各紙が戦争法案に懸念を示す
各紙が戦争法案に懸念を示す
曰く、
平和と語れば語るほど、平和国家の評価変えるのか、「平和のために」まやかしだ、「平和国家」が変容する、これが平和守る道なのか、平和主義の曲がり角だ、平和主義を捨て去るのか(以上いずれも社説のタイトルから)・・・など。
ちなみに15日付の社説のタイトルを例示すると以下のようになります。
南日本新聞の二つの社説を紹介します。
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[安保法閣議決定] 平和と語れば語るほど
南日本新聞 2015年5月15日
私たちは、多くの嘘(うそ)いつわりを、
真実のように話すことができます。
けれども、私たちは、その気になれば、
真実を語ることもできるのです
先日亡くなった詩人、長田弘さんの詩「夏の午後、ことばについて」にある。
閣議決定された安全保障関連の「国際平和支援法案」と「平和安全法制整備法案」には、そろって「平和」の名が冠された。
戦後の日本は、不戦を誓う憲法のもと、「平和」国家を目指してきた。しかし、新たな安保法制は、国民にこれまでとは異なる道を歩ませるものだ。
ことさら「平和」を強調し、真実を隠すような政府の姿勢に、長田さんの詩が思い浮かんだ。
その後まとめられた安保法制は、平時から有事まで、そして地球の裏側までも、自衛隊の「切れ目のない対応」を可能にした。
他国軍の後方支援を可能にする国際平和支援法でも、自衛隊の活動域は「現に戦闘行為が行われている現場」以外に広がる。将来的に戦闘行為が行われる可能性もあるし、後方支援であっても相手から見れば攻撃対象になり得る。
政府がいかに否定しようと、野党の一部が指摘するように「戦争法案」と呼ぶ方が実体を表しているように思える。
「積極的平和主義」の看板を掲げる首相は、これまでもしばしば「平和」を口にしてきた。
昨年の全国戦没者追悼式では、「不戦の誓い」に触れることなく「世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献」すると強調した。4月の米議会演説では、安保法制の夏までの成就を約束し、「地域の平和のため、確かな抑止力をもたらす」と胸を張った。
首相は著書で「自分の国を守るために戦わない国民のために、替わりに戦ってくれる国は世界中どこにもない」と述べる。「平和」は国民が血を流し、勝ち取るものだという考えなのだろう。
聞こえのいいフレーズは終わりにしたい。政治家なら真実の言葉で語るべきだ。
[安保法閣議決定] 政権の暴走に抗議する
国民に信を問わないまま、日本国憲法を骨抜きにする政権の暴走に強く抗議する。
クロをシロと言いくるめるようなものではないか。不誠実にすぎよう。
きょうにも国会に提出される法案は、武力攻撃事態法や自衛隊法、周辺事態法など改正対象の法案10本を一括した「平和安全法制整備法案」と、国際紛争に対処する他国軍の後方支援を随時可能とする恒久法「国際平和支援法案」の2本である。
安保法制の整備には二つの目的がありそうだ。「切れ目のない」対応と日米同盟強化である。
武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」から集団的自衛権の行使を容認する「存立危機事態」まで、一括法案に盛り込まれた。
その内容は、防護対象を米軍限定とした昨年の閣議決定の拡大解釈だったり、地理的制約の撤廃、他国を武力で守ったりである。
「切れ目のない」対応とは要するに、「歯止めのない」自衛隊派遣を意味しよう。
結果的に開戦は誤りだったが、いまだに日本政府はきちんとした検証を怠っている。失敗から教訓を学ばない政治が、恒久法を手にしたらどうなるのか。
安保関連法をめぐる国会論戦は今月下旬から本格化する。国権の最高機関にふさわしい議論を与野党に求める。