新党さとみの書庫より「強さと優しさ」

聡美姐さんのブログ記事から転載。聡美さんは料理の天才♪と思っていたら、政治や選挙に対する考え方もすばらしく、 新党さとみ の書庫はお勧めです。

ハテサテ・・・もどうぞ!

 強さと優しさ
https://blogs.yahoo.co.jp/satomi_xxkg/65794037.html#65794037
                                      今回の選挙、自民が勝っても何の良いこともないのに、なぜ自民が優勢なのか、
 考えているうちに気づいたことがある。

 あたしみたいに自民の政治が大嫌いな人が思ってるほど、

 自民の政治が悪いと思っていない人が多いということ。

 そこで、自民嫌いな人たちの理由を考えてみると、
一番大きなポイントは、貧富の差を大きくしようとしている点だろう。

 立民党もそのスローガンの第一に貧富の差の縮小を掲げていて、
 そのために、自民嫌いの人々から支持されている。

 今の自民党が目指しているのは、アメリカと同じ自由な資本主義だ。
 自由と言う言葉は良い言葉だし、共産主義に比べたら資本主義の方が正しいよ  うに思える。

 だが、この二つの主義の本質を考えると、
 自由な資本主義は、必ず貧富の差を作り出すことは明らかだ。

 まず、資本主義というのは、言葉通り、「資本(=金)」が一番大事だとする  考え方であり、
 金を持ってる人が偉いと考える考え方だ。

 人々はより多くの金を持つために日々戦い、
 金を持ったものが金を持たないものを支配していく。

 自由な資本主義社会は、完全に自由な競争を認める社会であり、
 勝者と敗者が生まれ、貧富の格差も大きくなっていく。

 そのような資本主義の流れに対抗して、
 格差を全くなくしすべての人が等しく労働者であり等しくお給金を頂くように  しようとしたのが共産主義

 ある意味理想の平等ではあるが、実現不可能であることは、ソ連や中国を見れ  ばわかる。

 人間は不平等であることにも耐えられないが、平等であることにも耐えられな  いのだ。
 同じ人間なのになぜ?と思う一方で、自分の方が上なのになぜ?とも思う。

 このような、両極端な不平等と平等の中間にあるのが、社会民主主義と呼ばれ  る考え方で、
(この呼び方は「民主主義」と言う言葉が異質なので好まない、調整的資本主義のような呼び方が良い)
 基本的には資本主義的競争社会ではあるものの、
その弊害が大きくならないように、政治が調整していくというもの。

 例えば、所得税累進課税などは、この調整に当たる。

 程度の差こそあれ、どの資本主義国家でも、完全な自由資本主義な国はない。


 実は、戦後の日本は、小泉が規制緩和をしてぶち壊すまで、
 長い間この調整資本主義でやってきたのだ。

 1億総中流と言われたのは、
 政治が介入して規制して、貧富の差を大きくしないようにやってきたからだ。

 アメリカンドリームみたいなバカでかい夢は見られなかったけど、
 全員がそれなりの夢を見られた。
 完全な絶望はなかった。

 そういう時代だったから、競争より助け合いの方が大切だった。

 強いものが弱いものを守っていくのは当たり前だと思っていた。

 人々の心に、優しさがあった。

 みんなで頑張って進んで行けた

 でも、規制緩和によって、会社同士も労働者同士も、
 競争して勝たなければいけなくなった。

 強くなければ勝たなければ生きていけない。

 弱いものが負けていくのは自業自得、負け犬は勝手に滅んでいけばいい。

  強さだけが人の価値。

  多くの人が、そういう考え方になってしまった。

  それが、自民優勢の原因なんだろうと思う。

 多くの人が、強い自分を信じて、自民政治の中で勝ち進んでいこうとしている。

 自分の強さが活かせない世の中にはなってほしくない。

 強い自分が優遇されない社会にはなってほしくない。


 でも、その強さは本当の強さなのかしら?

 人を思いやる気持ちのない強さ、それでいいのかしら?

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」

 と言ったのはフィリップ・マーロウだけど。

 あたしは、生きていけないことより、生きる資格がない方が嫌だわー。

 あたしはどちらかと言えば、ともに手を携えて進んでいきたい。
もはや幻想だけど、強者と弱者ができる前に、みんなが優しい気持ちと感謝の気持ちを持って助け合うような世界が良いです
例えば、従業員というのは経営者を助けているのであり、経営者は従業員の生活を助けている。
命令と服従のような関係ではないと考える世界が・・BY 聡美