「バンドン会議60周年」晋ちゃんの空疎な言葉へのツッコミ!

晋ちゃんのたわごと…http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150424/p5

ちゃんの言葉って、どうしてこうも空疎…と言うか、

聞いてるこちらの胸にまったく響いてこないのでしょうか


いや、胸に響かない…なんていうよりも、ぼくにはそれが「たわごと」のように思えて仕方がないんです

で、しんちゃんの言葉がなぜ「たわごと」に聞こえるのか…と言えば

それは、しんちゃんの言葉には中身が伴ってないから…

つまり、言うてることとやってることが合致してないから…でありまして、

そういう言行不一致の人間がいかに美麗字句を並べようと、

それは、客観的には「たわごと」に過ぎないと思うのです


しんちゃん、アナタは今回も「バンドン会議60周年」という意義のある国際会議の場で

中身の伴わない空疎な言葉を発しましたね

そもそも「バンドン会議」はアジアやアフリカの「非(軍事)同盟中立国」の集まりであったはずで

そこに「日米安全保障条約」という二国間軍事同盟を固く結んでいる国の首相が

ノコノコ出かけて行って演説をする…というコト自体が、

ぼくにはなんともいえない違和感があったんですが

それでも、その場で誠実な態度をもって中身のある言葉を発するなら、演説をする意味もあったでしょう

しかし、しんちゃんの演説をきいていると、「また空疎な言葉を並べてる…」と、

ぼくは脱力感…というか、呆れ…を感じてしまうのです


しんちゃん、余計なお世話かも知れませんが、以下、ぼくの脱力感…というか、

ぼくが呆れた理由を並べておきますので、よかったらしんちゃんのこれからの演説の参考にしてもらって

もうええ加減に、世界中で空疎な言葉を並べるのは、止めにして頂きたいと思います…


(では、ここから、しんちゃんの演説の一部を引用しながら、ツッコミを入れたいと思います)

アジア・アフリカ諸国の一員として、この場に立つことを、私は、誇りに思います。

ぼくには、明治以降現在に至るまで、日本政府が「脱亜入欧」の掛け声のもとで

「アジアの一員」であることから目を背け、なんとか「アジアから脱したい」と行動してきたとしか思えないのですが、

本当にしんちゃんは「アジア諸国の一員」であることを「誇りに思っている」のでしょうか…?

(ぼくには、しんちゃんたちが「アジアからいかに離れているか」…を
 誇りにしているとしか思えないのですが…)

多様性を認め合う、寛容の精神は、私たちが誇るべき共有財産であります。

しんちゃん、あなたはアジアとアフリカと日本を「私たち」と、勝手にまとめていらっしゃいますが

少なくとも現在の日本には「多様性を認め合う寛容の精神」なる財産があるとは思えません

(逆に、しんちゃんたちは「多様性を認めない偏狭の精神」をもってるとしか思えません)

戦後、日本の国際社会への復帰を後押ししてくれたのも、アジア、アフリカの友人たちでありました。

これまた、しんちゃんは、不思議なことを言ってますね

だって、戦後、敗戦国日本の国際社会への復帰を一番後押ししたのは、

当時の冷戦下で日本を西側の一員として機能させたいと考えたアメリカだったじゃないですか

(それに、日本にいったい、いつ「アジアやアフリカの友人」がいたと言うのでしょうか?)

60年前、そうした国々がこの地に集まり、強い結束を示したのも、歴史の必然であったかもしれません。先人たちは、「平和への願い」を共有していたからです

はい、ここはその通りだと思います

バンドン会議の中心になったのは、長く(日本を含む)外国の支配に苦しみながらも、

多大な犠牲を払ってようやく独立を手にした「非同盟中立国」だったのですからね

(彼らはきっと、どの軍事的枠組みにも入らないことを平和への手段だと考えていたのだと思いますよ)

 強い者が、弱い者を力で振り回すことは、断じてあってはなりません。バンドンの先人たちの知恵は、法の支配が、大小に関係なく、国家の尊厳を守るということでした。

「強い者が弱い者を力で振り回すことは断じてあってはならない」…それは正しいと思います

しかしながら、(世界一)強い国アメリカと軍事同盟を結んでいるということは、

イコール「自分が強いものの側に回る」ということであり、

そのような「力の論理」が幅をきかせることがないようにする…というのが

バンドン会議を主催した先人たちの目指すところだったはずなんです

(しんちゃんは、どこまでも、自分の国の姿を客観視できないようですね…)


そして、「法の支配…が国家の尊厳を守る」…ですか

「法の支配」(≒立憲主義)のことを、「絶対王権の時代のもの(=過去のもの)」だと言い放ち

「最高責任者は私だ」と言って憲法の制約を現在進行形で破っているアナタがそんなことを言うのは、

いくら何でも「面の皮3メートル…」という話なのではありませんか?

 卑劣なテロリズムが、世界へ蔓延(まんえん)しつつあります。テロリストたちに、世界のどこにも、安住の地を与えてはなりません。

しんちゃん、アナタが言うところの「テロリズム」なるものは

日本の同盟国であるアメリカが武力行使をするたびに、世界に拡がっているのです

そして、アナタは、法の支配をモロともせず、憲法の制約を破って集団自衛権行使を認め

これからは地球の裏側までも出かけて武力行使をする…と宣言しているわけですが

これは、「アメリカと協力して」テロリズムを世界に蔓延させることに繋がるのではないですか?


そして、しんちゃん、アナタは自分が「絶対善」であることを暗黙の前提にして

アメリカに敵対する誰かさんに「テロリスト」という安易なレッテル張りをしていらっしゃいますが、

ぼくは、そんなしんちゃんに

「(人類共通の敵たる)歴史修正主義者たちこそ、世界のどこにも、安住の地を与えてはならない」

…と言いたいです

「侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない」 

国際紛争は平和的手段によって解決する」

 バンドンで確認されたこの原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国であろう、と誓いました。

しんちゃん、アナタが成立を目指す安保法制の中身は

集団的自衛権の名の下に、アメリカと協力して遠く中東(やアフリカ)まで出て行って

武力行使をする(→例えば、機雷掃海)ということを含んでいるはずなのに

武力行使によって他国の政治的独立を侵さない、国際紛争は平和的手段によって解決する」という原則を

いかなる時でも守り抜く…と言うのですか?

(国際会議の場で、これほど真逆のコトを言ってのけるとは、聞いてるこっちが卒倒しそうです…)

 そして、この原則の下に平和と繁栄を目指すアジア・アフリカ諸国の中にあって、その先頭に立ちたい、と決意したのです。


 そして、この原則の下に平和と繁栄を目指すアジア・アフリカ諸国の中にあって、その先頭に立ちたい、と決意したのです。
しんちゃん、アナタはなぜにこうも「先頭」にこだわるのでしょうね…

(ぼくは、誰も日本が先頭に立つことなんて期待していないし、望んでもいないと思いますよ…)

60年前、インドの農家と共に汗を流し、農機具の使い方を伝え、スリランカの畜産者たちを悩ませる流行病と共に闘うことから、私たちはスタートしました。


そして、アジアからアフリカへ。日本が誇るものづくりの現場の知恵や職業倫理を共有してきました。エチオピアでは、「カイゼン」のトレーニングプログラムにより、生産性が大幅に向上しています

しんちゃん、アナタはこういう「自画自賛」演説がとってもお好きなようですが

毎度毎度こういう「恩着せがましいコト」を言って、恥ずかしくはないのでしょうか…

(ぼくだったら、そんなマネは到底できません)

アジア・アフリカはもはや、日本にとって「援助」の対象ではありません。「成長のパートナー」であります。

この言葉だって、なぜ、ここで「援助」という言葉を挟む必要があるんでしょうか…

(「今や、アジア・アフリカは日本にとって「成長のパートナー」であります」と言えば済む話じゃないですか)

オープンで、ダイナミックな市場をつくりあげ、そのフロンティアを、子や孫にまで、繁栄を約束する大地へと変えていかねばなりません。TPP(環太平洋経済連携協定)、RCEP(東アジア包括的経済連携協定)、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)は、更にアフリカに向かって進んでいく。

またしても、しんちゃんはいい加減なことを言ってますね

TPPやRCEP、FTAAPというのは、「囲われた中での貿易自由化」の話で

それぞれの枠組み自体は「外に向けて閉じている」のですから、

これらの枠組みを「オープンな市場」の例として挙げるのは間違っていると思いますよ

成長を牽引(けんいん)するのは、人材です。それぞれの国の多様性を生かすことは、むしろ力強いエンジンとなるはずです。日本は、女性のエンパワーメントを応援します。手と手をとりあって、アジアやアフリカの意欲あふれる若者たちを、産業発展を担う人材へと育てていきます。

しんちゃん、人のことを「材」と表現するのは、もう止めにしませんか?

ぼくは、人を「人材」と捉えるのは、国主体の(国が主人公)の古い考え方だと思いますよ

(つまり、市民をして、国(の産業発展)を担う存在…と捉えることは国の論理であり、
 市民が主人公の現代にはそぐわない考え方だと思うのです)

加えて、しんちゃんの、アジアやアフリカの人材を「育てる」という言い方も非常に気になります

だって、さっき、しんちゃんは、アジア・アフリカが

日本の「パートナー」だと言ったばかりじゃありませんか?

(パートナーって「対等の関係」を表す言葉じゃなかったんですか?)

アジア・アフリカの成長を、一過性のものに終わらせることなく、永続的なものにしていく。その決意のもとに、日本は、これらの分野で、今後5年で35万人を対象に、技能の向上、知識習得のお手伝いをする考えです。

ぼくは、アジアやアフリカの人々に、「技能の向上や知識習得の手伝いをする」よりも先に

しんちゃんに是非してほしいことがあるんです

それは、「技能実習」の名目で外国人を「安く長く厳しくこき使う」ことを一刻も早く止めること…です

しんちゃんは、日本が「アジアやアフリカの人材を育てる」と言っているけれど

日本が「外国人技能実習制度」でしていることは、「外国人を使い捨て」にすることとしか思えません

(つまり、「(日本の進んだ)技能を習わせ人材育成してあげる」…と、「外国人のため」を装いながら
 その実際は、外国人を「自分たちの利益のため」に利用しているだけ…なのですからね)

だから、しんちゃんに、「35万人を対象に、技能の向上、知識習得のお手伝いをする」と言われても

ぼくは、それが「日本のために外国人に『手伝いをさせる』」ことになるんじゃないのか…

なんて心配をしてしまうのです



そう言えば、バンドン会議50周年のときには、当時の小泉首相

戦後60年談話の下敷きとなる演説をしたんでしたね

あのときの演説では、周辺諸国に日本の真摯な反省を印象づけた「村山談話」のキーワードがほぼそのまま用いられ

戦後60年談話にもそれが引き継がれたんでしたね

じゃ、今回のしんちゃんの演説で、過去の戦争のことに触れた部分は…と探してみると

「日本は、先の大戦の深い反省と共に…」という一文があるだけでした

そして、しんちゃんは戦後の日本の歩み…その歩みのなかでも、

各国に援助や指導をしてきたこと…を、くり返し述べていたんだけれども、

しんちゃんは戦後70年談話でも、過去のことはあっさり流して

そういう「自慢話」に終始するつもりなんでしょうか…



※しんちゃんが、申し訳程度に話の途中に挟んだ「日本は、先の大戦の深い反省と共に…」という言葉ですが

しんちゃんやしんちゃんの内閣の大臣やしんちゃんの属する自民党の大勢の国会議員たちが

先の大戦をまったく反省してない(…どころか、正当化してる)」靖国神社への深い共感を示しているのは

やはり、「先の大戦をまったく反省してない」からこそできるコト…ではないですかね?

(こういう言行不一致は、被害国から見て本当に不誠実極まりない態度であると思います…)



※最後に、しんちゃんの「駄々っ子ぶり」についての、ひとさまのtweetを紹介しておきます…
村山談話河野談話を引き継ぐと何回も言っている、だからわざわざ書く必要はない」て、えらいムキになって言うてるけど、引き継ぐなら書けるでしょ?って話よね、コレ。そんな言い訳でいったいどこの誰を騙せると思ってるんだか◯◯首相。
しんちゃんの「全体として引き継ぐ」という言葉の意味は「肝心な部分は引き継がない」ということのようで、

結局、しんちゃんが引き継いでるのは、10年ごとの節目に談話を出すという形式だけ…ということのようですわ

侵略もお詫びも言いたくないけど談話は出したいという安倍。メッセージの受け手がどう思うかを完全に無視して自分だけの自己満足の論理をひたすら繰り返すのが安倍らしいところ。批判されたらそれは誤解だの曲解だのと言うだけ。史上最低の総理。どうしようもない
談話は誰のために(誰に向けて出すのか)…ということにほとんど気を配らず

自分が心地よいと思う言葉を発したい…という個人的願望を優先する人って

常識的に考えて、「公人」(それも国のトップ)は務まりませんわね…

(ってことは、日本は今、政治の世界で常識が通用しないってことになってるのね
…)