<安保法案>本当に撃てるのか…防衛大卒55歳記者は聞いた

<安保法案>本当に撃てるのか…防衛大卒55歳記者は聞いた

毎日新聞 5月15日(金)7時30分配信
 ◇東京社会部編集委員 滝野隆浩=防衛大卒、55歳

 春先、一人の青年に会った。一般の難関大学に入れるのに防衛大を受験し、合格した。聞けば、進路を考えていた時に中学の先生の顔を思い出したという。日ごろから教科書にはない現代史を語り、自衛隊の大切さを説いたらしい。青年はまっすぐに私を見て言った。「防大進学は自分で決めました。僕は人のためになりたい」。後日、彼の母にも会った。一人息子だという。母はつぶやいた。「これから、本当に、大丈夫でしょうか……」

【安保関連法案】閣議決定 安保政策の歴史的転換

 私も37年前、防衛大に入学した。幹部になる仲間たちと4年間ともに学んだが、文系の私に自衛官(海自)という仕事は技術系に思え、卒業後に退職。1年後、記者となった。

 卒業から三十余年、自衛官の任務は激変した。1990年代に海外派遣を開始。
インド洋上での米軍などへの補給活動という「戦時」派遣をへて、イラク復興支援の「戦地」派遣も経験。憲法を考えれば、ここまでが限界だったと思う。
ただ、海外派遣に合わせるように隊員が戦死した場合の準備を進めてきた。派遣先にはひつぎを運び込み、医官に遺体修復技法(エンバーミング)を研修させ、東京・九段の日本武道館で「国葬」級の葬儀のための日程を把握する。
それは組織としての「死の受容」だった。

 安倍内閣は昨年7月1日、集団的自衛権行使容認を閣議決定。10カ月間の与党内論議をへて、14日、新しい安保法案を閣議決定した。成立すれば、自衛隊が海外で「ふつうの軍隊」並みにふるまう枠組みができあがる。

 親しい陸自将官OBは「憲法9条で守られてきたのは実は自衛隊だった」と漏らす。日本に攻めてきた敵とは戦う。だが、海外で自衛官が殺したり殺されたりする事態は、9条により免れてきた、と。「自衛隊は創設から60年、1発の銃弾も撃っていない」といわれる。部内ではそれが少々恥ずかしいことのように言われるが、私は日本人の誇りだと思う。その封印がいま、解かれようとしている。

 米陸軍元中佐のデーブ・グロスマンは著書「戦争における『人殺し』の心理学」で、まず「人には、人を殺すことに強烈な抵抗感がある」と指摘する。同書によると、第二次大戦で米軍兵士が敵に向かって撃てた発砲率は15~20%だった。その後、敵を非人間視させる訓練法などにより、朝鮮戦争で55%、ベトナム戦争では90~95%に高まった。実際に撃った兵士が、後に命じた指揮官よりも重いトラウマ(心的外傷)に苦しむという。

 自衛官は本当に、撃てるのか--退官した同期生に私は聞いてみた。「やるさ。おれたちはこれまでずっとキツいことやってきた」。政治が決めたことに従うのは当たり前だという。そして、最後にこう言い添えた。「60年遅れで、自衛隊は米軍に追いつこうとするんだろうな」

 防大に入学した青年の、まっすぐなまなざしを思い出す。起床ラッパで一日が始まる生活に、もう慣れただろうか。母の不安げな表情も浮かんだ。

 歴史を見れば、軍が変わる方向に社会の意識も変容する。自衛隊の変化に私たちは無関心でいてはならない。この新法制には国民的な合意がどうしても必要だ。まもなく始まる国会審議を、私は凝視する。