言わねばならないこと<特別編>憲法 踏み外していないか 憲法学者・長谷部恭男氏
<特別編>憲法 踏み外していないか 憲法学者・長谷部恭男氏
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集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法制。国会審議を重ねるほどに疑問は浮かび、廃案を求める声が広がった。安保法制の問題点は何か。本紙が掲載を続けてきた「言わねばならないこと」の特別編として、各界の第一人者に聞いた。
論点は六つ。安保法制は歴史的にどんな意味を持つのか。政府は安保法制は「憲法の枠内」で、安全性が高まると主張する。それぞれ本当か。国会審議では言葉が尽くされたのか。なぜ多くの市民や若者が反対の声を上げたのか。その声に、政府は耳を傾けたのか。
◆審議するほど違憲明確
安全保障関連法制について「従来の憲法解釈の基本的論理は維持されている」という政府の主張には問題点がある。
「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」というのも、具体的説明がない。国際的なシンクタンク「経済平和研究所」による二〇一五年の平和と安全ランキング(Global Peace
Index)では、日本は四年連続で第八位。本当に環境が厳しくなっているなら、限られた防衛資源を世界中にばらまいて、米軍をお手伝いするのは愚の骨頂だ。
他国軍支援についても、弾薬の提供や発進準備中の航空機への給油は、明らかに憲法上禁じられてきた他国との武力行使の一体化に当たる。政府も説明できていない。安保法制は審議が進むほど、憲法に違反することが明確になっていった。
政府・自民党は、安保法制を違憲とする多くの憲法学者の意見に対し「字面にこだわっている」などと言ってきた。「あの人たちの言うことを聞かないでください」と言っているだけ。反論できないということを態度で示している。
安倍政権は、内閣法制局長官の人事にまで手を突っ込み、集団的自衛権の行使はできないと何度も何度も繰り返し確認されてきた政府の憲法解釈を、時の政権が変えられることにしてしまった。これは大変な問題だ。「立憲主義」の最低限の意味は、憲法によって政治権力を縛ること。その意味を政府自体が変えられるというのは、立憲主義に対する正面からの挑戦としか言いようがない。
九条を正々堂々と変えるという話なら、こんな大騒ぎになっていないが、九条を変えてまで今回のような法律を導入する合理性も必要性もないと思う。
これからどう戦っていくか。最後は政権を変えるしかないと思う。今回の安保法制を廃止する法案を提出して成立させるだけでは駄目で、集団的自衛権行使を容認した閣議決定を「間違っていた」と、元に戻してもらわないといけない。
国会前などの抗議行動に出かけているが、何の組織・団体に動員されたわけでもなく、何万人もの人たちが自発的に集まっている。まだまだあきらめたものではないと思う。集会だけではなくて、次は選挙にも行って、おかしな政権を倒さないといけない。