「シネマ歌舞伎」で高校生以来の玉様に出会う&20代の初々しい玉様♡
昨日は・・何十年ぶりかに玉様こと「坂東玉三郎さん」の歌舞伎を鑑賞しました。
それもシネマ歌舞伎で・・
歌舞伎の舞台公演をHDカメラで撮影し、映画館の大スクリーンでのデジタル上映されたもの。まるで劇場の特等席で鑑賞しているかのような迫力で、豪華な俳優陣の歌舞伎を堪能できます。
映画で歌舞伎が見られる時代になりました。
道成寺のストーリーは知っていましたが、
玉三郎、他五人の花形歌舞伎役者さんが踊りで演じます。
(私はやっぱり玉三郎に目が釘づけでした)
踊りが中心で、五人の衣装も踊りも華やかで美しい。
これは高校生時代の歌舞伎研究会での写真。
友人が松竹から借りた衣装と鬘を身に着けています。
花魁の衣装で、鬘も衣装もかなり重いです。
。
物によっては30キロくらいになることもあるとか・・。
「道成寺」でも、重い鬘と衣装を着けて1時間近くも踊るのですから、役者さんには踊りの華麗さや美しさだけでなく、相当な体力と技術も要求されます。
60代の玉様も40年踊ってきたとはいえ、いつまでも踊れる踊りではありません。とはいえ・・・年齢を感じさせない素晴らしい踊りでした。
もう一つは、『二人椀久』
昨年12月、歌舞伎座第三部で上演された舞台を収録したもの。
しかし松山恋しさに家を飛び出し、道中まどろむうちに…恋しい松山に出会うのです・・
実は、ストーリーを知らずに観ました。
でも、この二人が思い合っていること、そしてその逢瀬も束の間で、気が付くと松山は消えて・・幻であったことなどが観て取れました。
幻想的な舞台の中での、二人の連れ舞も美しく、
ストーリー知らずとも、踊りと所作や演技で観客を酔わせます
これぞ、芸術のなせる技?とにかく、仕草が美しい。
親指を手のひらの中に入れ、指先まで神経を使って踊ります。
女性よりも女らしい??しぐさに見とれてしまいました。
歌舞伎を初めて見たのは高校生の頃。
文化祭で発表するための研究グループ「女性史研究会」が、なぜか歌舞伎ファンが多く「歌舞伎研究会」に・・。
松竹からお借りした衣装を身にまとい、白塗りの化粧をして、
花魁の姿になってみたり、
「妹背山婦女庭訓」の台本を配役を決めて読み合わせをしたり・・
研究などそっちのけ。
みんな歌舞伎役者になりきって楽しんだ思い出があります。
こちらはそのころ出会った20代の玉様。初々しいですね~。
同じマンションにいらした人間国宝市川雛代先生にお琴を教わったことで
先生から、当時憧れの的であった「玉さま」こと「坂東玉三郎さん」と
楽屋で会わせていただいたのです。ドキドキでした~。
清々しく爽やかな方で、ちゃんと目を合わせてにこやかに応対してくださり、
私の他愛ない質問にも笑顔で答えてくださいました。
お会いしてみて、その奥ゆかしいお人柄にますますファンになりましたよ
実は、彼は歌舞伎役者さんの家に生まれた方ではないのです。
小児麻痺を克服すべく踊りを習われ、森田勘彌の養子になり、若い時分からの努力で舞台も人格も磨かれ、また、ご自分の可能性をも切り開いていかれた方です。
✿彼の生い立ちから頂点に立つまでの努力の跡がよく書かれています
・・・玉三郎の行動は、「歌舞伎の女形」としての限界点を探し、それを越えようとしていたように思う。女形として歌舞伎の舞台に立つことだけではなく、坂東玉三郎という歌舞伎の女形が持つ「美学」を様々な形で表現することへの模索、とでも言おうか。
・・・自分が美しいと思うものをどう表現するか、それも含めて女形の仕事、という近代的な感覚を持っているのが坂東玉三郎という女形だ。同じ女形で歌舞伎の頂点に立った昭和の六世中村歌右衛門との違いはここにある。・・・
今回を機に、また彼の歌舞伎を見に行きたくなりました