「対テロ戦争」に「勝利」(=終結)などありません

戦争は平和だ

「平和国家」を標榜し、「積極的平和主義」を唱えて、いくら「平和」イメージを振りまこうとも、世界で一番戦争をしてるアメリカに基地を提供してる日本が、
そして定期的にパレスチナ人を殺戮するイスラエルに武器を売る予定の日本が、
そしていわゆる「テロ対策」を名目に、海外にまで軍事基地をこさえようとしてる日本が
周りの国々(あるいは人々)から「平和国家」だと受け止めてもらえる…と考えるのは、かなり図々しい話であるとぼくは思ってたけど、そない思ってるのはぼくだけではなく…

ニッポンが「平和国家」だったというのがそもそも大ウソで、それが慢性化したウソであるということがいよいよ隠し切れなくなってきたとみるのがむしろ自然ではないか。(ひとさまのtweet

さらに、日本がいくら「民生部門」を強調しようと…
安倍は今日の会見で「避難民支援」を強調したが、カイロでは「ISISと闘う周辺国に2億ドル支援」と語り…(ひとさまのtweet
わざわざ、「ISISと『闘う』周辺国に2億ドル支援」とゆうてもうたら

「日本がISISと戦う側につく」という意味にとられてしまうのは、当然の成り行きではないですかね


そして、安倍ちんたちが目指すは、日本が平和主義と言えるかも知れない首の皮一枚の根拠である、

憲法9条を変えること…なんですけど、そうなると、もう、

日本が「平和主義」であるといくら対外的にアピールしても

もはや、「勝手に言うとけ…」と、冷笑されるのがオチやと思います


そもそも、安倍のいう「積極的平和主義」なるものは、本来の「積極的平和」とその「積極的平和」を目指すべきだとする考え方(=積極的平和主義)とはまったくの別物であり、こういうのを「言葉泥棒」(あるいは単なるペテン)というんです

本来の「積極的平和」とは、
「単に平和=戦争のない状態と考える『消極的平和』に対して、
 貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない状態を『積極的平和』(ウィキ)」とするもので、
 
「積極的平和主義」とは、貧困や抑圧、差別のない状態を目指すという考え方です

(この本来の「積極的平和主義」と安倍が勝手に唱えてる「積極的平和主義」に
 いったい何の共通点があると言うんですか)


安倍の言う「積極的平和主義」なるものは「軍事力を行使して平和をつくりだす」という意味としか受け取れないんですが

これはまるで、有名な暗黒未来小説『1984』に出てくる超大国(それは全体主義国家)のスローガンである

「戦争は平和だ」…じゃないですか

戦争によって平和をつくるんだ、戦争こそが平和なのだ…

この小説に出てくる全体主義国家は国民をそのように洗脳するんですが、実は、戦争は支配層の権力維持のために行われているので、
その戦争は終わることなく永遠に続く…

これもまさしく、現在の世界の状況にそっくりです

思えば、アメリカが先頭に立った「独裁国家討伐」がまずあって

独裁者を駆逐すれば、平和が訪れるはずだった…

ところが、その結果はどうですか

独裁者なき後の国は混乱を極めて、今度は、彼らが言うところの「テロリスト」の登場です

そして、独裁者なき後の国や地域で、今、「対テロ戦争」なるものが行われています

でも、ぼくにはわからないんです

対テロ戦争」って、いったい誰と何のために戦ってるんですか
テロ集団を殲滅するために、テロ集団と戦ってる?

でも、欧米が「対テロ戦争」をすればするほど、「テロ集団」は増え続け、彼らがいうところの「テロ」は拡がってるじゃありませんか

だとすると、この「対テロ戦争」は、その表向きの目的とはまったく異なり「テロを起こすための戦争」になっていて、まさに「終わることのない永久の戦争」が今、続いてるんやないですか

これは、「戦争を続けるための戦争」なんです
(平和を手に入れるための戦争じゃないんです)


そういう意味では、「対テロ戦争」に「勝利」(=終結)などありません
(なぜなら、戦争の終結を彼らは最初から望んでいないと思えるからです)
でも、もし…、もし、仮に「対テロ戦争」に終わりが来るときがあったとしたら、彼らはまた、別の理由で戦争を始めるのではないか…


なんてことをぼくは考えるんですけど、それはぼくが考えるよりも先に
1984』を書いたジョージ・オーウェルが既に考えていたんでした…