憲法は権力の暴走を防ぐためにある。その憲法を、権力の暴走装置にしてはいけない


憲法は権力の暴走を防ぐためにある。その憲法を、権力の暴走装置にしてはいけない!


おなじみ、ヤフーブログでの五郎さんの移転ブログからの転載記事です。
まじめな問題をわかりやすく大阪弁で解説してくれます。
長いけれど最後まで読んでいただけますように・・。


昨日は憲法記念日 (→今から68年前に憲法が施行された日が5月3日でしたわ)

で、憲法施行を記念して祝日にするくらいだから、その憲法たるや、とっても大事なもの…というのが素朴な受け止め方やと思うんですけど、「天皇主権の欽定憲法だった大日本帝国憲法」から「民主主義と平和主義と人権尊重を基本原則とする新憲法が施行されたことを記念なんかしたくないと思ってる人がけっこういてるようでして、そういう人たちは、かかる新憲法が「形式的に」GHQに押しつけられたもんだから、守っていく(維持していく)価値がない…と、今、声を大にして叫んでますわ


そんでも、あの人たちのいわゆる「押しつけ憲法」は、(事実上)「新憲法は押しつけられたかも?」という形式を問題視しているようでいて 
実は、その内容が気に入らないことを誤魔化す方便として、「おしつけ憲法という形式論」を持ち出してるだけ…なので、その点は誤魔化されないでほしいんです。

で、彼らは何事も「誤魔化すこと」が得意なので、彼らの憲法改定を目指す第一の目的とも言える「憲法9条改定」は後回しにして、まずは一度改定を…なんてことを言うてます。

そんでも、国の最も基本的かつ重要な法である憲法をして「まずは一度変えてみよう」ということそれ自体が、彼らが憲法というものをナメてる証拠ですわ。

(国の最高法規をナメてるヤツラが、憲法改定を叫ぶ…というのも自己矛盾ですけどね…)

では、どこを「まず変えてみよう」と言うてるのか…といえば、彼らの魂胆は・・・

日本国憲法硬性憲法(=憲法改定手続が一般法よりも加重された憲法)たることを定める憲法96条を改定して、軟性憲法(=憲法改定手続をその他の法と同等にする)にすることにあるんですわ


ほな、仮に憲法改定要件が法律と同じように国会の単純多数決で決まる…ということになると、あの「秘密保護法」のように、与党のごり押しで問題のある内容がいともあっさり決まってしまう…と

そないなるわけでして、いくら、最終的には国民投票で決するから…と言うても
物事の賛否を問う形式の直接選挙では、基本的に「賛成の人により強い投票動機が働く」ものなので、国民投票はそれほど強力な「歯止め」にはなりません

(→なので、事実上、国会の発議が憲法改定の要件になってしまうようなもんです)


また、自民一強の政治状況のもとで、反対派(や少数派)との合意形成を
はなから考えない強引な国会運営が常態化している現状を見れば、
このような硬性憲法から軟性憲法への憲法改定条項の改定は、
与党のさらなる暴走を招くことは必至です


そもそも、憲法は権力の暴走を防ぐための法なんです

その憲法を、権力の暴走装置にしてはなりません

なので、もし、自民党を中心とした勢力が、「憲法改正要件の緩和」という提案をしてきたら、きっぱりと反対して頂きたいと思います

(…なんてことを前もって言わんとアカン政治状況に、とうとうなってもうた
  …というのは 誠に悲しく怖ろしいことですわ…) 
 

※新憲法がGHQの「押しつけ」と受け止めるか否か…については

基本的には、新憲法(の内容)をどのように考えるか…で、立場が分かれまして

憲法の内容が気に入らないと考える人は、
自分にとって好ましくないものを「押しつけられた」と受け止めるのに対して

憲法の内容がすばらしいと考える人は、多分、
自分にとって好ましいものを「(教えて)もらった」と受け止める
と思うので

「押しつけ憲法論」それ自体が、新憲法に対する一つの姿勢の表明となってます


また、GHQは「最初から憲法案を提示する」つもりはなかった…のに
日本政府側の新憲法案が、「大日本帝国憲法とほとんどいっしょで、全然『新憲法』になってへんやんけ…」と、呆れられた結果、新憲法案の提示を受けたものなので

これは、「ろくでもない新憲法案」しかつくれなかった当時の日本政府側が招いた事態でもある…ということは、おさえておいてください


さらに、GHQの新憲法案(いわゆる「マッカーサー草案」)を、日本がそっくりそのまま受け入れた…わけではなく、日本側の修正によってかなり内容が変質した部分もありますので、その限りにおいては日本側の「自主性」が誤って発揮されて、マッカーサー草案の内容が後退したこともお忘れなく…