冤罪は、一度疑われると無罪になるのは難しい

司法が持つ「問題点」をこれほどまでに「赤裸々」に、
しかも「明々白々」に語られている点において、桑田氏の当事者としての
「証言」は大きな意味を持つ。

誰もが容易に理解できる平易な言葉で語られていることの
「説得力」「表現力」は、
司法が抱えている問題を如実に浮かび上がらせている。
冤罪問題に取り組むための「教科書」、「資料」として用いられるに
ふさわしい。

(これだけ簡潔、かつ明確に問題点を指摘している文章に私は未だ
出会った事が無い。)

特に問題なのは、「無罪」を書ける裁判官が殆ど居ないという現実。
当職の裁判においても、本人訴訟を遂行するに当たり、
様々な弁護士先生に相談をしたが、対行政の裁判において、
裁判所が行政の非を認める判決をすることは殆ど無く、
万が一偶然、「良い裁判官」に当たる事にしか「期待」は持てない、

この事はすなわち、裁判所が「事実」に正対して判決を下すという「機能」が
「無いに等しい」とも言える「証左」である。
 
以下、当事者の証言。
 
吉岡優一郎(レディオ与一):

僕は一回交通事故を起こしたことがあって、調書を取られて、
拇印を押しちゃったことがあるんです。
僕にも当然、言い分がある。
飛び出してきた奴をはねちゃったという。
できあがった調書を朗読されて、
僕の言い分ないじゃん、
って違和感だらけなんだけど、
うまく言いくるめられて、
結局、拇印を押しちゃったんです。
言った通りのことが書かれてないって、
経験してるんですね。
いかに検察が、
自分たちの主張に、裏付ける方向ばかりを強調しているだろうな、
と容易に想像がつく気がする。
それに対して、
無関係な被疑者の人が、
どうやって、あらがっていけばいいのか。
正直怖い点だなと思うんです。

桑田成規(国循官製談合事件被告人):

ご指摘はそのとおりです。
でも、それをご存じない方も多い。
調書のこわさ、です。
その意識をまず持つことが大切です。
簡単にいえば調書にサインしないということが大事ですが、
実はそれがとても難しい。
サインしないと、
帰してくれないとか、
あるみたいですしね。
こちらとしては、
できるだけ、
調書を作らせないことが重要なんです。
どうしても、というときは、
一旦もちかえって、
弁護人と相談して。
調書そのものを持ち帰るわけにはいかないので、
私は、こっそり録音していました。
わざと声を出して調書を読んだりしました。
弁護人に聞いてもらって、
あるいは、
自分で書き起こして、
チェックしていました。
そうして、自己防衛するしかないですね。
本当は、
(調書を)作らせないことですね。
調書には、
自分にいいことは一つも書かれてないですから。

吉岡:

飛び出してきたから、
はねちゃったんだけど、
僕が、
そこで不注意で、
暴走はじめて、みたいな。
事故の調書ですらそうなんだから、
ましてや被疑者に接していくって、
なんらかのシナリオができあがっているわけで、
それに沿ったものに、
なっていくって、そうなんだろうな、と思う。

桑田:

おもしろいのは、
取り調べを受けていて、
検事と対峙していて、
検事が、
私が話すことをメモに取って行くんですね。
熱心にメモを取るとき、と、
まったく取らないときがある。
何が違うかというと、
事件の核心に触れ、かつ、
私に不利な話は、
ものすごく熱心に細かくメモを取っている。
私の無罪に関係するような話のときは、
ピタっと手が止まる。
見ていて、おもしろいですね、
ピタっと手が止まる。
いくら一生懸命話しても、
まったくメモをとってくれないんです。
「ところで別の件だけど」
と話題を変えてくる。
聞いたことに対して、
思うような答えだと、
「そうだろう、そうだろう」と言う。
三者として、
調書を取られる場合、
おそらく、言わせたいことははっきりしていて、
その質問だけをする。
答えれば「そうでしょう、そうでしょう」
そうすると、
結局うまいことつまみ食いした調書ができあがる。
三者だから公平なことをいうかというと、
三者だからこそ、
無責任にいろんなこと言っちゃう。
一つの事象にいろんな解釈が成り立つ。
記憶があいまいになってくる。
あのときこうだったかもしれない。
尾ひれがついて話が出てくる。
何を選んで話すかは、
かなり恣意的な部分が入って来る。
それによって被疑者がどんな不利益を被るかは、
三者には関係ないですからね。

吉岡:

調書ってもの自体が、
どの程度の信頼度になるんだと思うんだけど、
裁判になれば大きな意味を持ってくる。

桑田:

もちろん証拠に採用されればですけれど、
調書は、
大きな意味を持つ、
信頼性の高い証拠となりますね。

吉岡:

自白のみは証拠としない、
というのが刑事裁判の原則だったはずですけどね。
無理やり持っていった自白に、
かなり偏重してとらえられている。
桑田:殺人事件とか強盗事件とかの重大事件に関しては、自白調書を取られて後でひるがえす。
冤罪でよくあるパターンですけれど、
一旦調書にサインしたんだろう、ということで、
なかなかひるがえしても認められない。
それほど重たいものだということですね。

吉岡:

第一審が結審した。
どうですか。

桑田:

ホッとしましたね。
裁判進行中は、
(法廷で)いろいろ発言の機会があるので、
あんなことも言えるんじゃないか、とか、
過去の証人に対して、
ふと思い出して、
そういえば、
これに対してちゃんと反論していたかな、と、
ものすごく心配になったりして。
いまは終わってしまって、
もうどうしようもない、
と諦めがつきました。
あとは判決を待とうと、
かなり落ち着いてられる状態です。

吉岡:

もう少しで結論が出ます。
判決に予想はありますか?

桑田:

吉岡さんがご覧になったような裁判の状況ですから、
これは明らかに検察の主張は崩れている、
と私個人は、思っているんです。
無罪、と思っています。
でも、そこが日本の刑事司法、というか、
司法制度の闇のあるところなんです。
この前も、岐阜県美濃加茂市長の事件、
一審無罪、高裁有罪。
それがかなり問題があると言われながら、
最高裁は、それを追認して有罪が確定してしまった。
あんな事件でも有罪になってしまう。
あんな事件っていうのは、
明々白々に無罪だと思われる事件でも、
有罪になる。
だったら、何があってもおかしくない。

吉岡:

裁判所と検察と人事交流があるから、
弁護士よりも、
裁判官は、検察に近いと言われる。
そうでなくても、
日本の司法というのは、
有罪率が、
他国に比べて、
異常に高いなんてことも言われている。
どういうことがあれば、
検察の主張をくつがえして被告人は、
無罪になるのかな。
そんなことを考えざるを得ない。
統計的には、そういう印象を持たざるを得ない。

桑田:

いろんな方から話を聞くと、
「最後は、運だ」
ってことなんです。
「無罪を書ける裁判官にあたるかだ」
っていうんです。
一生のうちにひとつも無罪を書かない裁判官もいる。
そちらの方が多いらしいんです。
無罪を書く勇気って相当必要なんだそうです。
ほんとかどうか知りませんが、
無罪を書くと出世に響くと、
まことしやかに言われている
無罪であれば無罪、
と書いてくれる裁判官に当たるかどうか。
その時点でオカシイですよね。
あとは弁護人の力です。
それと、被告人がどれだけ、
きちんと自分の状況を弁護人に伝えられるか。
(弁護人は被告人の)代理人なので、
包み隠さず、いろんなことを伝えて、一番いい戦略を立てる。
そのへんの複合要因です。
でも最後
「言ってみれば運ですかね」
というのが哀しい現実だと思います。

吉岡:

桑田さんの裁判官は、
無罪を書ける方だと思いますか?

桑田:

思いますね。
無罪「も」書いたことがある人。
可能性はゼロではないなという人です。
被告人というのは、やはり、非常に弱い立場です。
あれだけ検察がボロボロであって、
立証できていなくても、
裁判官が代わりに立証するとか、
ほんとうに検察に寄りかかっている裁判官もいる。
少なくともそんなひどい人ではないと思います。
西野さんという方なんですが。
最初のうちは、厳しい人かな、
と思っていたんです。
こっちの言うことなんか聞いてくれないんじゃないか、
と思っていたんです。
裁判が進むにつれて、
事件の全貌がわかってきたんだと思いますが、
きちんと話をきいてくれる態度が見えてきた気がします。
そういったことを総合的に考えると、
きちんと無罪を書いてくれる可能性のある裁判官かな、と思います。
(第4回目につづく)

《桑田さんを支援する会では、桑田さんの冤罪をはらすべく動いています。
公判を傍聴するたびに、0.1%を証明する真実が見えてきます。
ぜひご一緒に、その真実を確かめてください。》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多くの方に関心をもっていただき、考えていただけますよう、お願い申し上げます。
判決=2018/3/16(金)9:40
大阪地方裁判所603号法廷
どなたでも傍聴できます。
http://bgk.southerncase.net/entry/radio-yoichi-03_1
 
 
 222日(木)18:30-桑田成規×八田隆ミニセミナー@東京虎ノ門

■33日(土)10:30a.m.-桑田成規×我妻弁護士×八田隆ミニセミナー@大阪本町
東京・大阪ともに覚えやすいゾロ目の日付です
官製談合防止法違反」という罪状の「国循サザン事件」()

◆判決◆
316()9:40-(西野吾一裁判長/川村裁判官/久保裁判官:大阪地裁603)です。
(どなたでも傍聴ができます)
被告人桑田成規氏と高橋徹氏に罪があるのか。過去の記録を紐解きながら考える
シリーズ。

(*)大阪吹田にある国立循環器病研究センター(国循)で起きた桑田氏の事件、
という意味で検察が呼んだことに由来。
その105は、支援ブログ「0.1%の真実」2018216日から、
《ソサイエティサイエンスジャーナル》
インターネットラジオ『レディオ与一』)に出演しました(3

岡山県井原市インターネットラジオ局『レディオ与一』
《ソサイエティサイエンスジャーナル第548回》に桑田さんが出演。
約1時間にわたる番組内容書き起こしを4回にわけてお伝えします。
今回は、第3回目です。
冤罪を産みだす「調書」の存在や、自分の裁判の判決の予測などを、
被告人の立場である桑田さん本人が語ります。
聞き手は、吉岡優一郎さんです。
※桑田さんによる「動画解説」は、
支援ブログ「0.1%の真実」で120まで公開されています。
2月22日東京、3月3日大阪で、桑田さん本人が語るミニセミナーがあります。
多くの方のご来場をお待ちしています。
セミナーで濃い時間をお過ごしいただくために、また、セミナーに行けない方のために、ぜひ、桑田さんのお話を、いっしょにおさらいしていただきたいと思います。