喪中ハガキの整理、ヴォーリズの『吾家の生活』とNさんの思い出

喪中はがきの整理をして、寒中見舞いをやっと書き終えた。
今年は10名も・・。年齢が高くなったせいもあるが、毎年、喪中ハガキが増えている。友人のご両親が多いが、今年は友人の配偶者(なんと51歳で・・あまりに若すぎて胸が傷む・・)それに、大切な友人や先輩も・・・。
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(ご主人を亡くした友に贈ったウィローツリー)
そのうち、自分も入るんだろうなぁ・・と、そんなことも考える。

夫が亡くなった時、高校の恩師や友人、同僚たちからいただいた慰めのハガキや手紙がとても嬉しかった。
それからは必要な遺族の方には、できるだけ思い出を辿りながら・自分の知っている良き思い出を伝えるようにしている。
故人の思い出ということで、同僚というより大先輩で、職場の母親役であったNさんのことを少し書いてみたい。
一人だけ関西に来てしまった私は、いろんな方に母親替わりになっていただいた。職場には時々、そんな包容力ある女性がいてくれる。

Nさんもそんな一人で、ご主人を亡くされ、息子さんたちが結婚され・・
一人暮らしだった。でも、料理が好きで、人も大好きなNさんは、
よくごちそうを作っては、職場の女性たちに声をかけられ、食卓に招いてくださった。

職場にこのような女性がいてくれると、自然と温かい人間関係がはぐくまれる。私も遠方にいる母に替わって、何かと助けていただいた
(自分も今、同じ境遇なのだけど、とても彼女のようにはできない・・)

お正月も同僚と一緒にNさんのお家を訪ねるのが恒例となり、3年ほどの短い期間ではあったが、お料理上手な彼女のおもてなしに預かり、楽しい時間を共有させていただいた

ヴォーリズの『我家の生活』には、
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食堂はだんらんの場であり、これが食堂の生命と書かれている。
ただ空腹を満たすために無言で急いで詰め込んで、出て行ってしまうところではない。子どもがいるところでは子供たちが礼儀作法を学ぶ場であり、教育的な話や来客者を招いて共に話に耳を傾けさせ、見聞を広げる場でもあると。
さらに・「食堂も人への奉仕の場に・・」と書かれている。

<食堂の生活について>
・・・(人を)時々招いて、共に食し、共に語り合うのは、その方々にとって、どれだけ助けになるかわからない。(中略)
また、失望の淵に落ちて、悩んでいる友を助け、再び元気をもって人生に向き合うようにさせることもできる・
ここを読むと、Nさんの食卓が思い出される。

自宅の食堂を開放し、心を込めてもてなし、みんなのために活用してくださったNさん。
同僚達一人一人に人生の先輩として温かく接してくださった。

悩んでいる友を助け、再び元気をもって人生に向き合うようにさせる」そんなおもてなしだったと思う。

その後、息子さんのそばに引っ越しされ・・Nさんとは亡くなるまで年賀状だけのおつきあいで、お会いすることはなかった。

喪中ハガキで亡くなられたことを知ったが、たとえ一時ではあっても
Nさんの優しい言葉かけ、温かい笑顔、心のこもったおもてなし・・など
Nさんのことは忘れない。

「人が死んで残るのは、与えたものだけである」

そんな言葉をしみじみと思う夜であった。