ヴォーリズさんとの旅の始まり・・・


何回か書いているのだが、 昨年1月、私は、朝目覚めると…身体から力が抜けて動けなくなっていた。 救急車で3日間、しかし、病名がわからず治療もできずじまい。 目も口も開かなくなり…もうすぐ死ぬんだなぁ…と思った。

付き添っている息子に遺言をして、近々会う予定の友達には代筆メールを送ってもらう。
「もうダメみたいです。今までありがとう」
ところがそんなお別れメールにもおかまいなく
「早く良くなってヴォーリズの今津教会を見に行きましょう」というメールが返ってきた。温泉学のリーダーからだった。

3月の温泉学でマキノとヴォーリズ建築のある今津に行くことになっていた。そして、Ⅰ2月には別のサークルでヴォーリズの発表予定があることも思い出した。
イメージ 2
 今津教会…見に行きたかったなぁ…。
ヴォーリズの発表も心残り・・。

もう、死んでもいい…と思っていたのに、意識が死から生へと傾いた。もう少し生きていたい…。頭をよぎったのはヴォーリズのこと。

すると…息子も「奈良にいてはダメだ。大阪で病院を探そう」と言う。息子も諦めていなかったのだ。

息子は石のようになった私を抱えて車に乗せ、翌朝、救急車で神経内科のある堺の大きな病院に入れた。
病名はギランバレー症候群、すぐに治療を開始。点滴がよく効いて奇跡的に命を取り留めた。

リハビリは半年から1年かかると言われたのに…温泉学に行けるようにと必死で頑張り、病院の先生も驚くほどの回復力で2月中に退院。
こんなに早く快復した患者は初めてだと言われた。
ヴォーリズの今津教会が、私の生きる希望になったからだろう。
イメージ 3
3月、早春のマキノの美しい風景。

イメージ 4
 雪の残る山並みとメタセコイアの並木道。

そして念願のヴォーリズ建築 今津教会。
イメージ 1
帰りの電車の中で、私は何度も何度も「生きていて良かった…」
と呟いていたそうだ。
**************************
死ぬ間際の気持ちを引き上げて、「生きたい」と思わせてくれたのはヴォーリズさんの存在。

それから、私とヴォーリズさんとの旅が始まった。

塾でのヴォーリズについての発表会

その後も、ヴォーリズさんが導いてくれているかのように

次々良い出会いが訪れて

遂に、8月、ヴォーリズさんの本を出版された若きヴォ-リズ研究者?岡田さんと出会った。

岡田さんは、自分の仕事の傍ら、大正時代からの埋もれていたヴォーリズさんの文章を一人で黙々と集めてこられた方である

ヴォーリズさんのエッセイ集を出しましょう」と言う話になって、

私もそのお手伝いをさせていただくことになった。

はじめは埋もれているヴォーリズさんの文章探し。

そして今は・・ヴォーリズさんの文章の翻訳も・・・。

私は英文科ではないので、英語の勉強は高校以来

それでも、ヴォーリズさんの文章が読みたい一心で、英語の翻訳に取り組み始めた。

ヴォーリズさんの優れたエッセイを集めた『ヴォーリズ選集』を出すのを
一つの目標にしている。

・・・と言う事情で、翻訳の時間が足りません。

翻訳は2時間かけて1ページがやっと・・(笑)

皆様への訪問も遅くなってばかりで、大変申し訳なく思っております。

m(_ _)m

時間に余裕のあるとき訪問させてくださいね。

あと・・少しずつ、ヴォーリズさんのエッセイも紹介させていただく予定です。

政治的な記事は「湯沢平和の輪」のみ更新させていただきます

また、パソコンは、やはり故障していることが判明したため、
11月からはしばらくお休みさせていただく予定です。

✿ご連絡だけなので、コメント欄は閉じさせていただきます。