JCO臨界事故から14年 「被曝というものが大変恐ろしい結末をもたらすということを私自身も改めて認識させられてしまいました」~第39回小出裕章ジャーナル

小出裕章ジャーナル

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JCO臨界事故から14年 「被曝というものが大変恐ろしい結末をもたらすということを私自身も改めて認識させられてしまいました」~第39回小出裕章ジャーナル




ラジオ放送日 Web公開
2013年10月4日〜11日
10月5日
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聞き手:
今から14年前、茨城県東海村で極めて深刻な原子力事故が起こりました。1999年9月、JCOの核加燃料加工施設内でウラン溶液が臨界状態に達して核分裂反応が発生して、これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち、2名が死亡、1名が重症となる痛ましい事件がありました。ちょうど、今から14年前になります。この事故の時は、小出さんはどちらにいらしたのでしょうか。
小出さん
原子炉実験所の所内で仕事をしておりました。
聞き手:
第一報を聞かれた時はどのような感想を持たれましたか。
小出さん
臨界事故だ、という情報が入ってきまして、まさかそんなことは起きない、と私は思いました。
聞き手:
臨界事故、臨界状態というのを簡単に説明して頂けますか。
小出さん
ウランという物質は地球上にかなり広く存在しているのですが、存在していても濃度が低いのでウランの核分裂の連鎖反応が起こるということは実質的にはない、という状態で地球上にウランがあるのですね。ウランの連鎖反応を持続的に起こさせるためには、様々な工夫をするということになっているわけです。そして、ウランの連鎖反応が持続するということを私たちは臨界と呼んでいます。
原子力発電所というのは、様々な工夫をしてウランの連鎖反応、つまり、臨界状態を維持して、そこから出てくるエネルギーを使うという装置、そういう装置なのです。しかし、1999年9月30日に茨城県東海村のJCOという場所で起きた事故は意図せずに計画もせずにいきなり臨界という状態が出現してしまいました。ですから、臨界という言葉に事故という言葉を繋げて臨界事故と呼んでいます。
聞き手:
小出さんは講演会等でたびたび、この14年前の事故について言及されますが、研究者である小出さんから見て、現在から振り返って重大性というのはどういうところにあるとお考えですか?
小出さん
まず、被曝というものが大変恐ろしい結末をもたらすということを私自身も改めて認識させられてしまいました。(事故に遭った)大内さんは9月30日に被曝してしまいまして、83日間治療を受けました。その経過が、『被曝治療83日間の記録』という題名で岩波書店から出版されています。
すでに絶版になっていますが、今は『朽ちていった命』と名前が変わりまして新潮文庫になっています。1ページ読むごとに閉じてしまいたくなると思うほど、辛い内容の本ですけれども、大変、私は被曝ということを知るためには貴重な本だと思いますし、多くの方に読んで頂きたいと思っています。まずはそのことがひとつです。
そして、この事故はですね、今日一番初めに聞いて頂きましたけれども、第一報が入ってきた時に、臨界事故など起きるはずがないと私は実は思ったのです。臨界事故というのはもちろん決して起こしてはいけない事故なのであって、世界で原子力の開発が始まってから、何度かは起きましたけれども、1970年代前半にはもう根絶されていてこんな事故はもう2度と起きないというのが私たちの世界にいる人間の常識だったのです。
それが日本というこの国で起きてしまいまして、私は大変、驚きました。ただし、事故の経過をだんだん調べていくうちに、世界の人たちもこの事故の経過を調べていくうちに、あっ日本だから起きた事故なんだ、と言われるようになりました。
http://www.rafjp.org/wp-content/uploads/2013/10/39_koide.jpg
聞き手:
科学先進国の日本であると言ってますけれども。
小出さん
違うのです。日本の人たちは、日本が科学技術先進国だと思っているはずだと思います。原子力の世界でも日本が世界の最先端を走っているという風に思いこまされているわけですけれども、決してそんなことはないのです。
この日本という国は長い間、鎖国をしていまして、西洋の近代文明、近代科学に触れるなんていうことは極々最近のことなのです。そして、ようやくにして西洋文明のものまねをしながらここまで来たわけです。まず、科学技術先進国という思いあがりを捨ててもらわなくてはいけませんし、こと原子力に関する限りは全くの後進国なのです。
日本という国は。それは、戦争に負けて原子力研究を禁じられていたということもありますし、元々の科学技術の力量の不足ということもあって、皆さんの思っていることと違って原子力の先進国でも何でもないのです。そのために、臨界事故という世界で根絶されたはずの事故も日本で起こってしまったということです。
聞き手:
この事故の教訓というのは、その後の原子力研究、あるいは原子力運営に生かされたのでしょうか。
小出さん
全くなりませんでした。臨界事故というのは容易に防ぐことができます。つまり、ウランというのはかなり地球に分散して濃度が低く存在しているわけで、そういう状態では決して臨界にならないのです。
ある一定の場所に一定量のウランを集めない限り臨界にはならない、ということが長い研究の中で分かっているわけですし、どういう形状で集めてはいけないということがはっきりと分かっていましたので、世界の各国では、ウランは一か所に一定以上集まらないという管理の仕方をしてきたのです。それを「臨界管理とか「形状管理とか呼んできたのです。
ところが、JCOの場合には、ウランが一か所、私たちが沈殿槽と呼んでいる層なのですが、かなり大きな層でそこに集まってしまうというような形の工場が認可されていた。ですから、私はそんな工場を認可させてはいけないし、そんな工場にお墨付きを与えた学者、あるいは政府の責任だと思ってきました。今でもそう思っています。
聞き手:
現場のマニュアル通りにやらなかったという批判が当時かなりありましたよね。
小出さん
そうです。いつもいつも、そうなっていて現場の運転員がバカだったとされてしまうわけですけれども、でも、原子力を推進してきた人たちは原子力の現場というのは、フェイルセーフ(failsafe)、フールプルーフ(foolproof)、つまり、何か故障が起きても安全だし、運転員がバカなことをしても大丈夫なんだと言ってきたのですね。
でも、実際にはそんなことはないわけだし、確かに、運転員が手順書と違うことをやったということはありますけれども、そんなことをやったところで臨界などにはならないようにもともと工場を作らなければならなかった。
聞き手:
そのとおりですよね。
小出さん
工場を認可した人にこそ、責任があるはずですが、一切の責任をとらないまま、運転員の人に全ての責任を押し付けて、この事故に幕を引いてしまいました。
聞き手:
それも、今の福島の在り方と共通することがありますよね。
小出さん
そうです。本当に残念なことだと思います。
聞き手:
先ほど、小出さんが紹介されました『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』(新潮文庫)に書かれている大内さんは、本当に凄まじい体の破壊が行われました。染色体そのものがあらゆる機能が失われていく姿が克明に記録されています。これは、福島第一原発放射線を浴びた人たち、作業されて基準量が超えている人たちもいます。それが心配なのですが、それをどう考えたらよろしいでしょうか。
小出さん
JCOの事故で被曝をした大内さん、篠原さんは膨大な被曝を受けたのです。染色体すらがバラバラになって形を留めないという程の被曝だったのですが、ごく短期間のうちに命を落としてしまうということになりました。でも、今、福島の事故収束に当たっている作業員の方々が大内さんや篠原さんのように大量に被曝をしてしまっているかというとそうではありません。
ただし、それほど大量に被曝を受けなかったら何でもないのかというともちろんそうではありません。被曝をするということは染色体や遺伝子に次々に傷を受けてしまっているわけで、それによってすぐに死なないにしても傷自身はそこにありますので、やがて、ガンや白血病という形、あるいは、多分、様々な他の形で表れてくるだろうと思います。
聞き手:
『朽ちていった命』が新潮文庫から発売されています。この書き起こしをお読みになっている人も是非、読んで下さい。