従軍慰安婦は中曽根康弘に聞け<本澤二郎の「日本の風景」(2065)

2015年07月27日

従軍慰安婦中曽根康弘に聞け<本澤二郎の「日本の風景」(2065)

慰安所設置の功労者が中曽根大勲位
 TBSの報道特集番組が、中曽根康弘の海軍時代の大いなる戦果、インドネシアでの「慰安所」設置を取り上げたという。遅すぎる報道であるが、まずは昨今の電通支配の番組としては突出している。評価したい。筆者も何度か書いたことがあるが、TBS番組では当時の資料・証拠も取り上げている。はっきりいえることは、日本軍による従軍慰安婦・性奴隷は、明白な事実なのである。安倍・自公内閣の面々は、中曽根から直接聞けば真実を知ることが出来る。せがれの弘文も聞いて知っている。



<本人も書き、同僚も記録>
 韓国の従軍慰安婦に対する反応は、敏感で鋭いものがあるが、これは自身の身内が同じ運命にさらされているとしたら、と想定すれば、きわめて健全であることが理解できるだろう。人権侵害の最たるもので、21世紀の今日、これをいい加減に処理することは出来ない。
 筆者も木更津レイプ殺人事件を取材、やくざによるレイプ・性奴隷犯に自由を奪われた戦争遺児の8ヶ月を知って驚愕、この問題の深刻さを共有することが出来た日本人である。これほどの悪逆非道な犯罪はない。
 その犯罪者の戦列に大勲位中曽根康弘も参加していたのである。本人が自慢話として本に書き、当時の同僚も記録していた。これほど明白な真実はない。
インドネシア女性を「土人女」と表現>
 海軍主計中尉・中曽根康弘は、首相になる前、よく番記者との懇談で戦争時代のことを語っていた。聞いていた一人が筆者である。さすがに慰安所設置事件は、聞かなかったが、話の印象では中曽根にとって悲劇の戦争ではなく、彼の自慢話が中心だった。
 そもそも聞いている番記者は、主計という職責さえ知らなかった。戦闘場面で銃を撃つという、危険にさらされる経験をしていなかった中曽根である。当時の自民党代議士は「中曽根は戦闘場面を知らない。だから軍国主義の復活を叫んでいる。本当の戦争を経験したものであれば、誰しもが平和主義者になる」と指摘していた。
 中曽根の慰安所設置はインドネシアである。現地の女性を軍権を用いて強制的に集めたものだ。性奴隷にされた女性は哀れをかこつ。被害者はどれくらいいたのか。中曽根は知っている。中曽根らは「土人女」と表現、徹底的に差別していた。
天皇の軍隊>
 安倍・太田・山口・北側らは、天皇の軍隊の正体を知らない。知っても隠している。学徒出陣を強要されたナベツネの先輩・多田実は「天皇教育には、選ばれた日本人という選良意識が存在した。日本軍蛮行の背景だ」と指摘したものだ。
 天皇の戦争は「聖戦」なのである。死んでも「侵略」と認めようとはしない。いわんや「従軍慰安婦」という事実を隠そうとする。それが天皇の軍隊なのである。極右の歴史認識は、真実を隠蔽することで成り立つ。皇国史観なのである。真実を捻じ曲げる・歪曲する。歴史の修正どころの話ではない。歴史上、敗者となりながらも、極右は勝者の論理を貫く。
 極右と隣人の接点は永久に出来ない。そのことを隣人は知るべきだろう。いかなる説得も無意味なのだ。したがって、日本の極右との対話・交流はほぼ不可能なのである。
 譲歩しても解決できない。国際社会で孤立・封じ込めるしかない。そもそもはポツダム宣言によって「永久に排除すべき対象」だからなのだ。
<徹底した差別が性奴隷>
 天皇の軍隊は、軍紀においても立派でなければならない。実際は逆であるが、正に天皇の軍隊は、その事実を認めない。否定する。それが天皇の軍隊なのである。ここの理解・認識が隣人には薄い。
 徹底した差別主義が、この悪しき天皇の軍隊の特質なのだ。何でも出来る。性奴隷・慰安婦も可能なのだが、いざ被害者から訴えられると、決して認めない。なぜかならば天皇の軍隊だからである。
 天皇の軍隊として亡くなった人たちを、靖国神社に祀っているのだが、天皇の軍隊ゆえに「英霊」の地位を付与、そこに参拝することが、神社・神道の務めなのだ。国際社会は、ここが理解できない。正に狂信的・カルトなのだ。
<軍による強制力>
 喜んで性の奴隷になる女性がいるだろうか。中曽根主計中尉が軍権を乱用して、慰安所を設置したものだ。軍権という強制力が働いていた。
 「天皇の軍隊を癒すためだ。協力してくれ」という中曽根の呼びかけに一人でも応じるインドネシア女性がいるだろうか。いるわけがない。
朝日新聞は急いで中曽根取材を>
 朝日新聞はなぜ中曽根取材をしないのか。しなくても既に記録がある。それを堂々と報道すれば、従軍慰安婦の真実は明らかである。慰安婦になることに興味を示す女性は、この地球にいない。
ナベツネも知っている>
 中曽根の盟友・ナベツネも知っている。間違いなく聞いている。読売はなぜ報道しないのか。読売新聞は新聞ではない。
2015年7月27日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)