戦争法案関連…これぞ「助け合い」の精神なのですか?「違憲なものは違憲」「ダメなものはダメ」

戦争法案関連…これぞ「助け合い」の精神なのですか?

安倍ちんと同じようにオーストラリアのアボット首相も、国内での政権運営は厳しいそうですが…

<豪首相>9月来日で調整 安保法案支持へ(毎日新聞 7月26日)

 日本とオーストラリア両政府は、アボット豪首相が9月に来日し、安倍晋三首相と会談する調整に入った。複数の政府関係者が明らかにした。アボット氏は安全保障関連法案への支持を表明する見通し。日本政府は、豪州政府の支持によって法案の重要性を強調し、国内世論の理解につなげたい考えだ。アボット氏の「年内来日」は日豪間で合意しているが、9月末からの国連総会出席前に首脳会談を実現し、親密な日豪関係を国際社会にアピールする狙いもある。アボット氏の訪日は昨年4月以来2回目、会談は6回目となる。

 豪州は米国に次ぐ日本の「準同盟国」。安保関連法案の重要影響事態法案により、自衛隊は日本の平和と安全のための活動を行う豪州軍への後方支援が可能となる。同国ではビショップ外相が5月の安倍首相との会談で関連法案への支持を表明しており、首脳会談でも改めて支持を確認する見通し。

 ただ、アボット氏は豪国内で厳しい政権運営を強いられており、豪側が内政対策を優先すれば、来日時期はずれ込む可能性もある。

これも「同盟国の助け合い」の一種なんでしょうかね…


しかしながら、アボットさんに「戦争法案支持」を表明してもらったところで、

そんでもって、アメリカさんにも「戦争法案歓迎」を表明してもらったところで、

違憲の法案が合憲
になるわけではありませんので、

これがなぜに「国内世論の理解」を意図した話になるのか、ぼくにはさっぱりわまりません

それは、仮に、世界中の首脳が来日して「戦争法案支持」を表明してもおんなじことです)


また、この記事のなかにある「世論の理解」という言葉の内容は

「戦争法案への賛意」ということだと思いますが、

たとえ主権者たる国民の過半数が戦争法案に賛意を示したとしても

やっぱり、違憲が合憲になるわけではございません


もし仮に、集団的自衛権行使に対する「国民の理解」なるものが得られたとしたら

その支持を背景に、「憲法9条改定」をした後に、「合憲となった戦争法案」を出す…というのが

(政治的)法的ルールであって、世論の支持があったら法的ルールを無視して良い…というならば

それもまた「法治の否定」という、めっちゃ恥ずかしいコトになります


これはまったく形式的なコトで決着する話なので、実は世論の支持がなんぼあったとしても

ダメなものはダメ」…なんです


※政権やメディアの言う「国民の理解」って、明らかに「戦争法案への賛意」という意味になってますが

戦争法案が違憲だってことが」理解できた…とか、「戦争法案のデタラメさが」理解できた…ということも

「国民の理解」に入ってるはずなので、「国民の理解」という言葉を自分勝手に「戦争法案支持」にしてしまうのは

ええ加減にやめてもらいたいと思います