京都を歩けば・・東山七条の国立博物館(続き)+京都の風葬地

続きです。
ホテルを出ると道沿いに「鳥辺野」の説明板を見かけました。

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東山の五条坂から鳥辺山にかけては「鳥辺野」といって、平安時代は代表的な葬送地。ちょっと不気味な話ですが、「鳥」は鳥葬と関係があり、「野」は、平安時代風葬地(亡くなった人を野ざらしにしておくところ)を意味します。この時代、火葬はお金のある人しかできないため、庶民の遺体は特定の場所に野ざらしにされたり、木に吊るされ鳥葬にされたりしたようです。疫病で亡くなった者の遺体も野ざらしであれば、そこから疫病が流行ったというのも頷けます。清水寺は、実はその中心にあるお寺。野ざらしにされた遺体を供養するために作られたお寺で、清水寺の舞台が高いのも死臭を避けるためと、そこから遺体を捨てるためだった・・という説もあります。
http://www.syasin.biz/page/heianhusoti/(詳しくはこちらを)

京都の三大風葬地「化野」「鳥部野」「蓮台野」「野」がつく風葬地を意味する地名は京都に3か所。

東の鳥辺野・嵐山の化野(あだしの)、北部の紫野(蓮台野・れんだいの)

「化野・あだしの」は「化野念仏寺」がその供養の中心になるお寺で、ここでは写真を撮らない方がよいそうです。こちらも、遺体の山を見て哀れに思った空海弘法大師様)が、化野念仏寺の礎となる如来寺を建てて供養し、後の世に法然上人が念仏道場にあらためて、現在の化野念仏寺に通じています。

「紫野」の紫は遺体を引きずって行ったときの血の跡が紫になったところからついた地名。そばの「千本通り」は蓮台野へ死者を運ぶ道であった為、通りに沿って千本の卒塔婆(そとば)が立ち並んでいた事から「千本通り」と称されるようになったということです。

豊国廟は阿弥陀が峰(鳥辺山)の秀吉の墓のある場所。
華やかなフォーシーズンホテルを出たこの通りは、阿弥陀が峰に行くための参道だったのです。
京都は美しい場所が多いですが、昔は人の葬送の場所もあったわけで、そういうものすべて含めて歴史は理解しておきたいですね。
というか・・貴族や皇族、権力者の生活だけでなく、歴史の表舞台にはあまり出てこない庶民の暮らしはどうだったのか?とそのあたりにも思いを馳せることを忘れてはいけないと思います。
底辺にいる人たちの暮らしも平和で豊かな時代が「良い時代」と言うことがいえるでしょう。

清水寺がちょっと不気味になってしまった方、ごめんなさい。
私もこの話を知ってから、夜の清水寺や化野念仏寺のライトアップがちょっと不気味に感じてしまいました。怖がりですね。

さて、国立博物館です。
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土曜日は夜の8時まで・・ということで、「国宝展」は、混雑を避けるため
6時過ぎに出かけました。
でも・・関心のある方たちが大勢詰めかけているので、並ぶ時間はゼロでしたが、人が多すぎて背の低い私はよく見られませんでした。><
国宝展の目玉の一つであった金印は、キャラメル一粒ほどの大きさだそうですが、純金ですからとてもきれいだったと見た方から教えていただきました。
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画像お借りしてます。漢委奴国王印
見そびれた方、福岡の博物館にあります。
これ福岡で出土しています。邪馬台国は大和説は本当は根拠が薄いですね。

その他の国宝・・京都駅ビルでの展示写真から・・
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教科書でおなじみの源頼朝肖像画(左)

陶芸のお茶碗がとてもきれいでした。これはさすがに国宝の風格です。

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油滴天目茶碗

駅ビルでは、京都にある博物館美術館の紹介もしていました。
京都には、たくさんあるんですね。
興味のある方おでかけください。
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やはり長年都があった京都、陶芸や茶道に関する博物館、記念館が多いです。

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私はこちらを観に行きたいです♪昔、クッキングパパのファンでした^^