創価学会は強い?<本澤二郎の「日本の風景」(1957

創価学会は強い?<本澤二郎の「日本の風景」(1957)

<選挙・政治不信を背景に>
 統一地方選の前半線結果が、4月12日深夜、判明した。結果は、自公与党が制した。分かりきっていたことだが、創価学会の戦果である。創価学会は強いのである。選挙通なら誰でもわかる。理由は、国民・有権者の異常な政治不信による投票ボイコットにもよる。多数国民が決起する事態が起きないと、この流れに変化は起きない。


<10道県知事選は最低投票率
 深刻な政治不信からくる投票放棄は、相変わらずである。与党に対抗する野党の1本化が実現しないと、有権者はそっぽを向くだけである。野党に人材なしを印象付けている。
 10道県知事選の投票率は最低を記録した。50%を割る47・14%だった。41道府県議会選挙は45・05%に過ぎなかった。東京都のお隣の神奈川県知事選の投票率は40・71%、10人のうち6人が棄権している。形骸化している民主選挙なのだ。福岡県知事選は40%にも届かなかった。
 絶対得票率でみると、有権者の2割で当選した知事(奈良県)もいた。胸を晴れる選挙はどこにもなかった。これも、日本の極右化を促進させる危険な政治状況でもある。
<アンベイ極右政権の強い味方>
 政治無関心層の大幅増加のもとで、小さな塊である創価学会の、強烈な信仰と投票活動の一体化が、アンベイ内閣を勝ち誇らせる原動力となっている。
 創価学会が、極右・国粋主義者のアンベイの政治権力を強化させている。このことを誰一人指摘しない。まともな政治評論さえ消えてしまった日本である。
 閣内が腐敗まみれ、憲法違反の戦争法をつくろうが、国民は分からない。新聞テレビがずっこけて、ジャーナリズムを放棄してしまっているからである。愚民は、ずるずると後ろからついて来てくれる。ヒトラーの気分に浸って暴走できるアンベイの、これが決めての原動力なのだ。
<来夏の参院選で3分の2確保>
 創価学会の威力は、既に2回の総選挙で証明できている。衆院は3分の2の改憲勢力を手にしている。来夏には残る参院選で圧勝すればいい。農協・医師会など、自民党の支持基盤が崩壊する中での戦果である。
 権力を背にした教団の集票力は倍増する。
 現在の民主党には、これを止める力などない。改憲軍拡の火が上がっていても、なすすべのない同党を有権者は評価しない。強力な国粋主義政権に対抗する、弱すぎる分裂野党の日本である。
 列島内部からの変革、平和運動は無力すぎる。ここは国際的世論に頼るしか方法はない。それが9条にノーベル平和賞を受賞させる運動なのだ。ここ数ヶ月の闘いである。ホンモノの平和運動なのだ。
 心ある内外の市民は立ち上がる責任があろう。繰り返し訴える理由である。
改憲軍拡へ拍車>
 2つの総選挙結果を足場にして、アンベイの改憲軍拡政策は、すさまじい速度で具体化している。これに沖縄がひとり奮戦している。「ヤンキーゴーホーム」の合唱が、列島に響き渡る場面である。
 学生が立ち上がり、労働者や市民が決起しなければならない、そんな局面でもある。カストロを見習え、リー・クワンユーを学べ。大国の属国として生き延びようとする極右に、市民生活を任せると、どういうことになるか。
 日本国憲法大義があることを忘れてはならない。天皇・皇太子など、皇族も立ち上がっている今の東京ではないか。今ほど皇室が国民の身近な存在になったことは、戦前戦後を通じてない。
 悪政に翻弄される皇室ではないのだろう。
<平和放棄・戦争日本へ舵を切った怖い創価学会
 政治は結果で採点する。アンベイの悪政は創価学会の戦果ということになる。これにいかなる弁護・釈明も通用しない。
 公明新聞聖教新聞が、いかに報道しようがしまいが、アンベイの極右政治は、信濃町の実績となる。
 「思考停止の信者に責任はない」といって免責されるものではない。「問題があれば、新聞テレビが批判する。それが全くないのだから、世論は支持してくれている」と開き直ったとしても、アンベイの反憲法政策の責任から逃れることは出来ない。
 結果的に信濃町は、平和路線を放棄して、アンベイの戦争する日本に舵を切ってしまった、という事実を否定することは出来ない。
 心ある日本人だけではない。外国の友人らも強い衝撃を受けている。内外の友人を裏切っていることになる。中国の日本勤務の外交官やマスコミ関係者、日本研究者のそれは大きい。
2015年4月13日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)