入院生活は楽しく♪ ギラン・バレー症候群入院顛末記

昨年の今頃は、まだ入院中の身の上でした。
入院生活を今一度ふり返っての記録です。

突然の発病

忘れもしない昨年の1月24日。
私は突然、手足の力が抜けて立てなくなった。
目は二重に見え焦点が合わない。

死を覚悟して、救急車で病院に運ばれたが、三日間あちこちの病院を回っても、

病名はわからず、治療ができない。

1日目に遺言はしておいたが、2日目には口も麻痺、3日目は目も開けにくい。

このまま奈良にいては危ない!と思った次男が私を車に乗せて大阪に運び、

翌朝、また救急車で堺の大きな病院に行き、ようやくギラン・バレー症候群と診断された。

自己免疫疾患で、免疫機能が誤って自分の運動神経を殺していく難病。
まず足に力が入らず、立てなくなる。
手足が動かないと言うと、脳梗塞と間違えられ、
MRI撮影で何もなければ様子を見ましょう・・となってしまった。
早期発見と確実な診断をしてもらうには,神経内科のある総合病院へ行くのが肝要。
人口10万人あたり年間1~2人の発症数なので、わからなくても仕方がない・・?

でも、診断がつき、治療が始まると快復は早かった。
私のような重症患者は、リハビリも含めて6ヶ月から1年くらいかかる人もいるようだ
幸い、私は3週間後には退院。  3ヶ月後には会社にも復帰できた。

奇跡的な快復

どうしてこんなに早く快復できたのだろう?

もうまもなく死ぬだろうと思った時、生きることに未練はなかった。

すでに死に傾いている私の気持を変えたのは
入院した日に、息子が耳元で言ってくれたこんな言葉。

「お母さん、よかったね。助かるって・・。
後遺症残るかもしれないけど、命は助かるって・・・。」
薄目を開けてみると、息子の嬉しそうな笑顔がぼんやり見えた。

かなり重症で運ばれた私。
後遺症が残るかもしれないのに・・、
また息子に迷惑をかけるかもしれないのに・・・
命が助かる・・ということをこんなに喜んでくれるの?
奈良から大阪まで動けない私を運び、病院を探し、
私のまわりの連絡や用事も全てしてくれた次男。
こんな事を言われて胸がいっぱいになった。
この子のために、早く快復しなくては・・。
快復したら子ども孝行させてもらおう・・・そう思った。

関東にいる長男も急いで駆けつけてくれた。  
やっぱり家族って良いなぁ・・。
気持が温かくなって、少しだけ元気が出た。

「お母さん・・治療は大変だけど頑張らなあかんで・・。」
・・・え?
「治療、調べてみたんやけど・・全血液交換か腎臓透析・・ステロイド治療・・」
・・・何ですって・・・!
そこまで聞くとぞっとしたが、次男が慌てて否定!
「お兄ちゃん。それは昔の治療法。
今は免疫グロブリンを一週間点滴するだけでいいんだよ。」
・・ ふう・・やれやれ・・
で、私の場合は、免疫グロブリンがよく効いた。

でもそれだけでないだろう。
やはり、「病は気から・・」
気を高めれば、病気も連動して良くなるのではないか?

生きる楽しみ

2月3月に会う予定の友人達には、息子から口述メールをしてもらっていた。
「もうダメだと思います。今までおつきあいしてくださってありがとう・・」という内容で、
「私(息子)が母の代筆でメールしました・・」と書いてあるので友人もさぞ、びっくりしただろう。
その中でちょっと忘れられないお返事があった。

心配しております。一刻も早く治してください。
映画会は3月末なので、参加できないと言わずに参加できるようになってください。
温泉にも必ず一緒に行きましょう。完治したメールを待っています

意識が死に向かっている時に、こんなメールが届いたら、
                     やはり嬉しいし、人生への未練は残る・・。

日頃のこんな楽しみは、自分のささやかな生きる喜びであったことに改めて気がついた。

私の友人も,病院から「辛くてもう死にたい!」と何人かにメールを送ったところ、一人から「早く退院して、一緒に美味しいもの食べに行こう!」という返事が返ってきた。
グルメの友人は、とたんに「早く良くなって、美味しいものを食べに行かなくては・・!」と思ったそうだ。

人生の楽しみは色々あるが、映画、温泉、グルメ、音楽、観劇・・等々,どれも生を支える貴重なものだ。
辛い・・死にたい・・・もう生きていたくない・・などのマイナスな気持ちに対しては、
  こんなふうにその人の人生の楽しみの部分に目を向けた声かけが良いのであろう。
それは、生きる意欲につながる。

3月の映画会も温泉学も、どちらも参加したい・・。
 
参加できるようにしよう!・・・これが私の目標になった。

器具をつけて歩くことから始まったリハビリだが、(足に力が入らないので宇宙遊泳のような足取り、衣服も宇宙服のようだった・・) 自分としてはかなり頑張った。
先生からも「こんなに早くリハビリが終了した人はいません・・」とお褒めの言葉をいただき、
それが早期退院へとつながったと思う。

目標があるとがんばり方が違ってくる。

入院生活は楽しく♪

もう1人の大切な友人からのメールも紹介したい。

彼女の姉上は、半年前に白血病の診断を受けたご主人を支え、入院生活をいかに楽しく過ごすか?に心を砕かれ、その甲斐あって、ご主人は全快できたという。

楽しいことを考えながらリハビリをしたらきっと早く良くなりますよ~~♪」

そう言う彼女からの差し入れは、なんと古典落語の本。
次が阿刀田高の「「知っていますか?」シリーズ。
入院生活を楽しく,笑って過ごしてね♪という心遣い。
次々面白い本が手元に届き、入院生活を楽しく過ごせた。
まだその時、私は目の焦点が合わず活字が良く読めなかったのだが、
タイミング良く,元同僚がお見舞いに来てくれて、フレネルレンズをプレゼントしてくれた。
当てるだけで字が大きくなり,焦点が合わなくても、ぐっと読みやすくなった。
これはお勧めです。http://www.opm7.com/products/fresnel/img03.jpg凸レンズ型のルーペと違い、フレネルレンズの場合、厚みがないため薄型で、なおかつ軽量のレンズとなります

あと、いただいて嬉しかった物は、猫の好きな私が、猫と一緒に眠れるようにと猫グッズを・・。
リハビリが進むようにと5本指のソックス(指の感覚がつかめてありがたかった)
更に、遠方の友達からの祈りや励ましのメール等々・・・。
次男宅でリハビリ中には、札幌の友人が小樽の美味しいお魚を届けてくれた。

恐らく、私はこの時期に友達からとてもたくさんの愛をもらったのだと思う。
愛は、お花にあげる水のように、人の心を潤し、元気にしてくれる・・。

そして、ちょうど、2月10日、私は奈良に一時帰宅したのだが、そこでもブログ読者の皆様からの温かいコメントがたくさん書かれてあった。
お会いしたこともない方々からの温かい心遣いと励ましの言葉がどんなに嬉しかったことか・・・。
感動もきっと免疫力を向上させてくれたことだろう。
皆様にも心から感謝です。

愛は病気を救う!

一週間、動けない状態が続いたが、やがて、大部屋に移された。
驚いたのは病室の雰囲気がとても明るいこと。
それは、私の隣に入院されていたYさんのおかげだった。

朗らかで世話好きな彼女は,身動きのできない人達のお世話を喜んでされる方であった。
ご自身は、手の骨折で入院され、身体は健康、なので、食事の世話から後片付け、
お茶はどう?頼みたいことはない?
さりげなく気遣いながら楽しい話もしてくださる素敵な方だった。

リハビリから帰ってくると,「ずいぶん歩けるようになったね」と、目めを細めてくれるし、どの患者さんにも関心を寄せてくれる看護師さん兼お母さんのような方。

いくつかの病室がカーテンごしに見える中、この部屋だけが、明るく、和気藹々として、みんなが互いに気遣いあう・・愛に溢れた部屋であった。
こんな病室に入れていただいた不思議。
私は、神様に助けていただいたんだな・・としみじみ思った。

また、私は原因不明で聴覚がどんどん落ちていく聴覚障害者なのだが、右の耳だけはまだ聞こえる。看護師さん達は私をハグして右の耳元で用件を伝えるというコミュニケーション方法を取られた。
一日、何人もの看護師さん達とハグ!ハグされる度に、温かい♡思いも伝わってくる。
ここにも,早く快復できた秘密があるかもしれない。

う~ん、やっぱり、愛は病気を救う・・・^^。

食べものと病気 &プラス思考で・・

最後にもう1人の友人からの入院生活と食事のアドバイスも記しておきたい。
彼は、もう60歳を過ぎているが、夫の癌治療の時からお世話になった方で、栃木県の那須に住んでいる。放射能汚染のひどい地域なのだが、今のところ、彼自身は大変元気である
彼は、「病気は食べ物が作る」「私たちの身体は過去の食べ物でできている」と言う考え方に基づき,彼の食生活はいわゆる「玄米菜食&少食」。
十分な睡眠をとり、おおらかな気持で笑って暮らせば人間は元気になれると考えている
(彼の食生活についてはまた別の記事で書こう。)

入院中のアドバイスメールが届いた。
*食事指導
食べてはいけないもの ・・・・砂糖 乳製品、小麦製品、パン。
目のためには亜鉛と、ビタミンB12を取ること
咳には蓮根(みりんや砂糖を入れない)がお勧め,長ネギも良い。

*退院してからの食生活は玄米ごま塩梅干し味噌汁を基調に、きんぴらゴボウ、ひじき蓮根など
EMと柿渋(ポリフェノールがワインの100倍)を送るので毎日少しづつ飲むこと
  ☆柿渋は,すごい味でギブアップ  ><

*精神的指針「求めよよさらば与えられん」 
 自分の最終目標と意志をはっきりさせておくこと。いつまでとか、どのように・・とか、
 ディティールが細かければ細かいほど望みは叶えられやすくなる

言霊を信じて,日々ポジティブな言葉を!口に出して言ってみる
 私は完全に良くなる。すでに良くなりつつある・・

*良い想像は良い未来を創造する。生きている今という貴重な時間を
 不必要な心配やネガティブエネルギーに支配されないように。
*ご飯をよく噛みながら、自分の思い描く明るい未来像を想像すること
今を明るく楽しく、神様に感謝しながら過ごして行けば、その先も明るく楽しい未来が見えてくる。
                                                    等々

いろんな気づき  

3週間の入院生活であったが、子供達と友人からの愛、いろんな気づきが与えられた不思議な日々であった。
病気とは、たぶん未熟な自分にいろんなことを教えてくれる一つの修養の機会なのだと思う。

*まず、突然死に直面したことで、自分の「死への準備」ができていなかったことに気づいた。
エンディングノートの準備、 断捨離 しておかなければ・・・

*しばらく連絡していなかった人間関係、気になりながらしていなかったこと、人から借りた物、
急に自分が倒れたら・・?と思うとして日頃から小さなことも後回しにはできないと思った
*そして、心から支えてくれた人達への感謝の思い
*更に、日々感謝して生きることや生かしてくださった神様に祈ることも・・。
 他にも色々あるが、今では、病気になってよかったのだと思っている。


追記:
コメント欄で,「病を得る」という考え方を教えていただきました。
 病気をきっかけに、自分を見つめ直し、いろんなことに気づき、人間としての成長につながる・・・。そう考えることができれば、病気に罹ったこともありがたく思えます。
さらに、どんなマイナス(苦労や辛いこと)も、何かの気づきがあり、乗り越えることで自分の成長につながる・・と考えることができそうです。

また,今回は死に直面したことで、自分の人生を、死からふり返って見ることができました。
死から生を観るということは、なかなかできないことだけに、貴重な体験でした。

✿「生かされたこと」への感謝の思いを忘れずに、
     残された時間を(一度死を意識するとこんな感覚になります)
                         丁寧に生きていきたいと思います。

✿長い体験談におつきあいいただきありがとうございました。