愛を「倍返し」

昨年、夏に亡くなられたAさんの追悼集です。
 
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Aさんの不思議な力に引き寄せられた5人が集まって、原稿募集から出版社探し、編集、校正まで全てやりとげました。
 
もっとも、ジャーナリストだったAさんのお友達やご自分の本を何度も出版されている方など、編集のプロが集まったので、私以外の4人のメンバーと、今は守護霊となった?Aさんのお導きのおかげと思っています。
 
180冊という大冒険にも関わらず完売!
Aさんの小学校時代の友人まで同級生たちに手配してくれたり、寄付があったり・・と、
赤字も免れ、読まれた方々の声で…「Aさんを偲ぶ会」まで開催できました。
Aさんの人徳の賜物でしょう。
 
Aさんとはこんな人・・・・

Aさんは、家族はもちろん、出会った人全てに優しくて温かい方でした。
私にとっては父親のような存在。
でも、
追悼集に寄せられた原稿を見ると、他の方にとっても慈父であり、頼もしい兄貴であり…また、大親友であったと書かれています
 

仕事を辞めてニュージーランドに住むことになった時も、真っ先に会いに来てくれたのは上司のAさんだった・・
父親が亡くなった後も、Aさんは父の代わりになって、力になってくれた…
芋掘りに誘われて、誘った本人が約束を忘れて行かなかったのに
1日中畑で待っていたAさん。
子どもとかくれんぼをして、いつまでも探しに来てくれるのを待っていた良寛さまのようです。)
後日、恨みがましいことも一切言わずに「畑で1日待っていましたよ~。」とだけ言われたAさんの度量の大きさに感嘆!
すごいのは、「兄のように慕って57年」とか、「バッテリーを組んで38年・・・」とか、
Aさんと出会ってからのつきあいがとても長いこと。
出会ったら惹きつけられる「磁石のような人」と言われた方もいました。
 
皆から「親友」だった・・と言われても、決して八方美人ではなく、
その逆で、一人ひとりを大切に、思いやり深く接する方なのです。
 
昔、心理学の先生が、兄弟を育てるときは、それぞれの子が「自分が一番愛されている・・」と思わせるように育てるのが一番良いのですと仰っていました。
これは、まさにAさんだと思いました。
 
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中学校のPTA会長も経験されました。
Aさんは、言葉の使い方の達人!
「皆さん、PTAのPはパッション(情熱)のPです。わが子のために燃えましょう。
皆さん、PTAのTは、チームワークのTです。お互い手をしっかり握りましょう。
皆さん、PTAのAは、アクション(行動)のAです。良しと決めたら行動に移しましょう。」
 並み居る学校職員や父母の心を奪った就任あいさつだったそうです。
 
地域では、40歳以上が入部条件のソフトボールチームを作って、
毎週日曜日に練習や試合をこなす現役選手&監督でした。
なんと78歳で亡くなる1週間前まで練習をしていたのです。
 そして、野球もお酒も楽しめるのは奥さんのおかげ・・と奥さん孝行を推奨され、
チームでは毎年、「奥さんへの感謝一泊旅行」があったそうです。
ここがAさんの素敵なところで、家族を何より大切にされる方でした。
 
Aさんが、私に残してくれた言葉「語り合いは語り愛」
相手を一切否定しないで、語り合うのが「語り愛」
人は「語り愛」によって、親しくなり、つながっていく・・・というのが持論でした。
人と語り合うのが好きで、心のふれあいを大事にしたAさんらしい言葉です。
Aさんからは色々教わることがいっぱいでした。
 
小学校時代のご友人の書かれた文章にはこんなふうに結んでありました。
 
・・母一人子一人で育った彼は、家貧しい環境で育ったせいか、家族を大事にして、かつ、人に対し、限りなく優しかった。
・・・恩義を受けたことは終生忘れず、友を大事にした。彼は多くの人を愛し、多くの人から愛された・・・。
 
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半沢直樹の「倍返し」が、流行語になっていますが、
さしずめAさんの場合は「愛を倍返し」
 
人の悪口や批判をせずに、心にいつも愛をもって話されたAさん
人から優しく親切にしてもらったら、倍にして返す・・・
 
こんな愛の倍返しの心をみんなが持つようになったら、
世の中ももっと温かく平和になるでしょう。
 
Aさんに倣いたいものです。
私の人生の中でAさんに出会えたことを幸せに、また誇りに思っています。