昨今、この国に流行るもの…それは「勘違い政治」

6月22日

昨今、この国に流行るもの…それは「勘違い政治」

安倍首相は、戦争法案を出したことに関連して

「国際情勢にも目をつぶって従来の(憲法)解釈に固執するのは、政治家としての責任放棄だ」と言うてます

しかし、素朴に考えて、市民が頼んでもしていないし必要ともしていないことを強行することは

政治家の責任でも何でもなく、これは「責任」という言葉の誤用でしかありません


そう言えば、大阪でも「リトル安倍」のような政治家…というか、政治屋がいて

その人もやっぱり、市民が頼んでもしてないし望んでもしてないことを

「アナタたちのためだ」と言いながら強行しようとしたことがありました


ぼくは何でも素朴に考えるのが信条であるところ、

政治家の「責任」とは、「市民の暮らしを守ること」であると思ってるんです

(だから、選挙で選ばれた人たちは市民の暮らしを全力で守ってもらわんといけないんです)


市民が望んでもしないし必要ともしていないことを、その内容の説明もそこそこに

「アナタたちのためになることだ!」と叫びながら強行するのは

単なる「押し売り(政治)」に過ぎません


押し売りが、市民生活を脅かすものであるように、押し売り政治もまた市民生活を脅かすものでしかない… それは、ごく当たり前のコトだと思います)


衆院の委員会で自公と維新が賛成して可決されてしまった派遣法の改悪は、

いったい、どこの市民が望んだもので、どこの市民が必要としたものだったんでしょうか


そして、今、安倍政権が成立に血眼になってるあの「戦争法案」は

いったい、どこの市民が望んだことで、どこの市民が必要としたものだったんでしょうか



繰り返しますが、「余計なことをしたり」「してはいけないことをする」のは

政治家の「責任」とはまったく関係のない話です

(そんな「責任」の取り方は誰も望んでいません…)




※ところで、「変化する国際情勢」が憲法無視の根拠になるのなら、

早晩、「変化する国内情勢」も憲法無視の根拠になることでしょう

かくして「権力者が守らなければならない決まり事」たる憲法

「権力者が情勢の変化を口実にすれば守らなくてもよいコト」になる…

それは、憲法憲法でなくなること(=単なるお飾りになること)を意味するわけですが

21世紀になって(実質的意味の)憲法を持たない国になる…というのは

世界的に見ても稀なことでありましょう