金で買った米議会演説<本澤二郎の「日本の風景」(1941)

金で買った米議会演説<本澤二郎の「日本の風景」(1941)

<韓国紙が報道>
 暴君のような日本首相が4月末の訪米で、欺瞞に満ちた「積極平和主義」を宣伝するため議会演説をするのだという。それについて韓国紙は「金で買った議会演説」と決め付けた。従軍慰安婦問題で怒り狂う韓国である。多少、過剰な反応をするだろうが、指摘されてみると、かなりまともな分析といっていい。いまの日本政府の手口を知る日本人であれば、なるほどと頷くはずである。


<貢物にされた自衛隊
 むろん、お土産を用意している。そのために、自衛隊を戦争させる軍隊として提供する法整備を急いでいる。本来であれば、国会周辺は大騒ぎになるところである。国会審議も止まる。
 当たり前である。日本国憲法第9条違反なのだから。野党はあらん限りの力を出して抵抗する義務を負っている。しかし、野党は高みの見物だ。「創価学会におんぶに抱っこの与党には、歯が立たない」と初めから白旗を揚げてしまっている。
 奇怪な国会である。ともあれ、日本政府は自公に命令して、自衛隊がワシントンの戦争屋の意のままに戦争する法制度を急がせている。

<そそくさと信濃町も協力>
 こんな場面でこそ、自民党の極右政策にブレーキをかける、と内外に公約してきた公明党創価学会である。現実はどうか。
 政府方針を受け入れて、そそくさと処理している。方法は巧妙だが、正体はばれている。政府が少し高めの計画を打ち出す。それに公明党が「少し下げて」と要求する。結果は、そのとおりになる。いうところの「デキレース」である。
 新聞テレビを押さえ込んでしまっている強みなのであろう。むろん、NHKは真相を伝えない。それにしても、信濃町の好戦的な対応が目に付きすぎる。マルクスではないが、宗教は怖い。

<ありうる真相>
 韓国紙の報道は、筆者からしてみても的を射た分析である。ワシントンのロビー活動は、よく知られている。ワシントン議会は金で動く。日本も同様であるが、その工作資金は韓国よりも日本が勝る。
 倫理観は無きに等しい世界である。米連邦議会は、戦争屋とグルになっている右派の共和党が抑えてしまっている。リベラルに力がない。戦争屋に倫理や道理は通用しない。
 金で簡単に転ぶ。結果はそうなった。それにしても、ワシントンへの貢物にされた自衛隊は、哀れである。それに準じるだけの自衛隊に自立する力はないのだろうか。

<金で常任理事国工作>
 ここ2年余りの日本政府は、金がないのに国家主義のためには財布の紐をいくらでも緩めてしまう。国家主義は現行憲法が否定している。それにもかかわらず、信濃町は喜んで支援している。ブレーキを踏まない。踏んでも、それはポーズでしかない。

 いまの財政について知る者がいないのだろう。危機的な状況に目をふさいで、極右政府の言いなりである。あまつさえ各国に金をばら撒いて、国連の常任理事国になるのだと必死である。
 金で買収しているのだから、同じく議会演説を、金で買収することなど簡単なのであろう。歯軋りする隣国の悲鳴が聞こえてくる。

<なんでも金、金>
 要するに、目的を達成するためには、金である。金さえ出せば、なんでも解決する、そう信じている今の自公政府なのだ。
 その莫大な借金を返済するのは、日本国民である。それを平然と強行する自公政府は、売国奴政府なのだ。それを支援する新聞テレビ、それを信じて疑わない日本国民である。
 「金で買収されるワシントンが馬鹿なんだよ」という極右のあざけり声も聞こえてくる。

<恥も外聞も捨てた自公政府>
 仮にそうだとしてみても、金を使っての米議会演説にいかほどの価値があるというのだろうか。首相は日本国民を代表していない。彼を支持している、投票者はごくごくわずかである。
 選挙で圧勝といっても、多くの日本国民は棄権している。投票総数で1位になった自民党議員は、創価学会の数万の票に助けられて当選した面々である。それをもって「日本国民は私を支持してくれた」「私が全てを決める」とほざいている暴君である。

<極右と教団の奇怪なダンス>
 極右首相は学会員になったのであろうか?神社本庁統一教会だけでは実力不足である。だから、ありえない話ではない。
 ともあれ、金で始末をつける日本政府のやり口は、恥も外聞も捨てた政治を内外に印象付けている。点数をつけると、何点取れるだろうか。マイナス点間違いない。
2015年3月21日