2015-10-07 ノーベル賞博士という肩書き以上の大村智さんの生き方 良いお話♪ #練習用 先日、ノーベル医学・生理学賞を受賞した、大村智さん。 彼が無償で多くの人を助けることができるのは、その生き様にありました。 遅刻してきた生徒の手を見てハッとした ノーベル賞博士、大村さんの人生を変えた瞬間 ノーベル賞大村智 http://grapee.jp/wp-content/uploads/16642_main2.jpg 出典:Professor Satoshi Omura シェアする ツイートする 先日ノーベル医学・生理学賞を受賞した、大村智さん(80)。 ノーベル医学・生理学賞を大村智さんが受賞!無償で10億人を救う! 大村さんが、無償で多くの人を助けることができるのは、その生き様にあります。 人生の指針になった教え 1935年7月12日、山梨県北巨摩郡神山村(現・韮崎市)に生まれた大村さん。農家の長男に生まれた大村さんは、「日が出ているときは家にいるな」と、勉強する暇もなく朝から晩まで兄弟で家の手伝いをしていたそうです。 仕事が忙しかった両親に代わって、面倒を見てくれてたのが祖母。 「とにかく人のためになることを考えなさい。」 と、繰り返し繰り返し教えられていました。その教えが、後の大村さんの人生の指針になります。 人生を変えた瞬間 大村さんは、地元の山梨大学を卒業後、理科教諭として東京都立墨田工業高等学校定時制に勤務していました。当時は今ほどの熱量はなく、夢や希望を持って行動するタイプではなかったそうです。 しかしある日、期末試験に遅刻してきた生徒の手を見てハッとします。 大村さんがハッとした理由 それは、その生徒の手が油まみれだったからです。 大村さんが教諭として働いていたのは夜間の工業高校だったため、生徒のほとんどが近くの工場で働いてから勉強に来ていました。 その必死な姿に、 「自分は何をやっているんだ、このままではいけない。もっと勉強して、人を助ける人間にならなければ!」 と感じたことが、人生を変えるキッカケになったそうです。 それから大村さんは、昼間に研究をし、夜は教員の仕事。休む間も無く過酷な日々を過ごしました。 ゴルフ場で奇跡の大発見 取り憑かれたように研究に精を出した大村さん。色々な所へ行くたびに土を持ち帰り、微生物の研究に励んでいました。 http://grapee.jp/wp-content/uploads/16642_04.jpg 出典:Professor Satoshi Omura そして1975年、寄生虫によって引き起こされるオンコセルカ症(失明の原因となる感染症)などの特効薬「イベルメクチン」のもととなる「エバーメクチン」を発見しました。 発見したのは、静岡県の川奈ゴルフ場でした。 http://grapee.jp/wp-content/uploads/16642_05.jpg 出典:Professor Satoshi Omura 普通の人ならば、ゴルフ場の土を持ち帰って調べることなどありません。大村さんの研究者魂と、「人の役に立ちたい」という熱い想いが今回のノーベル賞に繋がったのでしょう。 研究費は自分で稼ぐ イベルメクチンが実用化された当時、「特許を売ってほしい」という製薬会社の申し出を断り、大村さんはイベルメクチンを10億人以上に無償配布しました。 にもかかわらず、役立つ物質を提供して「売上の何%かをもらう」契約を結び、今日までその契約は続いています。このような契約を結んだのは、大村さんが日本人では初めてとのこと。 目の前のお金に手を出さず、先のことを考えて決断した大村さんは、起業家の才能もある人物なのです。 大村さんは、人にお金を出してもらって研究するのではなく「自分がこうと決めた道であるなら、研究費は自分で稼ぐ」という考え。 自分のための財を増やすのではなく、人の役に立てる研究をするために財政知識を養っています。 このワクチンを人に対しては無償で提供できるのは、大村さんの賢明な判断があってこそなのです。 盲目の大人を導く子供の像 大村さんが名教授を務める北里大学の北里研究所前には、大村さんの功績を讃えた像が建っています。それがこちらの「盲目の大人を導く子供の像」です。 http://grapee.jp/wp-content/uploads/16642_01.jpg 出典:Professor Satoshi Omura ブルキナファソの彫刻家によって造られた像は、「こういう人たちを助ける人間になってほしい」という気持ちで北里大学に飾られています。 http://grapee.jp/wp-content/uploads/16642_07.jpg 出典:Professor Satoshi Omura 北里大学に通う生徒たちは、この銅像の意味は知っていたが、大村さんが建てたことはあまり知られていなかったようです。 今の自分があるのは妻のおかげ ノーベル賞受賞後、大村さんが一番最初に喜びを伝えたい人…それは16年前に亡くなった最愛の奥様でした。 今ほどお金がなく一番苦しい時代に、『あなたはノーベル賞をもらう』と、家計を切り詰め支えてくれた奥様。「妻がいてこそ今の自分がある」と大村さんは語っています。 「成功した人は失敗を言わない。でも人より倍も3倍も失敗している。」 これは大村さんが記者会見で残した言葉。人より何倍も失敗して、それでも立ち上がって前に進めたのは、支えてくれた人がいたからなのでしょう。 http://grapee.jp/wp-content/uploads/16642_08.jpg 出典:Professor Satoshi Omura 研究者の鑑でありながら、その謙虚さと年齢を感じさせない熱意。 大村さんの生き様ひとつひとつに、ノーベル賞博士という肩書き以上のものを感じさせられました。 「私よりも微生物にノーベル賞を。」 ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智氏の「偉人伝説」を紹介している 薬剤「イベルメクチン」を無償提供し、数千億円に値するという特許権を放棄 薬関連の特許料約250億円も、大半を研究助成や病院建設などに使ったという 【ノーベル賞受賞】大村智氏の偉人伝説 数千億円相当の特許権放棄 2015年10月7日 7時0分 東スポWeb http://image.news.livedoor.com/newsimage/d/b/dbed6_1399_e924e199_d47ce1b1-m.jpg 写真拡大 すごいのは新薬の研究だけじゃなかった!! 本年度のノーベル医学生理学賞に大村智・北里大学特別栄誉教授(80)ら計3人が選ばれた。感染すると失明の恐れもある寄生虫関連病の治療薬を開発し、2億人以上の患者を救ったことが評価された。趣味は美術品収集で、2007年には山梨・韮崎市に「韮崎大村美術館」を自腹で開館。ン億円は下らない約2000点のコレクションとともに市に無償で寄贈した。慈愛の精神にあふれ、5日に行った記者会見でも珠玉の名言を連発。人は大村氏を「伝説の男」と呼ぶ――。 12年にノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥氏(53)をして「ものすごい先生」と言わしめた大村氏とは、一体どういう人なのか。 受賞の決め手となったのは、寄生虫による感染症の治療法の発見。大村氏は、静岡県のゴルフ場の土壌で見つけた細菌の作り出す物質が、寄生虫に効果があることを発見。1973年からメルクと共同研究し、その物質から薬剤「イベルメクチン」を開発した。 この薬は、重症の場合に失明することもある熱帯病の「オンコセルカ症(河川盲目症)」や、「リンパ系フィラリア症(象皮症)」の特効薬となり年間3億人が使用。世界保健機関(WHO)は、2020年代にいずれも撲滅できると見込んでいる。しかも大村氏はWHOを通じ、10億人以上にイベルメクチンの無償提供を行い、特許権を放棄。所有していれば、数千億円が転がり込んできてもおかしくはない。 このほか薬関連のロイヤルティーから得た250億円も本人は「食べるだけで十分」と大半を研究助成や病院建設などに使い、残りを上村松園や三岸節子など日本画家を中心とした美術品の収集に充てた。 07年には生まれ故郷の山梨県韮崎市に新築の美術館を建設。「大村コレクション」と呼ばれる美術品2000点とともに市に丸ごと寄贈した。 同美術館の担当者は本紙に「先生は『芸術品は自分で持っていても意味はない。子供たちに見せてあげることで初めて価値がある』とおっしゃっていました。研究室では厳しいようですが、ここに来る時は温厚で、館長だからといって偉そうにイスに座っていることはなく、来館者やスタッフと触れ合っています」と話す。寄贈した大村コレクションの総額は優に億単位という。 この日に行われた記者会見でも、人柄がにじみ出ていた。大村氏は1970年代から各地で土を採取して微生物を分離・培養し、その微生物が作る化学物質に有用なものがないか地道に調べてきた。 大村氏は受賞の感想を聞かれ「微生物の力を借りてここまでやってこれました」とキッパリ。若者に向けアドバイスを求められると「この道を行くと大変だと分かっていたら、そこに向かいなさい。そうすれば楽しい人生になる」と力説した。 このほか「失敗を恐れてはいけない。成功した人は失敗を言わないだけで、普通の人の2~3倍はしているから」「人のマネをしたら、その人は超えられない」など、偉人ならではの“名言”を次々と残した。 大村氏は東京都立墨田工業高校定時制の教師から研究者になった異例の経歴の持ち主。その転機になった出来事についても「定時制高校の学生は直前まで工場で仕事をしている。学校に来る時はすでに疲れていたり、手がオイルまみれだったりする。それなのにきちんと学校に通う姿を見て『自分は何やってるんだ。もっと勉強しないといけない』と感じた」と即答した。 過去の失敗や苦労に感謝し、特許権を放棄してまで社会貢献に尽力する大村さんは菩薩か、はたまた現代のガンジーか、マザー・テレサか…。 北里大学の後輩教授は「日本の地方の一大学にすぎない北里大学から、ノーベル賞受賞者が出ることは普通なら考えられない。われわれにも大きな励みになります。大村先生は本当に“伝説の男”です」と羨望のまなざしを送っていた。
人生の指針になった教え
人生を変えた瞬間
大村さんがハッとした理由
ゴルフ場で奇跡の大発見
研究費は自分で稼ぐ
盲目の大人を導く子供の像
今の自分があるのは妻のおかげ
【ノーベル賞受賞】大村智氏の偉人伝説 数千億円相当の特許権放棄
12年にノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥氏(53)をして「ものすごい先生」と言わしめた大村氏とは、一体どういう人なのか。
受賞の決め手となったのは、寄生虫による感染症の治療法の発見。大村氏は、静岡県のゴルフ場の土壌で見つけた細菌の作り出す物質が、寄生虫に効果があることを発見。1973年からメルクと共同研究し、その物質から薬剤「イベルメクチン」を開発した。
この薬は、重症の場合に失明することもある熱帯病の「オンコセルカ症(河川盲目症)」や、「リンパ系フィラリア症(象皮症)」の特効薬となり年間3億人が使用。世界保健機関(WHO)は、2020年代にいずれも撲滅できると見込んでいる。しかも大村氏はWHOを通じ、10億人以上にイベルメクチンの無償提供を行い、特許権を放棄。所有していれば、数千億円が転がり込んできてもおかしくはない。
このほか薬関連のロイヤルティーから得た250億円も本人は「食べるだけで十分」と大半を研究助成や病院建設などに使い、残りを上村松園や三岸節子など日本画家を中心とした美術品の収集に充てた。
07年には生まれ故郷の山梨県韮崎市に新築の美術館を建設。「大村コレクション」と呼ばれる美術品2000点とともに市に丸ごと寄贈した。
同美術館の担当者は本紙に「先生は『芸術品は自分で持っていても意味はない。子供たちに見せてあげることで初めて価値がある』とおっしゃっていました。研究室では厳しいようですが、ここに来る時は温厚で、館長だからといって偉そうにイスに座っていることはなく、来館者やスタッフと触れ合っています」と話す。寄贈した大村コレクションの総額は優に億単位という。
この日に行われた記者会見でも、人柄がにじみ出ていた。大村氏は1970年代から各地で土を採取して微生物を分離・培養し、その微生物が作る化学物質に有用なものがないか地道に調べてきた。
大村氏は受賞の感想を聞かれ「微生物の力を借りてここまでやってこれました」とキッパリ。若者に向けアドバイスを求められると「この道を行くと大変だと分かっていたら、そこに向かいなさい。そうすれば楽しい人生になる」と力説した。
このほか「失敗を恐れてはいけない。成功した人は失敗を言わないだけで、普通の人の2~3倍はしているから」「人のマネをしたら、その人は超えられない」など、偉人ならではの“名言”を次々と残した。
大村氏は東京都立墨田工業高校定時制の教師から研究者になった異例の経歴の持ち主。その転機になった出来事についても「定時制高校の学生は直前まで工場で仕事をしている。学校に来る時はすでに疲れていたり、手がオイルまみれだったりする。それなのにきちんと学校に通う姿を見て『自分は何やってるんだ。もっと勉強しないといけない』と感じた」と即答した。
過去の失敗や苦労に感謝し、特許権を放棄してまで社会貢献に尽力する大村さんは菩薩か、はたまた現代のガンジーか、マザー・テレサか…。
北里大学の後輩教授は「日本の地方の一大学にすぎない北里大学から、ノーベル賞受賞者が出ることは普通なら考えられない。われわれにも大きな励みになります。大村先生は本当に“伝説の男”です」と羨望のまなざしを送っていた。