思い出の北岳登山

山の好きなブログ友達が何人かいて・・
記事を見ながら、自分の登山体験を懐かしく思い出しました。
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まだ20代前半の頃。
親友のご主人が山男さんで、日本で二番目に高い山、北岳への登山に誘われました。
・・・と言うのも、私の失恋相手が山男だったから・・!
「一緒に山に登って恋の痛手を忘れましょう・・・」というようなことだったと思います。
持つべきものは良き友!  そして心優しい山男!
 
実はこの時、本格的な登山は初めて・・。
アルバムを探してみたら、・・なんとスケジュールもとってありました。
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初登山者の私のために・・・、計画も持ち物も、わかりやすく親切!
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白根御池小屋で一泊
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今もよみがえってくるのは、漆黒の夜空を飾る満天の星です。
宇宙を感じるひと時・・。
煌めく星の数の多さに、思わず「プラネタリウムみたい・・」と言って笑われました。
プラネタリウムの方が星座を摸しているのですものね。
 
そして、翌日は楽しみにしていた雪渓をアイゼンをつけて渡りました。
雪渓の前で記念撮影。
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ここで、記念に口にした雪が・・美味しかったです!
 
北岳と言えば、日本で2番目に高い山ですが、お花畑の宝庫としても有名。
ハクサンフウロ、ウサギ菊、イワベンケイハクサンイチゲ、ミヤマツメクサ、テガタチドり、
イワギキョウ、シモツケソウ・・などたくさんの高山植物との出会いに心踊らされました。
 
無知な私は「ミヤマ霧島も咲いていますか?」と質問して、また笑われてしまいます。
「ミヤマ霧島」は「坊が鶴讃歌」に出てくるので、どこの山にも咲いているものと勘違いしたのです。「坊がつる」は九州の山。そして咲く時期も5~6月とのこと。(三田の宮さまのブログで教えていただきました。)あ~、恥ずかしかった!
初めての本格的登山でしたが、いくつもの山を制覇してこられた友人のご主人とその仲間たちに支えられ、何とか無事に登山を終えました。
その後、山女になることはありませんでしたが、この登山体験は、私の失恋を爽やかな思い出の1ページへと変えてくれました。
 
 
こちらは、その思い出の人Kさんの撮った鷲羽池と槍ヶ岳の写真です。
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彼は、お花とワインを持って我が家を訪ねてくれたのですが・・・
うちの家族と合わなくて、私たち二人の思いはなかったことになってしまいました。
私は養女だったので家の理解を求めるのは難しく、結局・・その後、話し合うこともなくお別れしてしまいました。
結婚していたら・・・きっと、この友人夫婦と一緒に山登りを楽しんだことでしょう。
ブログのお友達が、ご夫婦で山登りを楽しんでいらっしゃるのを見ると、ちょっとうらやましい気持ちになる私です。
 
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登山というと思い出すのが、もう一つ、
中二の時読んだ「氷壁」に出てきたこの詩が忘れられません。
日記に書き留めていた詩です。
 
モシカアル日、
モシカアル日、私が山デ死ンダラ、
古イ山友達ノオ前ニダ、
コノ書ヲ残スノハ。

オフクロニ会イニ行ッテクレ。
ソシテ言ッテクレ、オレハシアワセニ死ンダト。
オレハオ母サンノソバニイタカラ、
チットモ苦シミハシナカッタト。

親父ニ言ッテクレ、オレハ男ダッタト。

弟ニ言ッテクレ、サァオ前ニバトンヲ渡スゾト。

女房ニ言ッテクレ、オレガイナクテモ生キルヨウニト。
オ前ガイナクテモオレガ生キタヨウニト。

息子タチヘノ伝言ハ、『エタンソン』ノ岩場デ、オレノ爪ノ跡ヲ
見ツケルダロウト。

ソシテオレノ友、オ前ニハコウダ-
オレノピッケルヲ取リ上ゲテクレ。
ピッケルガ恥辱デ死ヌヨウナコトヲオレハ望マヌ。
ドコカ美シイフェースヘ持ッテ行ッテクレ。
ソシテピッケルノタメダケノ小サイケルンヲ作ッテ、
ソノ上ニサシコンデクレ。


『モシカアル日』は、ネットで検索しました。
原詩を作ったロジェ・デュプラはフランスの登山家で1951年、30歳の時にヒマラヤで消息を絶ったとのこと。
そして、今日は三田の宮様のブログで、この詩をもとにして作られた懐かしい「いつかある日」にも出会いました!!
 
いつかある日 山で死んだら
古い山の友よ 伝えてくれ

母親には 安らかだったと
男らしく死んだと 父親には

伝えてくれ いとしい妻に
俺が帰らなくても 生きて行けと

息子たちに 俺の踏み跡が
故郷の岩山に 残っていると

友よ山に 小さなケルンを
積んで墓にしてくれ ピッケル立てて

俺のケルン 美しいフェイスに
朝の陽が輝く 広いテラス

友に贈る 俺のハンマー
ピトンの歌う声を 聞かせてくれ
 
この詩を読むと、いつも泣けてしまいます。