戦争のない世の中に・・。(もし、鬼に子供がいたら?と考えてみる)

桃太郎の昔話は、桃太郎の鬼退治のお話として知られています
でも、「もし鬼に子供がいたら、桃太郎はどうしただろう?」と問われたら?
そんな道徳の授業があったことを、ニコトンクンさんが記事で取り上げられました。

もし 鬼に子供がいたら?

桃太郎鬼を征伐したれども
鬼に子供がいたればどうだった?
 
昨日の夕刊に
岡山の中学校の
道徳の授業で
『もし桃太郎に
子供がいたら
どうだっただろう』と
考えさせたとあった
 
子供たちは
1、退治するしかなかった
2、家族がいると判れば、村に帰した帰した
3、鬼に農業を教える
4、鬼が島に農機具を持っていく
など 意見を出した
教師が
「何故 桃太郎には
退治するという
考えしか 浮かばなかったんだろう」と
問うと
「鬼を悪者と決めつけてしまったから」
という答えが返ってきた
 
こうした授業は
まだ始まったばかり
だが これからに
期待したい
 
何でも決めつけず
あらゆる観点から
物事を見る
これが大切なのだろう

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あらゆる観点から物事を見る・・
相手の立場や事情を考えてみる・・
そんなことを学ぶ良い授業だと思いました。

「鬼は悪者」というのは一種の「決めつけ」。
昔話では悪者は成敗されることになっている。
しかし、鬼とて家族もあり、小さい子供もいるのだけれど・・となると
子どもの答えも違ってくる。
2、家族がいると判れば、村に帰した
3、鬼に農業を教える
4、鬼が島に農機具を持っていく
2,3,4など・・子供の答えもユニークだ。
1と違うのは、鬼の家族への配慮があること。
「鬼は悪者」と決めつけず、鬼の家族を思いやり、戦わず共生への道を選ぶ。
3,4の答えは鬼に仕事を教え、村人の財宝を盗まなくても生活できる術を教えようとしている点で、友好的でありとても良いと思った。

「何故 桃太郎には退治するという考えしか 浮かばなかったんだろう」

このように尋ねられると、子供たちも「決めつけ」がいけなかったと気づく。

「鬼は悪者だから退治しよう」という考え方は、そのまま大義名分となって、
鬼と戦う=「戦争」に繋がっていく。

そうなると

相手にも尊い命があり、大切な家族がいて、一度きりの人生がある・・
そんなことには思い至らずに、残酷な殺戮が繰り返される・・

できれば,同じく地球上で命を受けた人間同士、共に生きる道を探し、
殺し合う戦争を避ける選択をしたい。

「鬼とも仲良く・・」が最も良い選択だろう。


昨日、総集編の「女城主直虎」を見たが、
その中で小野政次が「自分はできるだけ戦はしたくない」と語る。
小さい国は戦などしない方がよい。戦に駆り出されれば国が疲弊する・・と。
その考えに共感した直虎も、「戦のない世の中を家康さまに進言申し上げてほしい」と虎松に託す場面があった。
愛する人を戦や謀略で次々失い、また百姓と共に農地を耕しながら生きていた彼女は、農民の目線で見てもしみじみ戦などない方がよいとわかっていたのだ。

このあたりを観ていて、今の日本もそうだと思った。
日本のような資源もなく小さい国は戦争することも、巻き込まれて共に戦ってもいけない。

コスタリカアメリカのそばにありながら、アメリカの脅しに屈せず、独立した民主主義国家モデルとして自立している。最近映画も出来たそうだ。
そういう知恵を働かせて、戦争を放棄した国、憲法9条がある国として、
日本も戦争しない国を目指してほしい。

今の政権はあべこべだけど、この授業であったように、
決め付けや偏見をもたない。
多様な観点でものごとをみる、
多様な考え方を認めるといった努力次第で、戦争を避けることはできる。
外務省は腕の見せ所でもある。
政権に忖度せずにしっかり考えてほしい。

私自身も安易な「決めつけ」をしていないだろうか?
時々、自分の心も検証してみたい