「大きなことはいいこと」か?

2015-08-23

「大きなことはいいこと」か?

人は、自分が生きてきた時代の記憶を引きずっていく…

この人のこの言葉を聞くと、そんなことを改めて痛感します

新国立「アジアの中で断トツに」 川淵氏、簡素化に異議(朝日:2015年8月21日)

 白紙撤回された新国立競技場の建設問題について、日本バスケットボール協会川淵三郎会長(元日本サッカー協会会長)は21日、「世界に誇れる、アジアの中で断トツのスタジアムをぜひ造ってほしい」と語り、簡素化ありきという考え方に異論を唱えた

 遠藤利明五輪担当相を表敬訪問した後で取材に応じた川淵氏は、「なるべくこぢんまりして、とりあえず東京五輪を開催できて、後々、大した利用価値が無くてもいいかのような印象が出てますけど、それは全然違う」と訴えた。~

「世界に誇る」…

これはもう、随分昔から日本での「定番枕詞」になってますわね

ぼくはこういう言葉を聞くたびに、何でもかんでも、

「世界」というもんをそこまで意識することないやん…と感じるんです

それに、「世界に誇る」とゆうたかて、世界の人々にその評価をいちいち確かめるわけでもなし

日本が勝手に「誇れる」と考えてるだけで、こんなん、はっきり言うて「自己満足の世界」に過ぎません


ぼくはそれだけでも「あぁ、またこんなこと言うてる…」とウンザリするのに、

この人はそれに続けて「アジアの中で断トツのスタジアム」…と、

これまた念押しに「自己満足の世界」に浸ってはるようです


「アジアの中で断トツ」…

それは、「競技場の規模」という意味でなのか、あるいは、「競技場のデザイン」という意味でなのか、

はたまた「競技場の建設費」の高さのことなのか、それもよくわからんのですけど、

例えば、アジアの中で断トツにデカい競技場(≒建設費の高い競技場)を造ったところで

それが何か「自慢」になるのか?…と、ぼくは思います

(その昔、「♪大きい~ことは いいことだ~♪」という有名なCMソングがあったんですけども
 競技場はデカいほどよい…ということもないでしょうに…)


ぼくは逆に、オリンピックのとき以外は満員になるようなことがない巨大な競技場を造ったり

競技場を利用する選手のことよりも、見栄え(=デザイン)優先の使い勝手の悪い競技場を造ったりすることは

とうてい、「世界に誇れない」ことだと思ってるんですが

高度経済成長時代に青春を送り、GDP世界第二位となって「経済大国」として酔っていた時代に

社会人生活の大半を送っていたこの人の頭のなかでは

今でも「♪大きい~ことは いいことだ~♪」という歌が流れてるのかも知れません


そもそも、その国が統計上の上位にくる指標はなにかあるもんです

日本の場合は、その典型的な指標がGDPだったわけで

そのわかりやすい指標を拠り所にして日本は「経済大国」と自称し、

自国が「大国」であることを自明のものとして世界を、そしてアジアを眺めるクセがついてしまいました

(「アジアで一番」という意識も、ほとんどそこから生まれたもんです)


しかしながら、GDPが国を測る「絶対指標」でもあるまいし

それは国を測るさまざまな指標の一つに過ぎません

だから、自国が最も得意な分野の指標にしがみついてそこだけを見て、「大国意識」を自明のものとし

世界を、そしてアジアを眺めるのは、誠に危険…というか、傲慢なことだと思います


この人はなぜことさら「アジアの中で断トツ」という言葉を使ったのか…

それは日本が「アジアの中で断トツ」だと思ってるからじゃないのか…

でも、何をもって「アジアの中で断トツ」ってことになるのか…

それはGDPか?

でも、それさえ中国に抜かれて、差は開くばっかりなのに?

(ちなみに、韓国と北朝鮮が統一すると、将来、日本のGDPを抜く…という、
 ゴールドマン・サックスの経済リポートもあったしね…)

では、民主主義の成熟度なのか?

でも、政権交代が「例外的」にしか起こらない日本は、民主主義を「知ってる」と言えるのか?

じゃ、社会の仕組みのことなのか?

でも、法などの体裁は整ってても、中身が全然伴ってないのに?

(だって、内閣が明らかに違憲の法案を出してくるんでっせ…)

…と、ぼくはとりとめのないことを考えますが、こういう話は

「日本はアジアの中で断トツ」だと考えてはるだろう川淵三郎さんには

「馬の耳に念仏」なのかも知れません…




※ぼくは先ほど、日本が経済「大国」であることを自明のものとして世界を、そして

アジアを眺めるクセがついてしまいました…と書きましたが

思えば、そういう「大国意識」とそれにともなう「アジアで断トツ意識」は

もっと前の時代から日本が抱いていたもんでした

日本に限らず、「大国意識」を自明とする国というものは、周りの国々にとって…というか、

世界にとって非常に厄介なもので、それは歴史を見ても…というか、現在を見てもわかると思います

だからぼくは「大国意識」というもんをとっても危険なものと考えてまして

そんな意識は持たない方がよいし、他の国も持ってほしくないと思ってます




※付録…この人の発言の真意を勘違いしないでね…というネタを一つ

新国立「2千億円超えちゃダメ」 遠藤五輪相が表明(朝日:2015年8月23日)

 遠藤利明五輪担当相は22日、山形市内で講演し、今月末に決定する新国立競技場の新しい整備計画について、建設費を2千億円以下に抑える考えを明らかにした。遠藤氏はこれまで建設費について「全く白紙」としていた。

 遠藤氏は「毎日計算している。やっぱり2千億を超えちゃダメだよね、と。どこまで下げられるか、毎日自問自答している」と述べ、2千億円が上限と指摘。「月末にはもう一声、下げられないか。皆さんが『やっぱりこれぐらいだ』と言える価格にしなければならない」と、一層の削減を検討する考えを示した。

 新国立競技場を巡っては、当初1300億円とされた建設費が乱高下し、最終的に2520億円になった。安倍晋三首相が7月に計画を白紙撤回し、遠藤氏が今月末までに新しい整備計画をまとめる。

この発言は、新国立競技場の建設費が高くなったらダメ…という趣旨で言うてるようでいて

実はその逆ですよ

そやかて、「2千億超えちゃダメ」…ということは「2千億までならいい」ということやないですか


言うときますけど、当初の「1300億円」だって、今までのオリンピックのメインスタジアムの建設費から見たら

「断トツに高い建設費」でっせ…

(俺、こんな「断トツ」はゴメンやで…)


そやから、この発言は建設費を抑える…という趣旨ではなくて、逆に

建設費を膨らませる意図を白状してる…ということなので、そのように受け取って頂いて

「何言うとんねん、このオッサン!」…と反応して頂ければと思います