天皇の「お気持ち」にいらだつ安倍政権と日本会議
天皇の「お気持ち」を安倍政権はなぜ受け止められないのか
8月8日に天皇が生前退位に向けた「お気持ち」を表明されたことについて、琉球新報が、「生前退位を認め議論を深めよ」とする社説を掲げました。ビデオメッセージの「感情を抑えた穏やかな口調の陰に、陛下の切迫感と天皇の務めを果たす強い責任感が感じ取れた」としています。
ブログ「くろねこの短語」氏は、「お気持ち」の表明の直後に安倍首相がコメントを発したときの様子について、「それにしても、天皇のメッセージ後のペテン総理の立ちんぼ会見における不貞腐れたような態度は何様のつもりだったんだろう。皇室典範を改定するとなると改憲が先延ばしになる可能性があるから・・・ってな思いがあったんじゃないのかねえ。だから不機嫌そうなツラで会見もそこそこに立ち去ったのかもしれない。感情を抑えられない幼児性がこんな時にも出ちゃうんだね」と述べています。
ブログ「まるこ姫の独り言」氏も、「そのコメントが終わった途端、礼をするでもなく、そそくさと去って行った安倍首相の姿には唖然とした。本当に天皇陛下のお言葉に対して尊敬の念があるなら、自分のコメント後、深々と頭を下げても良いと、私は思うが。。。。それが天皇がビデオメッセージで国民に発信された真意への返礼じゃないのか。やっぱり、前々から感じていた通り、安倍首相には天皇陛下への敬いが足りないのではないか。天皇を軽んじているとしか思えない」と感想を述べています。
LITERAは、陛下の「お気持ち」は生前退位を認めようとしない安倍政権や日本会議への反論」であるとして、「安倍首相の周辺や日本会議が生前退位をヒステリックに否定したがるのは、それが彼らの極右思想の根幹と真っ向から対立するものだからだ」とし、彼らが万世一系の男性皇統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りるなどということを許すわけにはいかずに、終身制であることが不可欠なのだとしています。
しかしそんな時代錯誤の妄想のもとに陛下のお気持ちを無視することは、党利党略・派利派略そのものです。
問題の本質は、「そもそも象徴天皇制という現在の制度が、元々孕んでいる大きな矛盾と言ってもいい。われわれは天皇が超越的な存在であることを求めながら、もう一方で、政治的な発言を一切封じたばかりか、事実上人権さえも認めていない。天皇は公務を拒否することもできないし、即位を拒むこともできない。一度即位してしまえば退位もできず、生涯天皇としての役割を全うすることを義務付けられる。それが象徴天皇制と呼んでいる制度の実態なのに、われわれ国民は憲法制定後その問題と向き合うことをせず、放置し続けてきた。※」ところにあります。
ことは緊急を要するのに、そうしたことに思いを致す誠実さのない政権には、そもそもこの問題を扱う資格などありません。
琉球新報の社説とLITERAの記事を紹介します。
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琉球新報 2016年8月9日
陛下は「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と、国民に語り掛けた。
国政に関する権能を有しないと定めた憲法との兼ね合いに留意し、陛下は「退位」の文言を用いることは避けたものの、82歳の年齢を踏まえ、今後の活動が難しくなることへの懸念を色濃くにじませた。
感情を抑えた穏やかな口調の陰に、陛下の切迫感と天皇の務めを果たす強い責任感が感じ取れた。
皇室典範の改正などの課題は山積しているが、異例のメッセージに踏み切った陛下の心中をおもんぱかり、生前退位を認める方向で国民的論議を深めねばならない。現に共同通信の全国世論調査で、86%が生前退位を支持している。
就任以来、平和憲法を重んじてきた陛下は「象徴天皇の地位と活動は一体不離」との信念を貫いてきた。国事行為以外にも、「常に国民と共に」「声なき国民の苦悩に寄り添う」という思いを忘れず、とりわけ、沖縄など、太平洋戦争の犠牲者の慰霊に心を砕いてきた。
沖縄には即位前から10回も訪れ、琉歌で戦没者を哀悼している。父の昭和天皇が米国に差し出すことを認めた沖縄の痛みに触れ、昭和天皇と戦争責任、民主主義の関係に葛藤しながら、象徴天皇としての自らを磨き上げたのだろう。
国民一人一人が「国民統合の象徴」としての望ましい天皇の在り方を見いだす意識を強めたい。
象徴天皇を強調して戦前回帰けん制も
LITERA 2016年8月8日
本日、公表された天皇自身の「お気持ち」を表したビデオメッセージだが、その中身は予想以上に踏み込んだものとなった。
たんに高齢で天皇としての務めが十分に果たせなくなる懸念を表明しただけでなく、各地に出かけ国民の傍に寄り添うことこそが象徴天皇の役割であり、単純に公務を縮小するのは「無理があろう」と明言。「摂政」をおくという措置に対しても違和感を表明した。また、昭和天皇の崩御のときに起きた自粛が再現されることへの懸念を示し、大々的な葬儀についても「避けることは出来ないものか」とはっきり意思を表した。
実は7月にNHKが「生前退位ご希望」の第一報を打った際、菅義偉官房長官は報道に激怒し、そのあとも政府関係者からは「生前退位は難しい」という慎重論ばかりが聞こえてきていた。「国務を減らせば済む話」「摂政で十分対応できる」、さらに「天皇が勝手に生前退位の希望を口にするのは、憲法違反だ」という声も上がっていた。
また、安倍政権を支える「日本会議」などの保守勢力からはもっと激しい反発が起こっていた。たとえば、日本会議副会長の小堀桂一郎氏は産経新聞で「生前退位は国体の破壊に繋がる」との激烈な批判の言葉を発している。
「何よりも、天皇の生前御退位を可とする如き前例を今敢えて作る事は、事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻である。全てを考慮した結果、この事態は摂政の冊立(さくりつ)を以て切り抜けるのが最善だ、との結論になる」(産経新聞7月16日付)
「明治の皇室典範をつくるときにこれまでの皇室のことを詳しく調べ、生前退位のメリット、デメリットを熟考したうえで最終的に生前譲位の否定となった。その判断は重い。生前譲位を否定した代わりに摂政の制度をより重要なものに位置づけた。そうした明治以降の伝統を尊重すれば譲位ではなくて摂政をおくことが、陛下のお気持ちも大切にするし、今考えられる一番いい方法ではないか」(朝日新聞7月14日付)
そもそも生前退位というのは、江戸時代後期以前の皇室では、しばしば行われていた。ところが、明治になって、天皇を頂点とする国家神道を国民支配のイデオロギー装置にしようと考えた政府は、大日本帝國憲法と皇室典範によって、この生前退位を否定、天皇を終身制にした。「万世一系」の男性血統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りるなどということを許すわけにはいかない。終身制であることは不可欠だった。
それは、この大日本帝國憲法の復活を最終目標にしている安倍首相と日本会議も同様だ。周知のように、自民党の憲法改正草案でも、日本会議の「新憲法の大綱」でも、天皇は「国家元首」と規定されている。彼らが天皇を神話的な存在に戻し、国民支配の装置として再び政治利用しようという意図をもっているのは明らかであり、生前退位を認めるというのは、その目論見が水泡に帰すこととイコールなのだ。
「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」
「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」
つまり、「象徴天皇」があくまで国民の総意にもとづく「役割」であり、国民の声を聞き寄り添う「機能」を有している必要がある、と語ったのだ。そして、その “日本国憲法下の象徴としての天皇” のあり方を守るために、生前退位の必要性を示唆したのである。
実際、この「お気持ち」表明の後、異常な早口で通り一遍のコメントを読み上げる安倍首相の様子は、明らかに不本意なときに安倍首相が見せるいつものパターンだった。
「安倍首相やその周辺の右翼連中はもともと、天皇陛下のことを『ヴァイニング夫人に洗脳されている、国体の破壊者だ』と言っていたくらいで、天皇陛下のお気持ちなんて一顧だにしていなかった。生前退位や女性宮家の問題もずっと裏で要望を出されていたのに無視されていた。それが今回、天皇に『国民へのメッセージ』というかたちで、問題を顕在化されてしまったうえ、憲法と象徴天皇制のありようまで語られてしまったわけですからね。いまごろ、はらわたが煮えくりかえってるんじゃないでしょうか」(ベテラン皇室記者)