「大学は人格形成をするところ」ー講演「高尚なる同志ーヴォーリズと新島襄」より
「大学は人格形成をするところ」
2015/06/27 講演「高尚なる同志ーヴォーリズと新島襄」より
今の日本の大学のあり方、日本の国家としての立ち位置を考えさせられる内容でしたので紹介させていただきます。
ヴォーリズの回想
「私は1902年(明治35年)、滋賀県、近江八幡に来てそれから10日後、同志社を訪ねました。
日本の知識と言ったら、ニーシマ(新島)と、同志社だけ、それが近江八幡のすぐ近くの京都にあることを知り、たまらなくなって訪ねたのです。・・・中略・・・
同志社の性格は、そのとおりワンパーパス。(同志社=One Purpose Company)です。そこに詩想の根拠をおいて(校歌を)書きました。3節までは、(それぞれの末尾に)神のため、同志社のため、祖国のため、(For God、For Doshisya and Native Land)と歌ったが、最後の4節において、世界同胞のため(For God, for Doshisya ,and Brotherhood)と歌いました。
同志社のためには、広い世界の物の見方がほしいとの念願からです。・・・だから、合唱するときは、必ず4番まで歌ってください」 「ワンパーパスの回顧・・・校歌作詞の事情」
1,心の教育
その志とは(Lofty aim=高尚な志)の同志が創る学園であり、新島は19世紀から、
心の教育(精神教育)が大切だと言ってきた。
2、「平和」を希求 (平和主義)
世界人類をつなぐ平和の使者として、世界人類は兄弟(兄弟主義)であると主張
<リベラル・アーツ教育の必要性>
*リベラルアーツ・・・自由な心や批判的知性の育成を目的とした大学の教養教育課程
▼アメリカの大学はカレッジとユニバーシティに分かれる(日本は殆どユニバーシティ)
リベラルアーツはカレッジであり、人作りを中心に一般教養を4年間学ぶ
リベラルアーツカレッジが、日本で学校を作る事業のモデルとなる
新島の大学は、1年50人田舎で全寮制。生徒と先生が合宿
人格や心の教育は、共に暮らし、人格と人格が触れあう中で人作りをする
アメリカの大学は人を作り、その上で専門教育をする
アメリカではリベラルアーツカレッジに優秀な人が多い
(日本でこの流れをくんでいるのが、I.C.U)
*アーモスト大学の学生は今でも1700人を切っている。学生を増やさず、大学院も作らない。
教授の数は多く、学生に手をかけて、人間作り教育をしている。
*同志社は今はユニバーシティになっている。
学生の数が多すぎ、大人数の大学では人間作りなど、とても無理である。
全寮制も無理で、日本は寮教育に理解がない。
*人格や心の教育は、共に暮らし、人格と人格がふれあう中で人格作りがなされる。
↑↓
日本は知識の教育にのみ重点を置いている(人間作り教育を考え直すべき)
ヴォーリズと新島は、
円満な人格形成と、知育、徳育、体育と幅広い教養教育を目指した。
(ヴォーリズは、YMCAの精神・・・心、知性、体が全人的に成長を願うを生かそうとした)
<自由人の育成>
新島は、自由な国で、自由な教育を受けたいとボストンに行き8年間留学
クリスチャンファミリーの下で、暮らし、改宗派のミッショナリーから日本へ遣わされた。
8年間のアメリカ生活で自由人に作り変えられて横浜に帰ってくる。
それ故、新島の大学設立の思いは自ずとわかる
→自由人教育システム リベラルな人間をつくるためにアーツを学ぶ
いまだに、同志社はリベラルな大学と言われている
近江兄弟社学園もそのようなリベラルな教育を受け継いでいる
(ヴォーリズも新島と同じ思想で同じ教育を思っていた)
自分の考えで立ち、歩み、その根本はキリスト教主義に基づく
*聴覚が落ちてしまったため、友人のノートを元に記事作成しました。
わかりにくいところ、ご容赦願います。
最後に・・・
★★同志社は不滅だろうか?←すぐつぶれます・・と仰る先生!?
えっ??と、びっくりしたのですが・・・同志社の今の問題点をお話の中から拾ってみると
① 少人数の学生と先生が人格と人格がふれあう中で人間作りがなされる・・
同志社は、そんなカレッジが理想であったのに、今は大人数をとるようになってしまった。
なぜか、この最後の部分は、先生の嘆きのようなものを感じました。
もしかすると、例の村田学長のことを嘆いていらっしゃったのかも・・?(私の勝手な憶測)
★村田学長は・・・・・
①自己推薦枠での人数を3倍に増やし、人作るよりも金儲けの方が大事なのかという非難があること
②新島の平和主義や、リベラルな人間作りをする思想とは相容れない右翼的思想の持ち主であること
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まとめ
大学は人格教育の場である。少人数で共に暮らし(全寮制が理想)
先生と生徒の人格がふれあう中で人格形成される
感想
大学は人格作りの場であるという話を伺うと、安倍総理の指導の下で、国立大学から文系と教育学部系を廃止の動きがあることを思い出しました。すぐに仕事に役立つ理系を増やす目的だそうですが、大学を職業学校化しようという企てに、大変危機感を感じます。
そうでなくても、知識偏重の日本の大学なのに、大学が理系の職業学校化してしまったら・・・大学の人間教育という目的はどうなるのでしょう。
文系は社会の役に立たない?すぐに金にならないから不要?そうでしょうか?
文系は考える力、哲学などを学び、いわば人格を育てるところです。安部総理は、この大切な部分を無駄なものだと切り捨てようとしているのです。大学は、自由な心や批判的知性の育成をめざすもので、政府や企業にすぐに役立つ(すぐにお金になる)理系の人間を作る場ではありません。本来、そのような視点からは遠いはずの大学まで、経済的価値観で測られ、文系を切り捨てようとされるのは日本の知性の損失であり、悲しいことです。
科学者を養成するにも、人格教育は必要です。さもないと・・原爆や核兵器、毒ガス、武器など人間にとって負のものに対しても、何のためらいもなく作り出す科学者になるかもしれません。
「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という言葉、ガンジーの七つの大罪などが語られます。小出先生は科学者ですが、よく本を読まれ、心が豊かに耕されている方なのだと思います。彼らの生き方や言葉、いわば、文系の部分が、小出先生の科学者しての信念と生き方を支えているものと思われます。
大学は人格教育の場・・円満な人格、リベラルな考え方を作る場としてあるのだという考え方
に共感しました。国立から文系がなくなっていくと、私学の果たす役割も変わっていくでしょう。
理系廃止が日本の知性の崩壊にならなければいいのですが・・・・
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