京都を歩けば・・東山七条の国立博物館、智積院、フォーシーズンホテル「重盛の庭」

昨日は、まだ国宝展を見ていなかったので、思い切って京都へ行ってきました。
午前中は雨がきつかったので、雨があがるのを待って東山七条へ

国立博物館には何度も出かけているのに、
そのそばにある有名なお寺=智積院を全く知らなかった私。
京都は目的地に行っても、近くに何かあるかもしれない?と考えて、
とにかく周辺を歩くべし♪です。
hitomiさんの智積院の記事で京都博物館国宝展と智積院

総本山智積院は、真言宗智山派三千ヵ寺の総菩提所・総祈願所で、京都東山(JR京都駅よりバスで約10分)に位置します。智積院には、数々の伽藍と多くの貴重な文化遺産があります。
特に長谷川等伯(1539-1610)とその弟子達によって描かれた「楓図」「松に立葵図」や等伯の長男・久蔵の作とされる「桜図」は、桃山時代を代表する障壁画であるとともに、日本が世界に誇り得る第一級の絵画です。
また、名勝庭園は、桃山時代に造られた庭園で、中国の廬山を形どって作られた利休好みの庭として有名です。
まずは、長谷川等伯らの書かれた絵を鑑賞して、名勝庭園へ。
イングリッシュガーデンは色彩を考えて花を植えるそうですが、
この庭園は紅葉や黄葉の色を考えて植樹したのかなぁ・・と思えるほど、紅葉や黄葉の色合いが素晴らしかったです。
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利休好みの庭
といっても、庭を造ったのは名作庭家・小掘遠州
利休は切腹を命ぜられ、この庭を見ることはできませんでした。
茶人として利休の弟子にあたり、交流を持っていた遠州は、利休ならこんな庭を造るのでは、と想像力を働かせてこの庭を造ったのでしょう。遠州なりの利休への弔いの意味も込められていたのかもしれません
池の後方に据えられた山は迫ってくるような迫力も感じさせつつ、自然と庭に溶け込むように取り入れられています。
この庭のモデルは、中国の江西省にある名山「廬山」、池は「長江」とのこと。
実際、昔はこの庭は「池水回遊式」の庭になっており、大書院自体が本当に池の上に建てられていたそう。建物の床が地面から少し浮いていたり、渡り廊下に橋がかけられていたり、と所々に面影が残ります。かつては池だった部分も白砂を敷き詰めて枯山水の庭にすることで、当時の名残が留められています。

http://www.kyotodeasobo.com/art/houmotsukan/chisyakuin-templeより
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雨で泥水になっていて、きれいではありませんが、池になっています。

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庭を眺められる大書院には、長谷川等伯・久蔵親子による『楓図』『襖図』
複製品で、商業目的でなければ写真はOK。複製画の方が美しさはよく伝わります。
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境内も紅葉がきれいで、思わぬところで紅葉見物ができました。
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美しい庭園に美しい絵画・・これだけでも十分でしたが、
これだけでは終わらないのが京都・・
智積院を出て右手に歩くと、またすぐそばに平重盛の庭園=積翠園があるのです。
今はフォーシーズンホテルという京都でも高級なホテルになってしまいましたが、
重盛の庭園は保存され、ホテルの観光客の楽しみになっているようです。
私は観光客と間違えられ?「庭園を見たいのですが・・」と言うと、さっと案内していただけました。ホテルのメニューは高そうでしたので、超ラッキーでした。
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奥に見える建物が茶室
(昔の積翠園について書かれた記事)

積翠園
平安時代末期の治承期に、平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられている。
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このフォーシーズンホテルは、かなりの高級ホテル
平重盛のころから、時代はどんどん移り変わり・・・
重盛も邸宅跡がこんな高級ホテルになるとは思ってもいなかったでしょう。

ホテルから出た帰り道、行きは気づかなかったのですが、一枚の説明版が立っていました。源氏物語の説明板で「鳥辺野」の説明。
やはりドキッとします。
ここは東山七条ですが、五条坂のあたりから鳥辺山のふもと一帯にかけての
東山は昔は葬送地だったということです。

この続きは、写真もいっぱいになってしまったので、また次回に・・。