通して安保外交を組み立てていく…というのは
なんと歪な(極端な)外交政策やと思うで
(…と言うか、そんなん「政策」の名に値せえへんのと違う?)
そういう「硬直した思考」こそが、日本の外交の柔軟性(≒選択の幅)を奪うもんやと、ぼくは考えるけど
それは、アジアインフラ投資銀行への参加を巡るドタバタにも見て取れるやん
つまり、何事にも「アメリカの意思を忖度する」クセがついて、
「アメリカの影響力を過大評価する」クセがついてるから、
独立国なら当たり前の「独自外交」(自主的外交)を自ら放棄して、
とにかく「日米同盟」…という念仏語りになってんのと違うんかな…
はじめて安倍ちんが米議会上下両院合同会議で演説することに決まったから
首相を支える官房長官として高揚してはる気持ちもわからんではないねんけどね、管はん、
それにしても「かけがえのない日米同盟」って言うのは、日本語として「反則」やおまへんか…
(もし、ぼくが国語の先生やったとして、こんな文章を書く生徒がおったら、添削するで…)
そやかて、「かけがえのない」に続く言葉って、「人」とか「家族」とか「親友」とか
要するに「かけがえのない」(=この上なく大切な)対象ってのは、「人」やんか
(つまり、「かけがえのない」という言葉は、人(個人)がその主観的価値観に基づいて
自分の最も大切な「人」に対して使う言葉やん)
それやのに、日米安保条約という「軍事同盟」を「かけがえのない」って言うのは
そら、いくらなんでも、高揚しすぎ(≒アメリカにべんちゃらし過ぎ)やろ…
ぼくな、日本の歴代首相のなかで最も右翼で(→なので極右と言うてもええ)
人類共通の敵と言うても過言でない「歴史の書き換え派」の安倍ちんをして
日本で初の米議会上下両院合同会議演説をさせる…という、
アメリカ議会の意図がまったくわからんねんけど、
今まで最多の米議会上下両院合同会議演説をした政治リーダーがイスラエル首相やった…
なんてコトを聞くと、そんな場所で演説することに
いったいなんの(政治的)栄誉(価値)があんねん…と、素朴に思うで
それにぼくは、安倍ちん政権がこの演説を手に入れるためにアメリカに差し出す内容が
めっちゃ気になるねんけど、それはやっぱり、
(アメリカが望む形での)「TPP合意」+「安保法制」+「辺野古新基地建設」…
ってことになってるような気がして、ぼくはますます、米議会上下両院合同会議演説なんてものが
クソみたいなもんに思えてくるで…
※
それにしても、日本の与党や政府の口から「日米同盟」という言葉が出てこない日がないと思うくらい
あの人たちは、ことあるごとに「日米同盟」を念仏のように唱えてはるんやけど
改めて考えてみると、一国の外交政策の根本に「(アメリカとの)軍事同盟」を据えて、
とにかく、何事であってもそれを通して安保外交を組み立てていく…というのは
なんと歪な(極端な)外交政策やと思うで
(…と言うか、そんなん「政策」の名に値せえへんのと違う?)
そういう「硬直した思考」こそが、日本の外交の柔軟性(≒選択の幅)を奪うもんやと、ぼくは考えるけど
それは、アジアインフラ投資銀行への参加を巡るドタバタにも見て取れるやん
つまり、何事にも「アメリカの意思を忖度する」クセがついて、
「アメリカの影響力を過大評価する」クセがついてるから、
独立国なら当たり前の「独自外交」(自主的外交)を自ら放棄して、
とにかく「日米同盟」…という念仏語りになってんのと違うんかな…