靖国神社参拝は、「あの戦争が『正義の戦争』であった」とアピールするものである

「変わらない夏」…

今年も「変わらない夏」がやってきました

今日も、大勢の国会議員が「国会議員であることをアピールしながら」一宗教法人である靖国神社に参拝し、内閣総理大臣も「内閣総理大臣という公的肩書きをつけて」供物を奉納する…という、いつもの光景が繰り返されました

ボクは、こういう光景を子どもの頃から見てきてますが

こういう光景が見られるうちは日本は変わらない…と、いつもそう思います

じゃ、具体的にいつと今の日本が「変わらない」のか…と言えば
それは、戦前と今の日本はそれほど変わらない…と感じています
日本は戦争に負けて、それまでの「天皇神権主義+全体主義」を棄てた…ということに体裁上はなってますけども

(本音を言えば)天皇神権主義に回帰したい…と思ってるし、
個人主義」を否定的に捉える…という点で「全体主義」に、より共感を覚える政党(=自民党)が、敗戦後もほとんど一貫して政権の座にあるわけですから、
(+そのような政党が相対多数の支持を得ているわけですから)
国の体裁はともかくとしてその内実はそれほど変わっておらず、
だから、「靖国神社の位置づけ」も変わることがなく
自民党を中心に、靖国神社を「特別な神社」として扱うことが、今でも続いているのでしょう


では、なぜ自民党を代表とするウヨ連中がいつまでたっても靖国神社を「特別扱い」するのか…と言えば
それは、靖国神社が「戦死した兵隊さんを追悼してるから」…ではありません↓
くどいようだが、靖国神社は、戦争中に亡くなった日本兵を慰霊する施設ではない。神として賛美し崇拝する宗教施設である。この点を誤解している人が実に多い。しかも遺族が宗教的理由などで「祀るのをやめて欲しい」と申し出ても、聞き入れてもらえない。この点を知らない人も実に多い。
(↑ひとさまのtweetより)

靖国神社は戦死者を祀ってはいますが、その(宗教的)目的は
戦死者を「追悼すること(悼むこと)」にあるのではなくて
戦死者を「(神として)顕彰すること」にあるわけでして

じゃ、なんで戦死者が「神として顕彰されるのか」と言えば
それは形式的には「天皇のために戦って死んだから」であり、
実質的には「あの戦争が日本を守るための戦争だったから」という考え方に基づくものです

靖国神社戊辰戦争以来、「天皇のために戦って死んだ人」を神として顕彰する施設ですが
 大勢の国会議員が8月15日に参拝する趣旨は、明らかに「あの戦争の戦死者を顕彰するため」でありましょう…)


つまり、国会議員たちが靖国神社に参拝する(あるいは、供物を奉納する)…という行為は、

「戦死者への追悼」という素朴な心情を超えて、「あの戦争が『正義の戦争』であった」とアピールするものであり
それは彼らが靖国に祀られている神(=英霊)のことを
「祖国のために命をささげた」と表現していることからもわかります

靖国神社自体が、あの戦争を「正義の戦争(≒自衛戦争)」だと主張してますがな…)

しかしながら、あの戦争が『正義の戦争』(=自衛戦争)であったわけはなく
あの戦争に駆り出されて無念の死を強いられた人が「祖国のために」戦って死んだ…というのは詭弁に過ぎません

(あの戦争で死んだ兵隊さんは、当時の指導者の軍事的野心と財界の経済的野心のために利用されただけ…です)


靖国神社には、「そこに祖先が祀られているから」という素朴な心情で参拝する市民もいるようですが
靖国神社はあの戦争時に、国民を戦争に駆り立てた張本人…ですし

今でもあの戦争をまったく反省してないところ…ですから
靖国神社ほど「戦死者の追悼」や「非戦の誓い」(≒平和への願い)をするのにふさわしくない場所はないはず…なんだけど

そういうコトも認識した上で参拝してはるのか、ボクにはとっても気になるところです

ともかく、自民党を中心として国会議員が毎年大勢8月15日に靖国神社に参拝する光景が見られるうちは
(≒それを多くの市民が批判できないうちは)
日本が真に戦前と決別することはないだろう…と、ボクは思っています