『チェ・ゲバラ広島に立つ』②
FB小西理さんからの投稿を転載します。
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7月25日、56年前の1959年7月25日
チェ・ゲバラが広島原爆慰霊碑に献花した日である
池田勇人通産相(当時)と会見した後,千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ
訪問と献花の予定であったが
・・・
ゲバラは 「私は行かない。数百万のアジア人を殺した帝国主義の軍隊じゃないか。 私は絶対に行かない。 行き たいのは広島だ。 広島はアメリカが10万人の一般市民を殺した場所だ」と言い、日本政府を慌てさせる。日本政府は,アメリカを恐れて 広島の正式訪問を認めない。
訪問と献花の予定であったが
・・・
ゲバラは 「私は行かない。数百万のアジア人を殺した帝国主義の軍隊じゃないか。 私は絶対に行かない。 行き たいのは広島だ。 広島はアメリカが10万人の一般市民を殺した場所だ」と言い、日本政府を慌てさせる。日本政府は,アメリカを恐れて 広島の正式訪問を認めない。
しかし ゲバラは広島行きを決行したのである。
僕らには48時間しかない。日本政府には言わずに広島ににいこう
と言い出す。
と言い出す。
ゲバラは
「原爆資料館で見たものは ただ恐ろしいものばかりだった」
大きな衝撃を受け
「今日からは広島と広島の人を愛していこう」
という言葉を残す。
そして「アメリカが犯した罪、 引き起こした惨劇を世界の人が見るべきだ」というメッセージを、 カストロをはじめ キューバ国民に発する。
「原爆資料館で見たものは ただ恐ろしいものばかりだった」
大きな衝撃を受け
「今日からは広島と広島の人を愛していこう」
という言葉を残す。
そして「アメリカが犯した罪、 引き起こした惨劇を世界の人が見るべきだ」というメッセージを、 カストロをはじめ キューバ国民に発する。
私は アメリカはあの時から何も変わってないと思う・・・
1959年7月25日に
チェ・ゲバラが妻に送った手紙
チェ・ゲバラが妻に送った手紙
愛する君へ
今日は原爆が投下された広島から、この手紙を送ります。
慰霊台には7万8千名もの死者の名が刻まれ
被害者は全体で18万名に上ると推定されます。
この地を訪れることは、平和のための戦いにおいて糧となります。
愛を込めて
チェ
今日は原爆が投下された広島から、この手紙を送ります。
慰霊台には7万8千名もの死者の名が刻まれ
被害者は全体で18万名に上ると推定されます。
この地を訪れることは、平和のための戦いにおいて糧となります。
愛を込めて
チェ
アメリカは「原爆投下は戦争を早く終わらせる為に必要であった」と言うが、それは言い訳にすぎない
また原爆が武器として どれ程の威力が有るのか?
広島と長崎で実験したのに過ぎない
もし日本に本当の右翼が在るならば、 アメリカに対して
キッチリ謝罪を求めるのが スジである。
キッチリ謝罪を求めるのが スジである。