日本の戦争ほど残酷なものはない/戦死者の6~8割が「餓死」は世界でも例がない惨状。 日本軍の「ブラック企業」体質は70年前から現在に一直線に繋がっている


あの戦争については、「自衛戦争だったんだ」(あるいは、「アジア解放の戦いだったんだ」)という、トンデモ説を主張してる人がまだ少なくないので
(…というか、自民党(や維新)は内心でそない思とるしな…)

そういう考え方に染まってる人ならば、ナチスドイツとイタリアと日本の枢軸国が連合国に負けたことを、悔しい(あるいは、面白くない)と感じる心情をもつ…というのは、当然の帰結であろうかと思います

でも、それは、「あの戦争は自衛戦争だったんだ」…あるいは、
「(欧米からの)アジア解放の戦いだったんだ」…と考える出発点からズレてるわけでして、

これは前にも何度か書いたことがありますが、

あの戦争に負けた…ということが「くやしい」と感じる人は

あの戦争に大日本帝国(を含めた枢軸国)が勝ってほしかった
…と今でも思ってるんでしょうか?

(いくらなんでも、全体主義ファシズム)国家連合たる枢軸国が
 あの戦争に勝利することが望ましかった…と考えるのは無理がありすぎでしょう)


あの戦争は「してはいけなかった戦争」だった…
そして、「してはいけなかった戦争」を始めてしまったのなら
「出来るだけ早く負ける方がよかった」のです

ちなみに、あの戦争は「飲み込めるはずもない中国」を
丸ごと飲み込もうとした時点で「勝ちようのない戦争」であったし

さらには、勝てるはずのない相手(=アメリカ)に手を出した時点で「敗戦必至の戦争」だった…から

戦いを長びかせれば長びかせるほど被害が多くなる…ことになったんだけど

戦争を始めた人(=戦争犯罪人)は、戦争に負けると罪に問われるし
当時、天皇の地位にあった人は、自らの地位を守ることを最優先に考えて行動したので、「負ける戦い」を止めることがなかなかできませんでした。

その結果、本来なら「死ななくても済んだ人」がたくさん死んでしまうコトになったのでありまして

合理的思考ができるなら、1942年6月の「ミッドウェー海戦」での壊滅的敗北で
「こりゃ、負けだ…(降伏せなアカンな…)」とならないといけなかった…のに

制海権を失い、制空権も失った状況で戦争を続けたから、こういうことになったんでした…↓
餓死、孤島で見捨てられ 補給なく、軍は降伏認めず 
http://digital.asahi.com/articles/DA3S13085075.html?rm=150 … 
「ヘビやトカゲ、バッタ、ネズミ…食べられるものは全て食べ尽くし、体は極限までやせ、顔は骸骨のようになった。
衰弱した者は体中に腫れ物ができ、ウジを自力で払うこともできずに死んでいった」
(ちなみに、人がたくさん住んでいた中国では食料など用意できなくても「現地調達」と言う形で地元民から略奪して「調達した」…んだけど、
 人があんまり住んでない南の島では、「現地調達」が不可能だったので、こうなったんですね…)
毎日新聞【230万人はどのように戦死したのか】は必読。
どの戦場でも戦死者の6~8割が「餓死」という世界でも例がない惨状
日本軍の「ブラック企業」体質は70年前から現在に一直線に繋がっている
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html …

(戦争してるはずの国の兵隊さんの死亡原因の半分以上が「餓死」と言うのは 人類史に残る「愚行」であろうかと思います…)

これはもちろん、「餓死よりも戦闘死の方が望ましかった」と言ってるのではなくて、兵隊さんを餓死させる前に「降伏すべきだった」ということです

挽回不可能で敗戦必至となった1942年半ばの時点で降伏してたなら、これまた戦争史に残る「無謀で無意味な作戦の代表」であった「インパール作戦」(1944年3月)での、無意味な大量死(餓死や病死)もなかったし、おなじく1944年末から本格的に始まった本土空襲の被害もなかったし

昭和天皇ヒロヒトが、1945年2月に側近であった近衛文麿から
「敗戦必至のため米英と講和すべき」とする上奏を受けた際に、
「もう一度、戦果をあげてから…」と言ってそれを退けなければ
沖縄戦の悲劇も、そして、ヒロシマナガサキの惨劇もなかったはず…なんです


さらには、1945年8月11日付け「ニューヨーク・タイムズ」に

“Japan offers surrender; US may let Emperor remain; Master reconversion plan set”
(日本が降伏を申し出る。米国は天皇を存続させるだろう。主要な戦後復興計画を策定する)

…という記事が掲載され(→これは、事実上「日本政府へのメッセージ」と言える)
翌8月12日には
”Allies to let Hirohito remain subject to occupation chief; M’arthur is slated for post”
(連合国は、占領軍司令長官の意向によって、裕仁を存続させる。マッカーサーがこのポストにつくだろう)
という記事も掲載され、日本側が最もこだわっていた天皇制存続をアメリカが受け入れる…というメッセージを送って
降伏に向けた日本政府からの反応を待っていた…ところが無反応だったために、
8月13日には、

”Allies to loose mighty blows on Japan if surrender is not made by noon today; 
 carrier planes renew Tokyo attacks.”
(連合国は、日本が今日の正午までに降伏しないならば、力強い攻撃をおこなう。 航空母艦からの戦闘機が東京攻撃を再開する)

と報じられ、その警告がそのまま実行された結果がこれです…↓
空襲:終戦直前、10カ所 米機1000機、犠牲2300人以上 
https://mainichi.jp/articles/20170814/ddm/041/040/118000c … 
終戦前日の1945年8月14日から翌日にかけ、全国10カ所以上で空襲があった。
 米軍の空襲は執拗で、2300人以上が犠牲になった」
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ところが、旧日本軍の愚行は降伏してからもすぐに止まることはなく…
NHK。「樺太地上戦」。軍部が竹槍、手榴弾、毒矢で玉砕しろと住民に強いた戦闘のモデルは、沖縄の人たちを軍に協力させ、本土決戦までの時間を稼ぎ、「作戦的勝利」と高評価された沖縄戦沖縄戦をモデルに全国で作る予定だった国民義勇戦闘隊。それが唯一実行された戦場が樺太戦と…。
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そして軍は終戦の翌日に樺太死守の命令を出し、民間人を総動員して本当に竹槍でソ連軍と戦わせた。
沖縄と同じ。#NHK
Nスペ「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」、女子供までもが竹槍を担がされ、最前線で義勇兵として戦わされた。逃避行の中、ソ連の攻撃に倒れゆく住民たち。逃げ惑う中、半狂乱になり、わが子を崖から突き落とした母親。残った缶詰を分けて食べると手榴弾で自殺する人たち。この世の地獄だったという。
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なんと、樺太では、降伏後に「民間人を戦闘に駆り出す」という、トンデモナイことをした結果

戦争が終わったにもかかわらず、またもや「死ななくてもよかった人たち」を死なせてしまった…※1


ぼくは、こういう経過を振り返って、兵隊さんも含めて、あの戦争で死んでいった人たちが

いったい何のために死ななければなからなかったのか…が、ホントにわからんのですけども…↓
「先の戦争で命を落とした人たちのお陰で今がある」みたいな論理は、ぼくには無責任な感傷としか思えない。異国のジャングルの奥地で餓死や疫病により死んでいった人たちの死に、一体どんな「意味」があったのか。ただただ無意味に彼らを「殺した」という事実を、我々はいい加減に認めるべきだ。
「死ななくてもよかった人が死んでいったこと」と「今の日本があること」の間には
「時間的な前後関係があるだけ」で、そこには何の因果関係もない…のです


にも関わらず、「死ななくても済んだ人の死」を強引に「今の日本(の繁栄)」と結びつけることは

それがなければ今がない…と言っているのといっしょで、

あの無謀な戦争がもたらした死を(今の日本になるために)「必要だった」とするもので

これほど死者を冒涜する考え方はない…と、ぼくは思います

(…けど、自民党なんかは、そう思わないんだよね)


※1…樺太では、多くの朝鮮の人々が労働力として送り込まれてきましたが

日本政府は敗戦後、彼らを置き去りにした…という事実も忘れてはなりません…↓
#NHKスペシャル 「戦争の防波堤として留め置かれた人々」。敗戦時に樺太にいた人々たちのこと。

ちなみに、生き残った日本人は(苦難が待ち構えていたとは言え)帰国できたが、労働力として樺太に送り込まれていた韓国・朝鮮の人々は帰国できず、サハリンに住み続ける他なかった。80年代までなんの責任も果たさなかった日本政府はひどいという他ない。




※戦争が終わったこと(≒日本が戦争に負けたこと)を肯定的に受け止めるのは、

「今の感覚だ」という主張をする人もいるでしょうが…
曽祖父は終戦玉音放送が終わると立ち上がり「さぁ!これで〇〇(長男)が帰って来るぞ!」と手を叩いたそうです。
(祖父が帰ることは有りませんでしたが)
日本の敗戦を歓迎した…人は、当時でも決して少なくはなかったと思います

(みんなの見ている前では大っぴらに喜べかなった…というコトはあったかも知れないけどね…)


ちなみに、敗戦前においても、(敗戦必至の)戦争(継続)に疑問をもつ人はけっこういて…↓
特高月報』に見る、戦時中の国民の本音(Togetterまとめ) https://togetter.com/li/549277 
「『特高月報』という内部文書に記された当時の日本人の落書き等には、
 現代の人間が叫ぶ『反戦』『反天皇』より切実な呪いがこもっています」
現在よりももっとストレートに「反戦」や「反天皇」を主張することがあった…ということは

しっかり押さえておきたいものです




※よくある詐欺パターン…について
靖国の「英霊をバカにするのか」もそうだし、原発事故の「原発事故の被害は放射脳の連中がデマを飛ばすからだ」もそうだけど、この国には被害者擁護の振りをして加害者の免罪を図る奴等が多すぎるよな…
悪いのは第一に政府、第二に軍部と東電だろ
被害者を盾にして歴史の改竄を図るなよ
「被害者を擁護する」ことは、本来、「加害者を糾弾すること」に繋がらないとおかしいんですが

なぜか、「被害者を擁護する」とみせかけて「加害者を免罪する」という詐欺がありますのでご注意を…

(このようなコトを言ってる人の本音は「被害者擁護」にあるのではなく「加害者免罪」にあるんだからね…)




※ウヨくんたちの唱える「歴史戦」なんて幻である…というコトについて
戦前戦中の日本の構造的問題を批判的・反省的に捉えることは「中国の勝ち」で、それを拒絶して「日本は悪くなかった」と強弁すれば「日本の勝ち」であるかのような、単純化した勝ち負けゲームのように理解している人がよくいるが、批判や反省こそが「日本の将来の糧」だと、そろそろ理解すべきだろう。
ウヨくんたちは、日本と中国や韓国、朝鮮は「歴史戦」を闘っているんだ…という、

奇想天外な主張をしてはりますが、朝鮮植民地支配から始まって中国浸食、戦争突入…という、

近代日本の大失敗を「大失敗」であると




※中曽根くん、死ぬ前にようやく正気に戻ったのか…というネタについて
中曽根康弘元首相、アジアとの戦争は「侵略だった」 
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/06/yasuhiro-nakasone-tribute-thesis_n_7953486.html … 
『「やるべからざる戦争であり、誤った戦争」とし、「アジアの国々に対しては、侵略戦争だったと言われても仕方ないものがあったといえる」と明言』
日本ではなぜに、「客観的に明らかなコト」をありのままに認める…ということが

これほどまでに難しいのか…と思ったりもするんですが

それを難しいものにしてるのは、ウヨくん界隈だけの話なので

ボクはこのたびの中曽根くんの「あったりまえの事実認識」を聞かされても

それを「評価」する気持ちはありません…

(言うの、遅すぎやんけ!)


ちなみに、中曽根くんが今までの(ウヨク)人生を、なにがしか反省する心情でこのようなコトをいったのだとしたら

かつて「自慢していた」インドネシアでの慰安所開設の話を詳しく語ってほしいと思います…

(あの件で口をつぐんでるようだと、中曽根くんの反省なんか認めるわけにはいかんで…)
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