愛知県知多半島 歴史探訪(1)

 夏休み唯一の旅は、友達と車で愛知県知多半島へ。

友人とは、この日しか日程が合わず、実は行き当たりばったりの旅でした。

それが意外にも充実したものとなったのは、
           愛知県の半田市常滑市、内海・・と回ったところが                                    
                            とても魅力的な場所だったからです。

まずは半田市 赤レンガ建物へ  こちらがHP→ http://www.handa-akarenga.jp/

イメージ 9
半田赤レンガ建物は、明治31年(1898年)にカブトビールの製造工場として誕生
明治時代に建てられたレンガ建物の中で5指に入るもので、
登録有形文化財であり、近代化産業遺産です
イメージ 1

柱、梁、斜材など骨組みを外に出し、間の壁をレンガ等で埋めたハーフティンバーという構造様式です。なかなかお洒落ですね。

(*この地域の観光名所の1つ旧中埜家住宅http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunisitei/0064.htmlも同じくハーフティンバー様式の建物ですが、この日はまだ修繕中で観られませんでした。)写真だけお借りします。
イメージ 2


赤レンガ建物の中は、赤レンガ建物の歴史や説明の展示、お土産品の売り場、カフェなどがあります。
イメージ 3

<企業家精神を伝える赤レンガ建物>・・・本格ビール造りに挑戦
昔から半田は醸造業の盛んなところで、中埜酢店4代目の中埜又左右衛門と敷島製パン創業者森田善平らがドイツから機械技師と醸造技師を迎えて本格的ドイツビールの醸造に着手
なんと、日本の大手4大ビールメーカー(サッポロ、アサヒ、キリン、エビス)に、果敢に挑戦したのです。ビール名は「丸三ビール」から「加武登麦酒」と銘を改め、2年後の明治33年(1900年)パリ万国博覧会に出品、見事、金牌を受賞。

「半田の先人たちの心意気」と技術に感銘を受けました。

「半田の人達の心意気」は、これだけではなく、この後も何人か、あちこちの記念館を巡りながら、そんな人物や、良い話との出会いが続きました。

✿ 寂れていく「ごんぎつね」の里を嘆き、童話の風景と同じように彼岸花でいっぱいにしよう
 と思い立った当時72歳の小栗大造さん。
 彼は、たった一人で、河川敷の草刈りを始め、彼岸花の球根を矢勝川沿いに植え続けました。

・・・周りから何と言われようと決してあきらめなかった大造さんのひたむきな姿に共感した町の人達が協力し、24年もの間、彼岸花を植え続けた結果、300万本の彼岸花が咲き誇る童話の風景が復活した・・・
イメージ 12

✿ 潰れた半田食堂を建て直し あゆち株式会社の木島勲氏

半田市役所食堂、半田病院食堂が営業休止に追い込まれ、急を要する事態に、木島勲氏は平成21年、あゆち㈱を新たに設立。それまで食堂で雇用されていた社員を再雇用し、店舗の再開にこぎつけた・・・

あゆち㈱代表の木島勲氏は食品メーカーに勤務。一線を引退後、志を共有する仲間と環境改善を研究・事業化する法人「㈲アユチ」を設立。
 ㈲アユチは 飲食サービスで発生する残菜は、廃棄処分せず堆肥化。生まれ変わった堆肥は、野菜づくりの土壌に生かされ無農薬有機栽培として再びメニューにあがるお客様が使用した割り箸は、粉砕され土へ戻される。

開口一番の言葉は「安心、安全が第一」。市民生活と直結する半田病院、半田市役所の台所を担う責任。多忙な医師、看護士の皆さんには、ほっとしていただけるよう家庭的に、奉仕的な仕事に就く職員の皆さんには、市民の方と笑顔で接してもらえるよう明るい雰囲気づくりに心掛けている。外来食堂では、お客様に少しでも日常の快適さをとの想いから、地元の食文化を積極的にメニューに採用。愛好者を獲得している・・
「あゆち」は愛知県の名に由来するとされる尾張国の古称。社名にも込めた地元への想いを事業活動で具現化している。

▼この食堂のことを知ったのは、新美南吉記念館をゆっくり見過ぎて、2時を回り、
お昼を食べ損なったため・・なぜか、半田市のお勧め食堂のリストに入っていました。
まさか・・旅行に行って、病院の外来食堂でお昼を食べることになるとは・・! 
ところが、意外にも安くて美味しかったのです^^
そして、調べてみるとこんな意外なことがわかったのです。


写真は、赤レンガ建物で、お土産に買ったかぶとビール

幻のビールの再現とあって価格 1本650円 (330ml)



次に行ったのが、蔵の町。酒の文化館。

重厚な黒塗りの壁、格子のこの建物は、1972年まで約200年にわたって実際に酒造りが行われた酒蔵をそのまま生かしたもの。
イメージ 4

ここも、1985年、中埜酒造(株)が新工場を完成、稼働したのを機に創設したお酒の博物館です。「日本酒」ができるまでと、昔の酒造りの道具などが展示されていました。
イメージ 5

これは河東碧梧桐が書いてくれた文字だそうです。彼は書家でもあったのですね。

担当の方の丁寧な説明付きで、最後にお酒の試飲、酒ケーキの試食もありました
イメージ 6

試飲につられて、つい買ってしまった愛知県産契約栽培米100%の純米酒
(実は、あまり飲めないのですが・・。)

半六庭園は、土日しか見られず、残念でしたが、    
           近くの運河の眺めは風情があって美しいものでした
イメージ 8

ここから、花火大会のある内海市に向かいます。
雨が降ったり止んだり・・でしたが、雨天決行。下手な花火の写真ですが・・。
イメージ 7

イメージ 10

左手に、椰子の木が見えるでしょうか?内海海岸での花火大会でした。
土砂降りの雨の中の花火大会でしたが・・

翌朝は晴天そのもの・・きれいな南国風の海岸が目の前に現れました。
イメージ 11

ここ内海海岸は、美しい砂浜の続く遠浅の海で海水浴場。
海岸には、朝早くから、町内の人達が総出で、   
昨夜の花火大会でのゴミ拾いをしていたのが印象に残りました。
自分たちの海岸をいつも美しく保とうとされているのですね。
続きます。
✿記事が長くなって、すみません。最後まで読んでいただきありがとうございます。