沖縄関連…日本は「法治国家」ではありません

もと、ヤフーブログにあった五郎さんの別ブログです。

2015-04-01

沖縄関連…日本は「法治国家」ではありません

沖縄の名護市辺野古沖に、アメリカ軍が…と言うか、日本政府がアメリカ軍のために新しい基地を建設することを沖縄県が反対し続けている…というのは争いのない客観的事実です

しかしながら、この国の政府はそのような客観的事実(=沖縄県の民意)を無視して新基地建設に向けた作業を止めようとはしません

そして、沖縄県知事が出した作業停止の指示も、政府内の決定で効力を一時失わせつつ、沖縄県知事の指示の妥当性を今後数ヶ月間かけて審査する…ということです

が、今後数ヶ月間の審査中には、新基地建設の本格着工が予定されているので、これは単なる「形式的時間稼ぎ」に過ぎず、数ヶ月先に出るであろう審査の結論だって、所詮は同じ政府内での判断になるのだから、やはり、沖縄県知事の指示の妥当性を否定するものになるのは確実でありましょう

また、政府は沖縄県との行政訴訟も織り込み済みだそうですが、政府内の審査よりも長期間かかると予想される裁判の結果が出る頃には
やはり、新基地の建設は終わっていることでしょう


私はこのような政府のやり方は(沖縄の)民主主義に反する暴挙だ…と強く思うのですが

日本政府は自分たちの振る舞いについて「法に則っている」(から全く問題ない)と言います。
(それは、管官房長官お得意の「日本は法治国家であり」という言葉にも表れています)

しかし、「法治国家」というのは「法治主義」を採用する国家である…という意味であるところ、「法治主義」を「単に形式的に法に従って国が運営される」と解釈するのは遠い過去のことであり、現在の「法治主義」(≒法治国家)とは「法の内容や適用・運用に正当性があること」を当然の前提とするものです

この「正当性」とは「法的正義」とも言うべきもので、「法の内容や適用・運用が民主的であること、人権保障的であること」…が、「法治主義」の不可欠の要件となっているのです

とすると、沖縄県の意思(=民主主義)を無視した一連の日本政府の法適用(運用)は、非民主的で沖縄県民の人権を無視するものなので、それは到底「法治主義」の名に値せず、よって、日本は「法治国家」ではない…ということになります


法治主義」(≒法治国家)の主眼が人権保障にある…ということは
法治国家」になれないことで最も不利益を被るのは市民…ということです。

今回の問題に関しては、その不利益は沖縄県民に降りかかっていますが、日本が法治国家でないことによる不利益は、いつ誰に降りかかってもおかしくはないのです。

国の行為によって市民が理不尽な扱いを受ける…

そんなことが民主国家で許されていいはずがありません

今回の沖縄の基地問題は、日本の民主主義と法治主義が問われている…

そういう意味で、この問題を沖縄だけの問題にせず、私たちすべての問題として受け止めて、

沖縄県での新基地建設を撤回し、日本に真の民主主義と法治主義を実現すべきだと私は思います




※FNNが行った世論調査では、沖縄県知事辺野古作業停止指示を「評価する」が5割を超え、また、政府がとった対抗措置についても「適切だと思わない」が半数を超えたそうです

この結果を見て、ぼくは日本にはまだかろうじて民主主義がある…と思ったんですが、政府のやり方を支持する人も約4割いるそうなので、安心することなどできません


※この問題に関して、沖縄の地方紙である沖縄タイムズと琉球新報論説委員長が

全国の市民に対してメッセージを書いてはります

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/mzponta/20150401/20150401191506.jpg

このうち、琉球新報論説委員長のメッセージのタイトルは

「これが日本の民主主義か」となっていますが

このタイトルは正確には「これが本土の民主主義か」だと思います
沖縄の民主主義を本土の民主主義で上書きするなら、それは民主主義とは言いません。(それは「民主主義の否定」です)


※今日の朝日新聞の社説に、大事なことが書いてあったので紹介しておきます

(社説)政府と沖縄 捨て石にしてはならぬ (朝日:2015年4月1日)

 沖縄県翁長雄志知事が、米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古への移設作業を止めるよう沖縄防衛局に指示したことに対し、林芳正農水相が指示の効力を一時的に停止する決定を出した。

 沖縄の意見に耳を傾けることなく、ひたすら移設作業を続けようという政府の姿勢は「沖縄いじめ」とさえ見える。政府は行政手続きに血道を上げるのではなく、ていねいに沖縄との対話の道を探るべきだ。

 もとはといえば、沖縄防衛局が知事から許可を得た岩礁破砕区域の外に大型コンクリートブロックをいくつも沈めたことが発端である。県は当初、必要な手続きを取るよう防衛局に求めたが、防衛局は応じなかった。県はさらに現地調査ができるよう米軍との調整も要求したが、これも拒否された。翁長知事が岩礁破砕許可の取り消しに言及したのも無理からぬことだ。

 防衛局が農水相に提出した行政不服審査請求や、知事の指示の執行停止申し立てという手法はいかにも強引だ。本来は行政庁の処分で不利益を受ける国民を救済する制度。防衛局が申し立て、審査するのが同じ政府内の農水省というのも、公平性の観点から疑念をぬぐえない。

 翁長知事は農水省に意見書を提出した際、「沖縄県民の痛みを感じない、感じようとしない政府の姿勢があることを国民の皆様に知っていただきたい」と訴えた。

 今年は戦後の沖縄にとって節目の年にあたる。70年前の4月1日、米軍が沖縄本島に上陸を開始した。沖縄戦での死者20万人以上。本土防衛の捨て石とされ、県民の4分の1が命を落としたと言われる。

 普天間飛行場は当時、住民を収容所に移している間に米軍が建設したその返還のため、なぜまた同じ沖縄の辺野古が使われなければならないのか。

 
官房長官は再三、「辺野古移設は16年前、当時の県知事と市長が同意した」と口にする。だが当時の県知事、稲嶺恵一氏は15年の基地使用期限を条件とした名護市長の故岸本建男氏も、基地使用協定の締結などを条件に掲げた。現行計画にこうした条件はない。現行計画での移設容認を公約にして当選した知事も名護市長もいない

 辺野古移設こそ、唯一の解決策」と繰り返す政権に対し、県民からは「もう日本のための捨て石にはならない」との声が聞こえてくるようになった。これ以上、沖縄に基地負担を押しつけるやり方は、決して解決策と呼べるものではない

普天間基地は、アメリカ軍が沖縄を占領中に、住民を追い払ってつくったものです。そして、基地にされなかった場所に住民が戻ってきた結果、現在のように市街地のど真ん中に基地がある…ということになったのです。


ウヨくんたちは、基地周辺に集まってきた住民が悪い…と
本末転倒なコトまで言ってアメリカ軍の肩をもちますが

占領中に住民を追い払っている間に土地を侵奪したことは明確な国際法違反なので、
日本政府は沖縄県民の権利回復のために、アメリカ軍基地の純返還を求める大義名分がある一方で
アメリカ軍には、代替基地を要求する(それも同じ沖縄に…)資格などありません

(そういうのを「厚顔無恥」あるいは「盗人猛々しい」と言うんです)


また、日本政府が繰り返す「沖縄県の合意」は、

あくまでも「使用期限15年の代替基地建設容認」であって

「耐用年数200年の基地を使用期限を定めることなく建設する」という

現在の内容ではないので、そういうウソには決して騙されないで下さい

沖縄県は現在の計画に合意したことなどありません)