邪馬台国は、北九州に・・。日出る処の天子「阿毎・多利思北孤」
友人がユニークな本を出しました。
古代史研究会で古田武彦先生の著書に学び…そこで学んだことを本にしたのですが、素人ばかりの研究会で、ここまで究められた向学心と探究心に敬意を表します。
「阿毎・多利思北孤」
「アマ・タリシホコ」と読みます
「アマ・タリシホコ」は、北九州王朝、倭国の天子で、「日出る処の天子、書を日没するところの天子に致す、恙なきや・・」と書いて送った人物です。
でも…この本を読んで考えが変わりました。
*****************************
「記紀」成立以前の中国の歴史書を丹念に調べた古田武彦氏は、
こちらをご覧ください。
隋書」には・・・
日出づるところの天子…の有名な言葉が‥そしてアマタリシホコの名前と「阿蘇山」という地名まで出ています。
日出づるところの天子…の有名な言葉が‥そしてアマタリシホコの名前と「阿蘇山」という地名まで出ています。
(あ、そうか!とうなずきたくなりますね)。
「隋書」に「阿蘇山」の記載があったこと等、教科書で見たことがありません。
大和にあったと思わせたい学者は、「三国志」は「臺」を「壱」と書き間違えたのではないかということになっているそうです。
私も単純なので語感が似ているから邪馬台国は、
漠然とヤマトだと考えていました。
皆様はどう思われますか??
****************
おまけ
日本人の知らないニッポンという記事もあります。
ここにも学校の歴史では教わらない日本の真実の歴史が書かれています。
お時間がありましたら,一度,覗いてみてください。