自民改憲草案 権力でなく国民を縛る
<揺らぐ立憲主義>自民改憲草案 権力でなく国民を縛る
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◆権利より義務盛り込む
中堅のC社は、かつて社長のワンマン経営で有名だった。だが、「会社のため」という経営者の言葉で従業員の健康や暮らしがないがしろにされないようにと、前社長の時に社員の権利をきちんと盛り込んだ労働協約をつくり、自由な社風に生まれ変わった。
ところが、最近、新しくDさんが社長になると、この協約を変えようと言いだした。Dさんは「従業員の義務についても、きちんと書き込みたい。社員が愛社精神を持つことも協約に入れる」と主張。従業員たちは「労働協約は労働者を守るもの。経営者を守るものではない」と反発。自由な社風もかすんでしまった。
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憲法は国家権力を縛り、国民の自由な生活を保障する。
C社のように、権力(経営者)が勝手に国民(従業員)の権利を制約したり義務を課せば、憲法に縛られているはずの権力が逆に国民を縛ることになる。
今の憲法にも義務は三つある。勤労、納税、子どもに教育を受けさせる義務だ。ただ、教育を受けさせる義務は教育を受ける子どもの権利と表裏一体。勤労、納税の義務も必ずしも強制とはいえない。もし、強制ならお年寄りや病気で収入がなくても、税金を納めないといけなくなるが、それは求められていない。
これらの義務に強制力があるとは書かれていないが、憲法が定める国民の自由や権利に「公益及び公の秩序に反してはならない」と新たな制約を課した。
今の憲法でも、自由と権利は野放図には認められない。大きな音で音楽を聴きたい人、その隣の家には静かに読書をしたい人…。互いの自由がぶつかれば憲法が定める「公共の福祉」を理由に制限される。ただ、この考え方はお互いが譲り合うことで、他者の人権を認めるというのが基本だ。
しかし、改憲草案は「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に置き換え、人権よりも高い価値を与えた。自民党も「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」と、政権の判断で国民の自由や権利は制限される場合があると認める。
「権力が好きなことをして、国民の自由はどんどんなくなっていく。社会は息苦しくなる」
★今の政治の動きを見ると・・国民の自由がなくなる程度のものでは決して済みません。