ロシア映画の会「1年の9日」科学者はこうして原爆を作るのに夢中になる・・


時々、開催されるロシア映画を観る会。
前回の無声映画を観る会と同じムーザ・サロンにて・・。

本日の映画は「1年の9日」



原子物理学者が放射線に汚染されつつ戦う姿を描きます。

やはり故郷のおとうさんが彼に尋ねることば、「爆弾も作ったのか?」
「(そんなもの作って、)命をかけてまでやる仕事か?」
と言う言葉を入れているところ、ここも、帰りの場面などすばらしかったので
一つの大事なメッセージのように思えました。

それに対して、彼の返事は「これは多くの人間を救うことになるのだ」と自分の仕事の意義をそこに見いだしているわけです。
で も、それは国家がそういう意義付けをして、科学者の研究心を鼓舞しているのであり、
彼らはまんまとその言葉に踊らされて、その実、自分の命さえ国家に差し出して研究しているわけです。
客観的に見たら馬鹿でしょうね。

アメリカのマンハッタン計画でも、日本に原爆を落とすので原爆を作れとは言ってない。
先にナチスが原爆の開発を始め、アメリカはナチスの脅威に対抗して開発に乗り出した・・
ナチスは原爆の開発に失敗したので、アメリカはこの時点で開発を止めてもよかったのです。
ところが、1度歯車が動き始めると止めることができないように、科学者たちは原爆を完成させたいという欲望にかられて、
開発を進め・・・こう して、原爆は完成された・・・と、「オッペンハイマーと原爆」には書いてありました。

政府にうまいこと言いくるめられ、自分の使命感を重ね合わせ、
・・・科学者はこうして命をも省みず原爆を作るのに夢中になる・・
そんな科学者の危険な姿を描きたかったのは・・?と思いました。

濱口さんは最後の手紙を「3人の人間復活を願ってのメッセージ」と仰いました。
「服を持ってきてくれたら・・・3人で酒を飲みに行こう」
これは、原子力から離れることのメッセージと見られたそうです・。

それから、3人とも原子力と結婚している・・と、面白いこといわれました。
だから、複雑な経緯で結婚しても、恨み もせず、けんかにもならない・・。

最後は、「手術してくれ」と言われていますが、彼は自分の命を諦めている
単なる実験精神だとも・・。
私たちは、チェルノブイリもフクシマも東海村の事故も知っているので
あの後グーセフが「朽ちていった命」のようになっていくのが予想できます。

それでも、あの当時ここまでのことを知識として知っていた監督、
ロシアは、改めてすごい国だと思いました。
日本では、チェルノブイリ事故でも、これほどの正確な知識を持っていたのは一部の人たちであったような気がします。
まして、冷戦時代は、日本が核に対してアレルギーがあったせいか、
正しい知識を持つための報道な どもあったのだろうか?と疑問です。
でも、身の危険を冒してまで原子力を扱う研究学者達を
監督がシニカルな目で追う・・というテーマを考えると

あのごちゃごちゃと入りこんでくる女性の存在が、逆に恋愛映画の要素で本来のテーマをごまかせたのではないか・・
などと深読みしています。

いくつかネットで見ても、3人の恋愛ストーリー
という感想もありました。
私は、そうは思えませんでしたが・・。

それこそ、濱口さんが仰ったように3人とも命を削って仕事をしている。
それで、原子力と結婚しているような緊張感が常にある故
誰と誰が結婚すると言うような問題は、少なくともあの男性二人にとって、二 の次の問題なのでしょう。

骨髄移植の手術のことなど・・ロシアは万一の場合もよく考えられていたのですね。
日本はどうだったでしょう
「朽ちていく命」、あの本を読むと、日本は原子力の危険性に対してほとんど無知としか言えません。
いい加減な基準で原発の再稼働させようとしていることも含めて改めて怒りを感じてしまいます。