ETV特集「賀川豊彦」奉仕の精神と社会を変える知恵に学ぶ

ETV特集 賀川豊彦「人の役に立つには」

近代化が進む明治・大正時代、繁栄の影で取り残された貧しき人たちがいた。彼らを救うために立ち上がったのが、社会事業家・賀川豊彦だ。賀川は、病気や犯罪がまん延する貧困地区の人々を救うため、数々のアイデアを生み出し、実現して行く。東京を襲った関東大震災では、災害ボランティアを組織し、未曽有の大災害からの復興を支える大きな力となった。常に弱き人たちを支え続けた賀川豊彦。人助けのエキスパートの知恵に迫る。


彼の生き方の原点は、キリスト教
*世のため人のために尽くす「奉仕の精神」


*****************
賀川豊彦は、困難な状況にある人たちのために、どうすれば彼らを助けられるか?自分が役に立つことができるかを考え続けた。

自分の欲が優先し、自分の儲けばかり計算する人の多い世の中で、(今だけ金だけ自分だけはその典型)、人のために尽くそうという人は少ない。
特に今は、むき出しのエゴと金儲け一辺倒の世の中になってきている。
その対極にある賀川の生き方。清涼剤のような番組でした。

M42年、21歳の賀川はスラム街の人々を救おうと決意。

イメージ 1

単身、神戸の貧民街に飛びこむが、現実は想像よりも厳しい。
そこで・・
知恵その1、チームを作って困難を乗り越えた
M44年、ボランティア組織「救霊団」を結成
1人ではできなかった社会福祉事業を次々と実現させる。
栄養のある食事の提供、病人の看病。
病人の看護のために診療所を開設

イメージ 2

貧困地区の環境は良くなっていった
 
賀川が生涯、大切にしていた言葉
「一人は万人のために、万人は一人のために」

その後、賀川は仲間に救援活動を任せて、アメリカに留学
(人は信頼して任されると信頼にこたえようとして成長する)

さまざまな社会事業矢労働運動を学んで帰国する。

*労働運動→組合を作って団結、大企業に要求を突きつけている姿に衝撃を受け、デモの必要性を知る。



イメージ 8

イメージ 9

帰国後は・・・
*「防貧」という発想で、
人々が貧困に陥るのを防ぐセーフティネットの構築


イメージ 10

*貧しさを防ぐ仕組みを作る→仕事を探す
賀川自らが職場を見に行き、就職させ、経済的に自立させた

アメリカで見たデモを実現させる
イメージ 11
イメージ 12


大正10年史上類を見ない巨大なデモを指導し、
     ↓
労働者の待遇は少しずつ改善される

一人ひとりの力は弱くても団結すれば大きな問題を解決できる

デモは民主主義で国民の行使できる権利であり、政府への抗議手段でもある。
今の日本は、おとなし過ぎる。
ここまでの悪政に従順でいるのは、認めているのと同じこと。

T9年『死線を超えて』出版ベストセラーに印税はすべて社会事業に。



廃墟と化した東京で残された被災者を救おうと決意

イメージ 13

イメージ 14


*被災地への支援を訴える講演活動(一ヶ月で58回も…)
→多額の募金と救援物資の調達
 「賀川さんが来る」というと皆が駆けつける
→人を助けるために自分の名声を利用
*その上、ボランティアも集まり→民間主導の災害ボランティアの始まり
被害の大きかった下町に仮設住居となる大きなテントを設営し、
食糧支援、医療活動などを行う

知恵その2-やる気を呼び覚ます
昼夜、奮闘するボランティアに対して彼らのやる気を呼び起こした
現場を回っては声をかけ、それぞれのがんばりを認め、ほめ続けた。

人への関心、愛があってこそできる声かけ。それに応えるボランティアがあって、3年以上もの救済活動ができたのだと思う。

*賀川の失業対策
経済的に自立することも難しく、生きがいも失っていた人たちのために
信用組合を作る
被災者同士がお金を出し合い、まとまった資金を作り、そこから低金利で貸付を行い、事業を起したり、資金を低金利で融資したりする
身近なものを担保にお金を借りる

イメージ 3


イメージ 4


賀川の信用組合は被災者たちに自立の希望を与え、生きる気力を呼び起こした

段階的なアプローチで支援する
①食事、衣服。家・・といった生活支援
②次に被災者の自立をどのように助けるか。
    ↓
信用組合を作る
人々が地域で暮らしていけるための仕組みを作った

知恵その3-狭い殻を破ろう
貧民街での子供の盗み癖などに心を傷める賀川

*両親を失って後、家庭環境になじめず、自分の殻に閉じこもった自分が、
牧師との出会いによって世界が広がったことを思い出し、
今度は自分が子供たちの未来を変える手助けをしようと決意
       ↓
子供たちを自然豊かなところに遠足に連れ出す

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 5

(貧困地区の狭い世界しか知らない子供たちの視野を広げる
        ↓
豊かな大自然に触れるうちに
子供たちは生き生きとした姿を取り戻していった。


更に、子どもたちが心休まる居場所を作ろうと、
保育園や幼稚園を全国に設立。
進学したい子には、彼のポケットマネーで大学へも行かせた。
「子供は大人よりもえらい。次の時代はこどものものだ。」by賀川

ゲスト(海外で救援活動をされている医師河原さん)の言葉(まとめ)
「弱い者も含めての人間社会。弱い者にいかに手を差しのべるかということが大切。賀川さんに学びながら現代社会でもやっていかないといけない」

*************************

時代は100年も経っているのに、人間の倫理観や考え方まで進歩しないのは残念です。せっかく賀川が道すじをつけた組合運動やデモもいつのまにか消え、
労働者は派遣社員となって身分を貶められ、組合は解体されて労働者側の主張もできにくくなり、逆戻りしている。
一人ひとりの力は弱くても団結すれば大きな問題を解決できる」
野党の問題も含めて、私たちも手をつないで団結し、抗議していかなければと思う。
また、企業はむき出しの金儲け路線になってきているが、仕事の社会的意義を再考し、企業理念に「奉仕の精神」を入れてほしい。

社会への奉仕、お客様を大事にする顧客への奉仕、会社のために働いてくれる従業員への奉仕。
このような会社であれば、社会的信用も厚く、
大切にされる従業員もより良い仕事をしてくれるものだ。
賀川豊彦の生き方に学び、より良い社会に向けて歩んでいけたらと思う。