この国のメディアの言葉の絶えられない軽さ

この国のメディアの言葉の絶えられない軽さ

渡部昇一が死んで、産経は「戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人」なんて見出しでおべんちゃら追悼提灯記事を書いております

ちなみに、産経新聞というのは、ウソが多い上に、様々な対立を扇動している新聞社(…というより扇動者)のような組織なので

ぼくは産経新聞社を「破廉恥で許せない団体」だと思ってるところ、
破廉恥な団体が認定できるのは「知の巨人」ではなく「恥の巨人」(あるいは「痴の巨人」)しかおらんやろ…
と考えるのが素直な思考でありまして、ぼくの認識を前提とするならば
渡部昇一死亡を受けた産経の記事の見出しは「恥の巨人(あるいは「痴の巨人」)」が妥当なものだと思います

そやかて、なんで渡部が「知の巨人」なんですか?
もしかして、産経新聞は渡部の「歴史改ざん」や「差別肯定」が
「戦後の言論空間に風穴を開けること」やと思ってるのか? …と書きつつ、産経はきっとそない思ってるんでしょう

思えば、「言ってはいけないこと」を公然と述べることを称して、
「歯に衣着せぬ」とか「持論を展開」とか「~節」などと表現して、
言ってはいけないこと」を「言っても構わないこと」にしてしまっているのがこの国の大手メディアの態度であり
今回の産経の見出しだって、まるで渡部の言説が「高く評価できること」のように書いている点で
産経新聞社(というか、産経扇動社)の罪は限りなく重い…
(本来なら、その罪の重さで産経新聞社が押しつぶされてしまうくらいに重い…)

…なんてことを考えてたら、今度は朝日新聞が「首相から電話 国会質問配慮」という4.18の記事で
自民党の極右議員である西田昌司をして「国会の爆弾男」ときたから
ぼくはまたまたカウンターパンチを食らったような気分になる…

そやかて、西田と言えば「国会の爆弾男」ではなくて「国会のヤジ将軍」であり、かつ、あの「そもそも国民に主権があることがおかしい」という「オマエがおかしい発言」の主なので
「身内といえども歯に衣着せぬ批判を浴びせる言動でならしてきた」(朝日)…なんていう、おべんちゃらを書いて西田を持ち上げる…なんてのは、朝日もどうかしとるがな…

(→ちなみに、ここでも出てくる「歯に衣着せぬ」という言葉…)
で、朝日の記事によれば「身内といえども歯に衣着せぬ批判を浴びせる言動でならしてきた」はずの西田が
でんでん安倍の電話一本で国会質問の内容を変えた…と言うんだから
こんな腰砕け忖度男がなんで「国会の爆弾男」なのか、
ぼくには朝日の西田への評価がまったく理解できんのであります

(ぼくやったら、西田には「自民党の腰砕け男」とか「自民党の忖度男」なんていう、 ピッタリの呼称を付けてあげるけどな)

ちなみに、「主権者たる国民に選ばれた国会議員」である西田が
「国民の主権があることがおかしい」と言うのは自己否定であり、
ホントにそない思ってるなら、主権者に選ばれた…という理由で(政治)権力を行使する自らの身分の正当性を自分で否定し、即刻、国会議員を辞めてもらわないといけません

(それもしないで国民主権を否定する西田には「国会の矛盾男」というニックネームもよろしいかと…
 というか、端的に「民衆の敵」でええよな、こんな輩…)

※追加で…

「言葉が軽い」というのとはまた別の話ですけど、

この国の首相の言葉は「軽い」ことに加えて、ぼくたちと意味が違って意思の疎通ができない…というか
端的に会話(質疑)が成り立たないことがたびたびありまして
そんなでんでん安倍がまたもや
「そもそもは基本的にという意味もある」…と、ワケのわからんことを言うております

(なぜなら、「そもそも」にはそもそもそんな意味はなく(…って、なんかわかりにくいな)
 でんでん安倍は、野党から突っ込まれて「勝手に言葉の意味をつくった」だけ…)
このよう例を挙げるまでもなく、でんでん安倍は「言葉の意味を理解しないまま」に言葉を発する…という、
政治家としては致命的な欠陥(=資質・能力不足)がある上に、
自らの「基本的」国語能力の欠如によって墓穴を掘った際には
言葉の意味を勝手に変えてしまう…という「言語的犯罪」(言語的詐欺行為)を犯す無頼漢
であり
このような人間を政治リーダーにしておく…なんていう冗談は
もう、ええ加減に止めないといけません。