小田実さんのこと(五郎さんのブログより)

小田実さんのこと

ぼくね、あの人なら、今の状況をどない考えはるやろなぁ…と考えることがあって

例えば、小田実さんやったらどない考え、どない行動しはるやろか…

加藤周一さんやったら、どない言うて批判しはるやろか…

なんてことをよく考えるんです

(これは現在の戦争法案だけではなく、秘密保護法とか、東北大震災とかフクイチなど、
 大きな出来事があるたんびに思うことです)


そんななかで、たまたま朝日新聞小田実さんの記事が出てたので読んでみました…

(今こそ小田実ベ平連、日本の加害者性問う(朝日:2015年8月10日)

 「殺すな」と訴える反戦運動が日本にあった。先頭には、焼け跡から来た男がいた。

 1967年、米紙ワシントン・ポストに「殺すな」という日本語の文字が躍った。

 ベトナム戦争に抗議する日本の反戦団体「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)が出した意見広告だった。

 米軍がベトナムへの空爆を始めた65年、ベ平連は結成された。代表に就いたのは32歳の作家・小田実だった。

 小田にとって「殺すな」は生身の実感からつかんだ原理だった。20年前の1945年8月、米軍は大阪で大規模な空爆を行った。その地表に、13歳だった小田がいた。

 住民たちは逃げまどいながら黒こげになって死んでいった。武器もなく「ただ『殺すな』と必死に叫ぶよりほかにない」人々の死だった。

 ベ平連で小田は一つの発見をした。米国の戦争に日本が「加担」しているという事実だった。ベトナム攻撃に向かう米軍機は、日米安保条約に基づいて日本が提供する基地を利用していた。小田は「私たちの加害者性」を問うた

 ジャーナリストの佐々木俊尚さんは2012年の著書「『当事者』の時代」で、小田の発見は戦後思想の「パラダイム・シフト」につながったと評価した。「自らを戦争の被害者と規定しがちだった日本社会が加害者性に向き合う契機となった」と話す。

 兵士は被害者か加害者か。小田はそれを検討した。徴兵されて戦場に送られる面では国策の被害者だが、外国人を殺す場面では加害者だ。ただし兵士は「被害者でありながら加害者であった」のではない、と小田は結論した。「被害者であることによって加害者になっていた」のだと。

 国家に服従させられることで人は「殺す」立場に置かれる。小田は「市民の不服従が大事だ」と訴えた。「加害者性を自覚しつつ『殺すな』と叫ぶ重層性が人を引きつけた」と佐々木さんは語る。

 小田の精力的な反戦運動を支えたものは何か。著書「1968」などで知られる歴史社会学者の小熊英二さんは次のように話す。「ビルが立ち並ぶ景色も、ひと皮むけば焼け跡が現れるかもしれない。そんな意識だろう」

 戦争体験を基盤にしたその意識は、高度成長以降の日本ではもはや共有されにくいものになった、と小熊さんは見る。だが、異なる基盤から似た意識がいま生まれつつあるかもしれない、とも言う。

 「安保法案に反対して国会前デモに集まっている若者たちは、不安定な経済情勢の中で育ち、『今の日常は非常に不安定で、壊れてしまうかもしれない』という不安感を抱いた世代だからです」

 「殺すな」は批判もされた。「ベトナム兵の殺人は良いのか」「人道的介入も否定するのか」……。小田は「私の『殺すな』は、さまざまな現実と原理の挑戦を受けてボロボロに」なってきたと回想した。だが、「殺せ」に抗する市民が国際的に連帯するという目標は下ろさなかった。

 亡くなる5年前に出された著書は、次の言葉で締めくくられている。「では、きみ、あなた、諸君、自分で考えてくれたまえ」

 <足あと> おだ・まこと 1932年、大阪生まれ。51年、小説「明後日の手記」。61年の世界旅行記「何でも見てやろう」がヒット作に。65年、ベトナム戦争に反対する「ベ平連」が始動、代表を務める。ベトナム戦争を拒否して脱走した米兵たちを支援する運動も支えた。95年の阪神大震災兵庫県で体験、被災者に公的援助を求める運動を開始。07年、75歳で死去した。

 <もっと学ぶ> 「『難死』の思想」(岩波現代文庫)は、著名な表題論考に加えて「平和の倫理と論理」「『殺すな』から」などの評論を収める。「われわれの小田実」(藤原書店)には、ベ平連関係者など生前にゆかりのあった70人余りが小田実評などを寄せている。

 <かく語りき> 「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」(市民の行動のあり方について各所で述べた。2000年刊の書名にも)

小田さんは「ベトナム反戦」で有名な方で、ぼくはその時期の小田さんを知らないんですけど

その後、何度か小田さんの主催する集いに参加したことがあって

ぼくは、次から次へと言葉を繰り出して社会批評を加える小田さんを眺めながら

「ぼくもこんな人になれたらなぁ…」と、憧れたもんです

(小田さんは「考える人」「批評する人」だけではなくて「行動する人」であったことも
 ぼくの憧れの理由でした)


その小田さんは、ベトナム戦争における「日本の加担」を取り上げた人だったんですが

「日本を守るため」に基地を置く…という約束(=日米安保条約)を破って、

アメリカは「日本の防衛」とは何ら関係のないベトナム戦争在日米軍基地を利用し

そのとき、「平和憲法をもつ日本」は、アメリカの不正義の戦争に加担させられたのでした


小田さんは戦争に駆り出された兵隊さんに関して「被害者であるがゆえに加害者となる」と言うてはりましたけども

この構図は、終わった話でもないんです

振り返ってみると、アメリカが主権回復後の日本に基地を置く…という日米安保条約

講和条約とひきかえに…というか、占領の終了とひきかえに(事実上)「押しつけられた」もので、   ※

あたかも「占領の継続」のような基地の継続使用をアメリカに認めさせられた日本は

アメリカ軍基地を押しつけられた)「被害者」の立場にあった…と言えなくもないんです

でも…

そのせいで、アメリカは日本にある基地からベトナムに出撃したわけですから

日本はアメリカの戦争に加担させられ、ベトナムの人々から見れば、

日本は「加害者の仲間」ということになっていたはずなんです

だから、小田さんが言った「被害者であるがゆえに加害者となる」という言葉は

現在の日本でもまだ生きていて、その構図はベトナム後のイラクアフガニスタンでも同様です


とすると、「加害者であることをやめるには被害者の立場からも脱しなければならない」わけですから

ぼくはやはり「日米安保」という占領の継続のようなとんでもない条約は破棄すべきであると確信しているんです

(それが、再び加害者にならないために必要不可欠なことです)


戦争法案が成立すれば、アメリカの戦争に「加担」なんてもんじゃ済まなくなるのは必至で

日本は確実に「アメリカの戦争に参加する」ことになります

(だって、ドンパチのすぐ近くまで出向いて武器・弾薬の輸送をするなんて、
 どう考えてもアメリカと一緒に武力行使してるのと一緒やないですか)


「殺すな」…は、アメリカにだけ向けられるものではなく

今や、日本自身にも向けられる言葉になりました

そんなことを考えると、小田さんならきっと今、改めて「殺すな」と強く叫ぶだろうと思うし

あの行動力で戦争法案阻止のために東西を奔走していただろうな…と、思わずにはいられません


小田さんは生前、「では、きみ、あなた、諸君、自分で考えてくれたまえ」…と

著書のなかで書いてはったんですが、小田さんにそう問われたからには

ぼくはやっぱり、「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」ということをやっていきたいと思っています

(なんか、小田さんは問いの答えまでぼくに用意してくれてはったようです…)





※ぼくが「日米安保は(占領の終了のひきかえ条件として)押しつけられた」と書いたから

憲法に関しても「押しつけられた」と考えてると思われた方がいらっしゃるかも知れないので

ちゅっとだけ「押しつけ」ということに関して書いておきます


まず、「押しつけられる」という日本語は

「好ましくないものを無理やり強いられる」という意味だと思うところ、

「日本にとって好ましい内容の憲法」の「下敷き」をアメリカが用意したからといって

それは「押しつけられた」とは言い難い…という実質的な理由と

アメリカ(GHQ)から提示された憲法原案の内容を

日本側が相当修正して自主性を発揮してる…という形式的理由から

ぼくは憲法に関しては、アメリカに「押しつけられた」とは考えません

(また、日本側の憲法草案の内容があまりにも非民主的で大日本帝国憲法とほとんど変わってなかったから
 それに呆れてアメリカ側が憲法草案を出してきた…という経緯も忘れてはいけないところです)


それに対して、日米安保条約に関しては、

その内容に日本側が自主的に関わった形跡がない…という形式的理由と

明らかに占領の終了条件にされていた…という実質的理由から

ぼくはアメリカに「押しつけられたもの」だったと思います

(つまり、事実上、日米安保条約に関しては日本側に修正権はなかったということです)


しかし、今や、憲法が押しつけられた…と主張する人はいても

日米安保が押しつけられた…という主張はほとんど聞いたことがないので

日米安保条約に関して「押しつけられた日本は被害者」という構図は

もう、成り立ちにくいような気がします


そして、日米安保条約の成り立ちに関する被害者意識の希薄化とともに

在日米軍基地を通じた過去の…というか、現在に至るアメリカの戦争への加担という加害の意識もまた希薄化し

戦争法案においても、自衛隊員のリスクが問題になるわりには、加害への警戒感が薄いことが

ぼくにはとっても気になるところです