ソビエト映画祭『人生案内』最後が泣けて・・。

ロシア通の友人のお勧めで、ソビエト映画祭に行ってきました。

1931年、ソビエト連邦時代に作られた初のターキー(音声付)映画『人生案内』。
 
古い映画ですが、第一次大戦後の浮浪児たちの更生、労働の意味、ロシア人と日本人の国民性の違い??まで色々考えさせられました。
 
舞台は1923年、モスクワ。
第一次大戦後、親を亡くした子供たちは浮浪児となって非行少年化します。
ソ連には「ソ連に浮浪少年があってはならぬ。彼等を青春溌刺たる且つ幸福なる市民たらしむべし」という(レーニンの)考えがあって、浮浪児達は収容され、仕事を与えられます。
 
浮浪児たちは勤労や組織を嫌って,度々脱走するのですが、指導官のルゲーエフの彼らへの接し方はちょっと違っていました。
彼らを信じて尊重するというもので、たとえばお金を渡して、買い物に行かせたり・・次第に少年たちはセルゲーエフに心を開き、脱走もなくなります
 
この時代に、不良少年たちを力で押さえつけるのではなく、彼らと対等な目線で
語り合い、温かく信頼する・・セルゲーエフの接し方がいいなと思いました。
人が人とつながるのも、自分を大切にしてくれる・・という思いからですね。
また、この映画ができるきっかけはレーニンの「ソ連に浮浪児があってはならない」という考えによるものですが、日本の戦後の浮浪児たちの扱いを考えると、全く雲泥の差。日本では、浮浪児は邪魔者、今は野宿者が邪魔者で「あってはならない」存在なのでしょうが、日本政府の姿勢は彼らに温かい手を差し伸べ、助けようとするのではなく、邪魔者は「排除」。お国事情が違うとはいえ、悲しいです。

チェルノブイリの事故でも、ロシアは補償や保養への費用を国家で支出し、彼らを支えていますが、日本政府は、放射線が高くても、故郷に帰れという政策、弱い立場の人間への寄り添い方が全く違います。
自分の国が弱者に冷酷なのは悲しいことですね。
ロシアと日本政府の人間性の違いでしょうか。
 
セルゲーエフは共同工場で少年達を自主的に働かせる事を思いつき、
 浮浪児たちは靴や大工、工具類の製作に励みます。
自分の仕事が国や誰かの役に立っているという誇りで、少年たちの目が輝いていきます。
そこで彼らが労働に励みながら歌う陽気な歌は・・ 
うろ覚えですが
「ぼくたちは国家の息子、人生の新しいパスポートをもらった(?)」
こんな言葉が織り込まれていました。

当時のソ連プロパガンダ的なものは感じますが、
仕事を通して、誰かの役に立つという喜びとそれに携わっている自分への誇り
 仕事とは本来、そういうものではないかと思いました

セルゲーエフは彼らに鉄道敷設の工事をさせます。ところが、昔の悪い大人フォムカがやってきて悪の環境に呼び戻そうと誘惑をするのです。
昔の悪人にとって、真面目に生きようとする少年たちは面白くないのでしょう。
リーダー格のムスターファは正義の仲間と共に、敵の巣窟を襲撃し彼らを捕縛するのですが、悪人フォムカはうまく逃げ去ります。
 
映像の見せ方、特にラストシーンは秀逸でした。

すっかり更生した少年たちの労働による線路が完成し、一番列車の機関士になる予定のムスターファはロッコに乗って駅に向けて走り出します。夢が叶うのです。
明るく嬉しそうな彼の笑顔と楽しそうな歌。そしてその後に待ち構えていた悲劇。
明るい場面は暗転します。
列車はムスターファが来なかったことを不思議に思いながら出発し、途中で彼の遺体とはずされていたレールを発見。ナイフからフォムカの犯行と分かります。
一番列車が駅に到着し、その列車の先に乗せられたムスターファの遺体。
列車を待っていた仲間や人々の驚きと悲しみ。
どうしたムスターファ・・ あんなに機関士になりたがっていたのに・・」
更生に導いたセルゲーエフの言葉に涙が止まりませんでした・・。


小さい映画館ながら満席で、みなさんこの映画を楽しみにこられたようです。
ここ数年、ロシアのことを少しずつですが、知りつつあります。
ロシア人は多くの革命や戦いの中を生き抜いてきた人たちだからなのか?とても温かい人が多いということ、猫が大好きであちこちに猫がいて、猫映画も多いこと・・それ以上に日本が大好きで多くの人が日本について興味を持っていてくれることなどなど。
ロシアのイメージ変わりつつあります。