「戦前回帰か?それとも未来志向の方向で考えていくのか?今、その分岐点にいると思います』by前川喜平 さん

短足おじさんの記事から転載させていただきました

前川喜平氏「この40年位教育行政に携わってきた訳でございまして、これからを考える為には今を考える必要がある訳ですが。今の日本というのは、歴史の分岐点にいるのかなという気が致します。このまま大きな流れに流されてしまった良いのかと。改憲を目指して行くのか?(本当に国民がここは手直しした方が良いだろうという改憲も含めて)護憲で行くのか?憲法の原理原則を守って行くのか?それとも壊してしまうような改正まで行くのか?そういう岐路に立っていると私は思います」
イメージ 1
イメージ 2

「2006年に教育基本法が改正されまして、私から見ると望ましくない内容が盛り込まれました。教育は国民に対して直接責任を負うという規定がなくなりまして。その代わりに法律に基づいてやる、と書き換えられた訳です。政治の下で教育が行われるんだと。政治が教育を決めて良いのか?という非常に大きな問題があります」

「私は、政治と教育の狭間で色々と四苦八苦してきた訳です。
政治のあ~しろこ~しろという要求が多い。例えば南京事件は無かったと書け!とかですね、教科書に。国会議員のかなりの人数が南京事件は無かったという人達なんです。本当にたくさんいます。3分の2の与党の中のかなりの人がですね、南京事件は無かったと信じ込んでますよ。それは歴史学が明らかにすべき問題であって、政治が決めるべき事ではない訳です」

「学校で何を教えるかという事は、学問の自由に支えられていなければならない訳です。学問の中から見いだされてきた事実、或は真実というものを、整理した形で学校で教えてる。ところが、これを政治で決めようとする人達がいる訳でね。国会で圧倒的多数で、南京事件は無かったと決議をしたとしてもですね、南京事件はあったんですよ」

政治が教育の内容を決めて良いのかっていう問題は、根本的な問題としてあります。法律の下で政治が教育を決めて良いんだと、教育基本法の中に盛り込まれた訳です。これは非常に危険だと思っております。教育基本法の改正はですね、憲法改正の前段階だという位置づけがあった訳です。憲法改正の目指すところは、戦前のような国家体制というようなもの1つのモデルとして、今の日本を持っていこうとする。そういう考え方が色濃くあると思います」

「その一環として出てくるのが、教育勅語の問題だと思うんですね。改憲を声高に言う方のは、教育勅語の復活を求める方が非常に多い訳です。しかし教育勅語というものは、今の憲法の根本原理と相容れない訳ですね。個人の尊厳でありますとか、国民主権とか。基本的な考え方と相容れないものであります」

「我が日本という国は天皇のご先祖様が作られたんだと。天照大神とか神武天皇とかがこの国を作るに当たっては、道徳も一緒に作ったんだと。それは『忠』と『孝』であると。天皇に忠誠を尽くす、親(男系男子)に孝行する、そういう考え方です。これを国体思想という訳ですけれども」

「日本人は全員血で繋がった血縁集団であるという考え方で、みんな親戚なんですけれども、総本家が天皇家であってですね。日本の家族の全てその分家であると。大きな家族国家観、血で繋がっている運命共同体であるという考え方が非常に強く残っている訳です。これが、敗戦後キチンと清算されずに生き残ってしまった。生き残ったものが甦りつつある。こういう気がしてなりません」

「第2次安倍内閣になって、道徳の教科化が行われた。『修身』の復活という意味合いを持ってる訳ですね。戦前は筆頭の教科でありました。戦前の国体思想に基づく道徳教育に戻りたいという人達の動きが背景にある訳です。戦前回帰の教育が徐々に徐々に実現してきている。次は国民の精神をですね、教育勅語的な国家観に染めていって。我が日本民族に相応しい憲法に改正していくんだと。こういうところまでやったきた、いう感じですね」

「この社会の在り方をですね、戦前回帰に持っていくのか?それとも本当の未来志向の方向で考えていくのか?その分岐点にいるんじゃないかなという気が致します。今の政権を支持しているのは、実は若い層なんですね。それはちょっと心配なんですよね。何か、強いリーダーに従って行きたい、血の団結みたいなものを求めている。そういう気持ちがあるんだろうと」

「日本が単一民族国家だというのか?それとも多文化共生の社会に持っていくのか?これも大きな分かれ道だと思います。日本は単一民族国家ではありません。アイヌの人もいるし、琉球の人もいるし。何十万という在日コリアンの方達もいますし。これからどんどんニューカマーの外国人労働者の方達が入って来る訳ですから」

「私は、多文化・多民族多人種の共生社会に持っていくべきだと思うんですね。その時に日本人は血で繋がった共同体だっていう考え方は、非常に問題あってですね。必ず排除の論理に転嫁していくと思うんです。この血の共同体の考え方に固執する限りはですね、今アメリカで起こっているような白人至上主義や、ヨーロッパで起こっている移民の排斥とか、それ以上に激しい対立が起こる危険性が非常に高いと思います」

「純血日本人至上主義みたいなですね、純血日本人なんてあるのか?って位で。弥生人が来る前の縄文人が純血なのかと?そう考えたらですね、純血な日本人なんて想定出来ない訳で。色んな血が元々混じってるじゃないかと。大体天皇陛下が仰ってますよね。桓武天皇のお母様は百済の王族の娘であったと。桓武天皇はハーフだった訳ですよね」

「ですから、様々な文化を持った人達が一緒に暮らしていく。それをどう作っていったら良いか?これを考えるべきなんであって。その時に国体的な神話的国家観のようなものは、本当に邪魔になる考え方だと思います。早いとこ叩き潰したいと!(拍手)非常に危険だと思います。多文化共生社会が出来るかどうかの瀬戸際じゃないかなと思います。ヘイトスピーチを絶対許さないんだという考え方を、しっかりと打ち立てていかなければならないと思います」

「ところが我が国政府はですね、むしろ率先して他民族の差別を助長してるようなところがある訳ですね。その最たるものが、朝鮮学校に対する対応ですね。高校無償化制度は国籍を問わない全ての人が前提だった訳です。しかし、当時の政権与党の民主党の中にも、それに反対する人がいた訳で。北朝鮮が何をしてるかという事と、在日の人達の学ぶ権利とどう関係あるんだと!それを結びつけようとする人達がいましてね」

「それが足かせとなって、結局民主党政権下でも実現出来ず、自公政権に戻った時には、根拠規定すら削除されましてですね。朝鮮高校の就学支援金は出さないという決定になった訳で。5つの裁判が行われておりますが、私も微力ながら朝鮮学校側に立ってですね、陳述書などを出した訳でございまして。それを産経新聞に散々攻撃されてますけど。私はアレ(産経)は新聞ではないと思っております(笑・拍手)」

「植民地時代から日本に来た人達、その子ども達・孫達・ひ孫達が学ぶという、これすらですね、ちゃんと認めようとしない。こういう態度ではですね、次々とやってくるニューカマーの外国人を受け入れて共生社会を作っていくなんて事は、到底出来ないと思うんです、このままでは。しかしキチンとした形で受け入れて、一緒に社会を作っていくパートナーとして仲間として、受け入れるという事がどうしても必要になってくると思います」

「これからの日本というものを考えた時に、純血主義で行くのか?多文化共生で行くのか?民族主義的な方向での改憲をするのか?今ある憲法を大事に理想の社会を目指していくのか?その分かれ道ですね
安全保障もそうだと思うんです。私は安保法制は憲法違反だと思っております。2年前の9月18日には、役所が終わってからですね、国会正門前に行きましてですね。シールズの人達と一緒に声を出してた訳です。『集団的自衛権はいらない』とか、『アベは辞めろ』とか言ってた訳です。『アベは辞めろ』までは名誉毀損にはならないと思います。本心を言っただけですから」

「日本の安全を、どう確保するのかという事も分かれ道に来てると思うんですよね。核抑止力に何時までも寄りかかっていくつもりなのか?核兵器は絶対悪だと、人類として禁止すべきものなんだと。理想を追求する方向に行くのか?これ大きな分かれ道があるんだと思うんです。私は核禁止条約に署名した方が良いと思いますし、日本が唯一の戦争被爆国である事を考えたらですね、歴史的使命みたいなものがあると思いますね」

「これからの教育を考えた時にですね、人類とか世界とか、地球とかっていう規模で考える。そういった教育が必要ではないかと思っています」

*      *

前川喜平氏講演会・京都「これからの日本、これからの教育」
2017年12月13日より抜粋