松本のおばさんの介護&おじさんの医療

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今回の松本行きは、介護や医療の現場を間近に見て…色々考えさせられた2日間でした。想像していたよりも状態は良くなくて、これから先どうしてあげたら良いのか、希望の持てない状況でした。
 
 
クモ膜下出血で身体の不自由なおばさんは、病院ではなく介護施設に・・・。
おじさんが突然入院したため、急に大切な人の姿が見えなくなり、
その不安からか、お父さんは?と聞きながら、認知症が進んでしまったようです。
持参した昔の写真に笑顔は見せてくれましたが、目は遠いところを見ているようで…、おばさんの唯一の願いは、おじさんの顔が見たい・・ただそれだけのように思われました。
 
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優しい介護士さん達に囲まれた施設で、安心してお任せできるようでも、
やはり大切な家族の存在、それも毎日見舞ってくれたおじさんの存在は大きいのですね。
私の102歳の祖母も施設に入っていますが、毎日話をしに出かける叔母が旅行で5日ほど顔を出さなかっただけでも…周りのことがしばらくわからなくなるそうです。
祖母はいつも元気で記憶力も衰えていないと思っていたのですが、
それは叔母の毎日の訪問の賜物だったのだなと思いました。
昔のように家族が一緒に住んで…いつも自然と話しかけられるような環境が本当は望ましいのでしょう。
おじさんは、転んだ弾みに頸椎を骨折して、入院中。
星野富弘さんと同じく「折れたたんぽぽ」の状態でした。
おじさんは91歳。骨がもろくなっているので転んでも打ち所が悪いと簡単に骨折するそうです。
最悪の時期を何とか乗り越えたものの、万一のことを思うと、人工呼吸器が外せず…意識も頭も健康なだけに、病院にずっと縛り付けられ、希望が見えてこないのが辛く感じました。
写真をとても喜んでくれて、「乗鞍は牛がいっぱいいたね~。」「あの頃に戻りたいなぁ・・。」と小さい声で仰るのに泣きそうになりました。

病院では、6ヶ月は置いてもらえるものの、リハビリや治療はせずという条件での入院だそうで、これで回復していく見込みはあるのでしょうか?
 
おじさんは、まだ流動食でした。
流動食と言えば、おきまりの牛乳やおかゆ、おかずにとろみが付いて出てきます。この流動食にも・・放射能汚染された食品が入っているのではないかと疑心暗鬼になります。
 
 
栄養をつけて、早く元気になってほしいと願っているのに、健康に良くない食べ物を使うようにという通達は、どう考えても、病人を見捨てているとしか思えません。
おじさんは心臓が良くないので、万一、セシウム入りの食材を食べさせられ続けると、心筋梗塞も心配です。(セシウムは心臓にたまりやすいので・・)
 
また…食事を食べさせる時も、患者が飲み込むのを待たずに
どんどん口に食べ物のスプーンをあてがわれ…飲み込むのが辛そうなおじさん。
「もう少しゆっくり食べさせていただけませんか?」とお願いすると、
「人手不足で次に食べさせる患者さんが待っているので…ゆっくり時間がかけられないんです。」とのこと・・。
流動食であっても、ゆっくりよく噛んで食べてほしい・・と願う家族には、食べ物を口に入れさえすれば良い・・というような食べさせ方はとても悲しい現場でした。
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そういえば、亡くなった夫も…毎日血液検査をされて、足りない成分や栄養を補うという目的で山のような点滴の袋を持ってきて、どんどん点滴を早められたことを思い出しました。
「どうしてこんなに早めるのですか?」と聞くと、早くしないと1日で全部の点滴が終わらないからだと言うのです。
それだけではなく…お腹が痛むということをナースセンターに連絡すると、様子を見にも来ないで、「痛み止めも点滴に入れてありますから…」という答。
これが医療なのかと?思いました。
患者に寄り添うことは、医者や看護師の基本的姿勢だと思うのですが、そんなものは忘れられ、効率や儲けが優先されている・・そんな病院が多いように感じられて、白々とした気持ちになります。
病人への配慮を欠いた医療で、患者が快方に向かうとはとても思われません。
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子どもたちがそれぞれ独立して家庭を持ち、
    子どもたちは仕事や家庭の都合で、
       また、おじさんおばさんは子ども達への遠慮から
一緒に暮らさずに、おじさん一人におばさんの介護を任せていました。
 
老々介護です。
一人が倒れ、その介護をしていたもう一人が突然倒れ・・となると、
もし、気づくのが遅ければ、また、おばさんが施設に入っていなければ、二人とも共倒れになるところでした。
ばらばらの場所で命をつないでいる状態で、互いに心配しあっていても、こんなに場所が離れていては会うこともできません。
 
今は大阪から静岡に転勤したばかりの弟さんが、毎月車で月二回見舞っているようですが、彼も連休がとれないので、土曜日の晩に静岡を出て、5時間、夜中の二時半に松本着。午前は母親のところに、午後は松本から一時間かけて、上田市の父親のところに見舞いに行って、静岡に帰る・・という強行スケジュールです。
 
友人のお姉さんの方も、看護師の仕事で連休が取れず、病気の息子さんも抱えて度々来ることは無理があり、二人とも年老いた両親を心配しながら家庭や仕事をこなし、精一杯のことをしているのだと思います。
 
・・・でも、何しろ遠い・・。
両親への思いはあっても、十分なことができないもどかしさがあります。
 
私の母も仙台で一人ぐらし・・・いざというときはどうしたらいいのか。
マメに連絡をとり、できるだけそばにいてあげるのが一番・・。
元気なうちに、よく話し合っておこうと思いました。
 
親が長生きしてくれるのは嬉しいことですが、万一の場合の覚悟や準備、皆様のところではどうされているでしょうか。